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5.始末書バディ ①
始末書。
それがフェンヴァーンに与えられた課長からの処分だった。
前と違うのは追補士のバッジを取り上げられたのではなく、おいていけと言われたことだ。呪紋の金糸がまとわりつく赤の拘置服のポケットからフェンヴァーンは捕追士のバッジを取り出した。
こうなることはどこかで予想はしていた。それでも陰に陽に自分を守ってくれた警備課には感謝しかない。
フェンヴァーンは課長に対して軽口で尋ねた。
「拘置牢にパソコンはあります?」
「班長が筆と硯を貸してくれるらしい。達筆な出来を期待している」
その後の身の処遇は別に指示があるとのことで、フェンヴァーンは両側を入界者収容所 収容課の収務官に支えられて連れて行かれた。
第4局の拘置フロアは地下にある。この地下は境界を隔てて煉獄 の拘置エリアに直接つながっている。不法行為の発覚、並びに不法越境の判断が下され、強制送還された暁には即収監できるようにという親切設計だった。
階層が浅いほど審判結果が早い。フェンヴァーンが連れて行かれたのは5層のうちの4層目になる。5層目は心身の不調を抱える者を収容する場所なので、実質重要監視対象者扱いである。
その最奥に独房じみた拘置牢がある。銀で作られた格子がはまっていて、中は狭い。コンクリートの打ちっぱなしで、洋式のトイレと薄っぺらい毛布とちゃぶ台ほどの真四角の作業机がある。作業机の上には始末書の用紙と、本当に筆と硯、一口羊羹みたいな真っ黒な隅の塊と小さな水差しが置かれている。ここからどうやったら筆記具としての使用に足るものが用意できるのか、フェンヴァーンはさっぱりわからなかった。
フェンヴァーンが大人しく拘置牢に入ると馬頭鬼 の看守が鍵をかける。彼はフェンヴァーンの首にはめられたグレイプニルに銀の装飾が施された首輪を見て、かすかににやりと笑った。
「首輪を付けられた狼は、ただの犬だな」
格子を挟んだ看守の嘲りを、フェンヴァーンは無視した。同じ組織に所属はしているが、第4局、特に収容課はその業務の性格上、緊張と恐怖を強いられるし、収容者には基本的に礼は払っても情をかけてはならないとされる。結果的にかなり性格的に問題が生じやすいし、または生じたような奴が配置されるのはよく知られていた。
フェンヴァーンだって今から振り返れば240年前は銀の首輪を付けるまでが大変な騒ぎだった。煉獄 の拘置層で随分と暴れ、そのたびに複数の看獄守から暴力を受け、最後には最下層の病院へ収容された。あの当時は誰もが敵に見えたし、何にでも噛みついた。成人して以降、常に命を狙われているという恐怖と緊張感に支配されておかしくなっていた。第4局の職員態度を責められはしない。
「……俺も丸くなったもんだ」
今回の収容が粛々と進んだのはそんな自分の境遇に同情して、出所後の身元を引き受けてくれた境界管理庁に仇を返したくなかったのと、ユーリも共に収容されたからである。
フェンヴァーンは冷たいコンクリートの床の上にごろりと転がり、天井を眺める。
ユーリが何階層にいるのか知らない。けれども目を閉じて意識を集中させると、その鋭敏な耳は、各独房に囚われた他の収容者の中からただ一人、ユーリの鼓動を聞き分けた。
ゆったりとした心音が規則正しく脈打ち、呼吸は深い。
路地裏で血の海に沈み、冷たくなった彼の形をしただけの肉。それを見た時は、本当に生きた心地がしなかった。
だから離れていても相手の生きている事を感じられる、それだけでこんな独房でも気は休まった。
「だがこれで、また……根無し草生活か」
組織に継続して雇用されることは、今度こそ無いだろうという予感があった。
だとしたら、どこへ行くのか。宛てはない。宛てはないが、その存在が知られれば故郷の追手がまた命を狙いに来るのは間違いない。ただの根無し草生活ならいいが、逃亡生活でもある。
バビロンへはもう潜入はできない。一度ならず二度までも騒動の渦中にあった者を、リリスが見逃すはずはないのだ。
ユーリはどうなるのだろう。その懸念が生まれた。彼もどうやら一族から追われる身となっていた。
「ユーリの側に……居たいな」
自分なら、きっと彼を守ってやれる。その自信がフェンヴァーンにはあった。そのためには処分を軽くすませる必要があった。
フェンヴァーンはちらっと作業机を見た。
腹筋を使って軽く起き上がると、ぺたぺたと近づいて行って、ストンと作業机の前に座った。
そうして格子を隔てて立つ看守の馬頭鬼に声をかけた。
「なあ?」
「なんだ?」
「あんた、これの使い方わかる? なんか見た目が警備課の鬼班長と近い感じするから聞いてみるんだけどさ」
馬頭鬼は今までの収監者と違って落ち着いた様子のフェンヴァーンに少々拍子抜けしていた。
ただもともと同じ組織の一員であったことを思い出して、まずは硯の浅い側に水を入れるのだ、ということから丁寧に教えてくれた。
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