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4.血の盟約 ③
口づけは、イチゴのアイスクリームの味がした。
「は……っ……ん」
ちゅっと湿った音をたててて、名残惜し気に唇が離れる。遠くで汽笛の甲高い音が聞こえた。
「さっき食べたアイスクリームの味がするな。あれは、甘かった」
埠頭の倉庫の影で、壁につけた腕に体重をかけて立つフェンヴァーンの頬を両手で包んでユーリが言った。
胸元からアイスクリームよりも甘い誘因香が漂っている。その匂いにフェンヴァーンはそれとなく生唾を呑む。少々タイトなパンツの中は窮屈に張り詰めていた。
その膨らみをぐいっとユーリに押しつけて、フェンヴァーンは抱きしめた。
前に食べたとき、いくつものメディアに取り上げられたそのアイスクリーム屋のアイスを、絶品だと思った。だけど今日はそれほど味に感動できなかった。
甘いというなら、傍らでそれを食べていたユーリのキスの方が甘い。
これは甘いね、という彼の笑顔の方が甘い。
感情が動いたときにほんの少し香る胸元からの誘因香の方が甘い。
半年前に病室で舐めた指先からの血の味の方が、甘い。
「どうしよう……」
フェンヴァーンは不安げに呟く。
このまま、一生最高の旨い飯というのには、今後出会うことはないのだろう。そう、覚悟するほどに、ユーリの味を知ってしまった今、すべてが味気なく感じてしまう。
一番問題なのはそれでもいいと思ってしまう事。
ユーリがいればそれだけで心も体も満たされてしまう、その感覚。
ユーリが心配するように背中を軽くさすったので、フェンヴァーンは何事もないような口調で尋ねた。
「旨かった?」
「甘かったよ。旨いかどうかと問われたら、残念だが、やはり私の舌はよくわからないようだ」
「そっか……」
「ただ、さっき食べたアイスクリームの中の生イチゴの酸味が甘さの中でアクセントになっていたとか、先々月食べた寿司で山葵をつけるとぴりっと刺激があるがそれで素材の味に一体感が出るとか、口の中でほろりと肉が崩れる瞬間がおもしろいとか、その場で話が誰かとできる食事は、それがどんなものでも美味しいものなんだろう思う」
「これまではそうじゃなかったのか?」
「基本食事はいつも一人でね。付き合っていた相手も君のように私の感想を聞いてくれる者はいなかったからな。みんな自分の感想の同意を私に求めるんだ。だが私はそのようには思えなくてね。君は、違った。私が何かを感じるまで、待っていてくれた」
ユーリは何気ない様子で食事を口に運びながら、ちらちらと表情を伺うフェンヴァーンに気が付いていた。
かわいい。そう、ユーリは思っていた。
本性を明らかにすれば通常体のユーリではかなわないと思うほどに恐ろしい獣になるというのに、彼はずっと、ユーリが何かを感じてくれるのを待っている。
その視線の優しさが、愛おしくて、切ない。
ユーリはフェンヴァーンの癖の強い髪をわしわしとなでて乱す。
「君との食事は、楽しいよ。フェンヴァーン」
「ユーリ……」
フェンヴァーンがユーリを強く抱きしめたまま、二人の唇が重なる。
食らいつくしたい。
その欲望を互いを抱きしめる腕の強さから、入り込んでくる舌の濃厚さから感じていた。
応えるように背中に腕を回してもっともっととかき抱き、引き寄せる。
今日はタイムアップを知らせるトウゴウの声は聞こえない。
唇の交わりは激しく、絡まる舌は濃密に、吐息は熱くなる。
「ん……フェン……フェニー…………もっと……んんっ」
「ユーリ……ぅん……はぁ……あっ」
任務上のことだった。
業務上の相棒 だった。
性的にそそられる要素は何一つもなかった。
ただ上からの命令だから、本気で女を堕とすつもりのキスをした。
始まりはそれだけだったはずなのに、今はどんな極上のステーキよりもそのキスは柔らかく、甘く溶ける。胸が、いっぱいになる。求める気持ちだけが枯れない泉のようにこみ上げてくる。
でもこれを何というのか、フェンヴァーンは知らない。それを知る事ができる環境に育たなかったから。
「あんたを……食べてしまいたい」
フェンヴァーンは熱に浮かされた顔でユーリを見つめて懇願するように言った。
それを見返すユーリは困ったような顔をする。
「それは……言葉通りの意味で?」
ユーリは彼の熱い体に身を寄せると、いきり立ってパンツにしっかり形を浮き上がらせた彼自身に、細く長い指と術らかな掌をするりと這わせた。
フェンヴァーンの背筋にこれまで感じたことのないほどの興奮が駆け上っていく。
「私の肌をその牙で割いて……血肉を貪って……?」
耳元にかすれた声で悪戯っぽくユーリが囁く。
それごときでフェンヴァーンの昂ぶった熱がびくびくと震え、腰が砕けそうになった。
「残念だが……それは……できない相談だな。今はまだ死ぬわけにはいかない。だが人間が言う『食べたい 』だったら……私は、かまわない」
「本気 か?」
フェンヴァーンは顔を上げてユーリを見た。
少なくとも鏡面世界 では認められていない倫理観の話である。それを規範のプロである法律家がそそのかしている。
目の前の男が本当は姿を変えた淫魔なのではないだろうか。フェンヴァーンは錯覚した。
ユーリの申し出に理性と欲望が大きく揺れ動く。
口の中が乾く。
心臓が、強く脈打って煩い。
吐く息が、早くなる。
フェンヴァーンの理性が、情けなく最後の抵抗を試みた。
「鏡面世界 では……罪だ」
「道徳上のな。それを踏みつけるほどの勇気が、私に対する執着が君にはあるか? あるなら私を好きにしていい。好きなだけ食えば いい」
「ユーリ……」
「疼いた体を、鎮めてくれないのか?」
上目遣いと秘めやかな囁き声は情を濃う女の懇願にも似て、完全にフェンヴァーンの理性の綱をぷつりと切ってしまう。
フェンヴァーンはユーリを肩へ担ぐように浚って走り出す。向かった先はドライブのために借りたセダンだった。
助手席のドアを開き、座席レバーを引いて背もたれを倒す。ユーリを荷物のように投げおいて横たわらせてから、フェンヴァーンは膝で体重を支えながら、乗りかかってくる。
バタンとドアを荒々しく閉じてキーレスで鍵をかけた。
「次元位相はずらせるんだよな?」
フェンヴァーンは天井に頭をつけて窮屈そうにしながら、もどかしく上着とトップスを脱ぎ捨てる。しっかりと筋肉の形がわかる鍛え上げられた肉体があらわになった。
その目の前で、ユーリはゆっくりとスーツの前を寛いでいく。本当に食い殺されることはないのはわかっているが、そうなることを予感させるスリルが、ユーリの体を熱くさせていた。
死にたがり……悪い癖だ。
ユーリは自嘲する。武者震いなのか、陰惨な過去が植えつけた条件反射か、体が震えていた。
それをフェンヴァーンはどうとったのか、ふっと一瞬だけ冷静さを見せて尋ねた。
「俺が……怖い?」
「怖いと言ったら……君はやめるのか?」
「無理強いは好みじゃないんだ」
ここまで理性を追い込まれてなおその返答に、ユーリは目を瞬かせる。そうしてユーリはフェンヴァーンの首に腕を回して貪るようなキスを求め、フェンヴァーンは巧みな舌をユーリに絡ませて翻弄した。
覆いかぶさってくる熱い獣の熱をユーリは受け止める。体温の低い妖魔種にひりつくような肌の熱さが心地よい。
「少し、寒い………かな。温めて」
ユーリは懇願を耳へ囁く。あとは目を閉じて自我を手放した。
フェンヴァーンの熱い掌は手慣れた様子で衣服をはぎ取り、唇と長い舌がユーリの首筋を肩口を胸を辿っていく。その肌はベルベッドのように滑らかで、夜闇のようにひんやりとしていた。
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