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3.女王様のお気に召すまま ①
開け放たれた地下金庫室は厚さが1メートル超えていた。もちろん鋼鉄製だ。
その陰にフェンヴァーンは身を潜めて、藍色の安っぽいビジネススーツの内ポケットを探る。出てきたのは手鏡だ。それを廊下にするりと滑らせると廊下の角で拳銃を闇雲に撃ち回る警備員が、何本もの白桃色の太い触手に貫かれたのが見えた。
断末魔の叫びと、水風船があっけなく潰れるような音。
鏡に映らないところで、なにが起こっているのか、眼で確認しなくてもあたりに漂う濃密な血の匂いでフェンヴァーンにはわかる。犠牲者の数はたぶん四人だ。
「まさか、支店長が越境者とはな」
呟きすら感知する鋭敏な聴覚を持っているのか、フェンヴァーンが背にした鉄の扉を貫いた触手が、ぎりぎり彼の耳元をかすめる。真面目そうな会社員を装う為にかけていたノンフレームのメガネがはじき飛ばされ弦が壊れた。
とっさに金庫内に飛び込む。周辺部に至っては二メートル近い厚さになる鋼鉄の扉は、発泡スチロールを砕くように無数の触手の攻撃で穴があいていった。開いた穴が繋がって、本体から分離した大きな鉄の塊が耳を覆いたくなる大音響をあげて廊下に転がり、やがて一通り静かになった。
正確に言うのであれば支店長は越境者ではない。越境者は支店長の首から上だった。
神格の低い蟲と呼ばれるスライム族である。
種族の中でもさらに神格が低い血族で、だからこそ境界の隙間や穴からの不法越境が検知されにくかった。
蟲は本能に従って寄生主の乗っ取りをはかる習性がある。寄生主の身体を生かしたままその首を落としてなりかわるのだ。支店長はそうして越境者に取って代わられた。
廊下の先ではぺちゃくちゃと、何かを貪る音が響いていた。どうやら人間をやめた支店長が落ちている肉で食事を始めたらしい。しばらくは近づいてこないと思われた。
「魔薬(ヤク)の密輸の次は人身売買。銀行にまで手を出して財テクか? 多角的な経営をやってんじゃないよ、まったく」
フェンヴァーンのぼやきは食事に夢中になっている相手には聞こえていない。都合がいいので足首に巻いたホルスターから銀のリボルバーをそっと取りだした。
魔薬を摂取してフェンヴァーンに半殺しにされた被疑者達に事情を聞いたところ、彼らは借金のカタに売られたのだという。『生き残った』らチャラにするという条件だった。彼らのほかにもかなり大勢の人間が集められていた。その後の選抜の方法はマローニが言っていた通りだ。
現地警察に入り込んだ潜入員より、事件現場になった倉庫が某銀行の抵当に入っていたことがわかった。そこでフェンヴァーンは資金繰りに困っている製造業者の二代目を偽って某銀行に近づいた。
初代が方々に借りてもう融資をしてくれるところはなく、新しい融資を受けるために自分が代を継いだがそれも限界になった。このままだと内臓を売られて自殺者として処理されるしかない。そういう状況に追い込まれているという背景だ。
少々カタの古いビジネススーツに眼鏡。心身は健康そうだがおどおどと腰が低く、借金を踏み倒すなんて大それた事は考えもしない。その実、内心では降ってわいた不幸に怒りを抱えている男。生き残るためにはどんな非道でも受け入れ、なおかつ魔薬が適合すればさぞ強い化け物になるだろう。そのように相手へ思わせる人物像をフェンヴァーンは演じた。支店長が彼に直接声をかけてくるのにはそう時間はかからなかった。
支店長はそれらの借金をすべて借り換えすることを約束した。フェンヴァーンが借りた素性はバックボーンから外見までほぼ実在人物を流用している。何も知らない本人はある時急に借金取りからの督促がピタリとやんでしまい、代償に自分の社会的存在証明が消えてしまったことを知って、大変驚くに違いなかった。
その日のうちに彼が連れて行かれたのは銀行の地下だ。同じようにして集められた人間が多数いた。埠頭の倉庫が騒ぎで使えなくなったため、機密性の高い銀行の地下『特設会場』が作られていた。
そこから続く薄暗く広いホールには懐かしい鏡面世界 の匂いが充満していた。集められた人間達は、そこで合法違法を問わない越境者達の前でオークションにかけられた。
魔薬を使うか、そのまま鏡面世界 へ密輸するか、生きたまま『餌』として鉄板ショーのキャストになるか。
競り落とされた先は買い手が決めた。フェンヴァーンの前に何人かは爆散し、何人かは人間をやめ、何人かは『餌』としてパーティーのオードブルになった。
そうしてフェンヴァーンの番になった。彼は打ち合わせていたトウゴウの指示通り、そっと舞台の中心に捕追士のバッジの針を差し込んだ。
――――――ではショータイム! 次の商品は……!
司会が高らかに宣言した直後、バッジによる境界移動の機能によって警備部強襲班百名近くが会場に流れ込んだ。
――――――境界管理庁だ! おとなしくしろ!
会場は突如として大混乱となり、支店長はどさくさに紛れて逃げた。フェンヴァーンはそれを追った。
追いかけていく最中、支店長は破れかぶれで魔薬を飲んだ。その直後、彼の体は首から分かれてバタリと廊下に倒れ、頭がぐちゃりと歪んでどんどんと大きく変形していった。
そして『今』だ。
人間界における魔薬の影響で爆発的に神格があがった白桃色の巨大スライムは理性も制御もまったくきかなかった。原始的な食欲に従い、同じ地下でも特別な客が出入りする区画ではなく、人間が管理している地下金庫の区画へと匂いに誘われて進んだ。このまま放っておくとエレベーター口を使って地上へ出て行ってしまう可能性があった。
しかしバッジは仲間達の境界移動におけるマーカーとして使われている。あれがないと境界移動はできない。また人間界における変身も違法になる。埠頭の時はバッジもあったし、ユーリも同席していたからなんとか始末書だけですんだ。
今日はユーリがいない。彼は故郷で弁務士としての仕事があるらしく、鏡面世界 へ戻っていた。
業務上で法を逸脱してもかばいようがないから、とユーリからフェンヴァーンは呪いをかけられていた。かなり無理をしないと変身はできないし、したら違法で仲間に確保されることになる。
その代わり非常に高価な年代物の銃を護身用にと渡された。普通の人間では反動で体や腕が吹き飛ばされるような威力を持った化け物銃だ。しかし人間化していてもフェンヴァーンには普通に扱えた。
弾丸はマグナム弾を3発。背広のポケットを手探りすると、弾頭に触れた指先が、ちりっと焼けた。注意深く薬夾を掴んで取り出す。弾頭部が精製された銀で作られていた。
武器としての威力は単純に高い。
相手が人間だった場合、ただの銃弾でしかないので急所をさえ外せば腕の一本や二本がはじけ飛んでも最悪死ぬことはないという。
他方相手が境界人であった場合、弾丸には銀の契約による呪いがかけられているので急所に当たれば確実に死ぬし、そうでなくても能力が全封印されるという。
大量に作れないのは作るために魔力をかなり消費し、さらに時間的な手間もかかるからだ。それでも3発用意したのだからユーリの神格の高さが知れなかった。
「ほんとにあいつ、何者なんだ?」
フェンヴァーンは注意深く弾丸を装填しながら首をかしげる。鏡面世界 から戻ってきたらきいてみようと思った。
「……生きてたら、な」
がしゃん、とシリンダーをセットして構える。
予備はない。外せば殺される。人間よりは多少タフかもしれないが、驚異的な回復力も攻撃力も今は期待できない。
正直、怖い。
スライムと狼という種族間で、通常そんな風に思うことはまずない。神格関係上、人狼の方が格段に高い捕食者だからだ。
しかし今、スライム は薬でブーストがかかり、フェンヴァーン は呪いでデバフがかかっている。
神格関係が逆転しているのだ。
その場合、通常死ななくては襲われない人狼も、半殺し程度で、意識が残ったまま腹や頭から食われるかもしれない。
「狼がナメクジに食われたなんて、とんだ笑いもんだしな。勘弁してくれよ」
なによりそんな醜聞が故郷に届けば氏族全体から死後も辱められる。それだけはまっぴらごめんだった。
フェンヴァーンは息を整える。廊下を水気の多い肉の塊が這いずってくる音が近づいてくる。敵は腹も満ちて、戦闘開始を決めたらしい。
心音が緊張で煩く響く。
1……2……3!
意を決してフェンヴァーンは立ち上がり、廊下に飛び出した。
銃を構える。敵は無数の触手をふりあげて、天井まで躍り上がっていた。触手の中心に半分溶けた醜塊な人間のなれの果てが、涎を垂らして見下ろしている。その眉間に照準を定めたが、相手の方が一瞬早かった。
殺られる。
フェンヴァーンは覚悟した。
しかし無数の触手は彼のすぐ前で弾かれるように引いた。大きな体がステップバックして、明らかにフェンヴァーンに対して本能的な躊躇を見せていた。
なぜだ。
フェンヴァーンに疑問が思い浮かんだが、そのためにせっかくのチャンスを棒に振ってしまう男ではなかった。
隙を狙い、躊躇わず引き金を引く。三発の銃弾が発射され、化け物は断末魔の雄叫びをあげて苦痛にのたうつ。手当たり次第にあたりを破壊し、フェンヴァーンも余波を食らって後方へはじき飛ばされた。
かろうじてかけらを残していた金庫室の扉が吹き飛び、地下四階分の土砂で固められた壁や、重い上階を支える天井にヒビか入る。
そうして一通り暴れた後、変わり果てた支店長だったものは、それこそ海から引き上げられたタコそっくりに、べしゃりと廊下に倒れ伏した。
壊れた照明がちかちかと明滅し、スプリンクラーが誤作動して、細かい霧雨がもうもうと立ちこめた埃を落ち着かせていく。吹き飛ばされた先で頭を抱えてうずくまっていたフェンヴァーンは、ゆっくりと起きあがり、目の前の惨事を眺めた。
体のあちこちが痛い。
だが問題なのは痛いことではなくては、痛くないのにきちんと動かない事だ。
たとえば今、痺れている足や左腕のように。
耳元に右手をやる。指が折れたのか銃が手から離れなかった。
地下に張り巡らされていたのだろう結界のせいで呪声がぷちぷちと途切れる。それでもかろうじてトウゴウの声は聞こえた。
「ひどい……おと……し…………ぶ……じか?」
「すまないが、在留管理支援局 情報課の封印特務班を呼んでくれ。関係者が抵抗したため、やむえず封印弾を使用した。急所は外したハズ、だから処置が早ければ何らかの手がかりが得られるかもしれない。あとは誰でもいいから救急車呼んで、俺を運んで。腕だけじゃなくて肋骨と足をやって、動けそうにない」
手短に用件だけ告げて、フェンヴァーンは呪声を切る。少々時間はかかるかもしれないが、バッジを経由した呪声会話の痕跡を追跡して、場所はすぐに見つけてもらえるだろうと思われた。
フェンヴァーンは壁にもたれたまま改めて目の前の惨状を眺める。
「さて、これをどうやって、境界管理庁はなかったことにするのかな。見物(みもの)だ」
揶揄して笑うと、酷く胸が痛む。人間世界では回復力が遅い体が恨めしかった。
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