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5.始末書バディ ②

 ユーリが収容された第4局拘置フロアは2層目の最奥にある独房だった。  2層目は比較的軽微、もしくはすぐに鏡面世界(ミラーリング)への送還が決まっている者をその順番で鮨詰めにしている大部屋牢なので、とにかく下品で煩い。だから極上の美形が明らかに暴行を受けたとわかるボロボロの状態でやってきたときは他の牢に囚われた凶悪犯や看守から好奇と好色の眼差しを向けられ、下種な誘い文句をかけられた。  それがわかっていてもここへの収容命令にユーリが従ったのはとにかく少しでも眠りたかったからだ。フェンヴァーンを呼びだすのに血を失いすぎた。あいている独房はここしかないと言われたので、仕方がなかった。  本来ユーリ自体は加害者でも被害者でも判明していない関係者だった。今回の件は血族が自浄解決するか否かによって真実の間(コート)に訴追されるかどうかが決まってくる。その結果がまだ出ない以上、同族17名の傷害現場にいた重要参考人として確保する必要が維持聖府にはあった。  ユーリはそれを利用した。  境界管理庁はかなり厳格に管理されている。少なくともユーリのためにここを襲う者がいるとは考えにくかった。  逆にこのまま釈放されて、再度襲われでもしたら、もう一度フェンヴァーンを呼び出すのは収監されているなら重大なトラブルになるし、自分の体力を考慮しても到底無理だ。抵抗する力もない。ならばゆっくりと銀の分厚い扉の先に守られて、体力の回復を図ろうとユーリは決めた。  着てきた服は襤褸切れ同然になったので、赤い拘置服を借りた。第2層の独房にベッドはない。それでもかまわず薄っぺらい毛布に包まり、コンクリートの床の上で壁を向いて横たわった。 ―――生きてたんだな。よかった。死んでなかった。  フェンヴァーンの泣き出しそうな笑顔と、どれだけ心配していたのかがわかる安堵した顔つきを思い出す。  彼らかは悲しみと、喜びと、切なさが直接頭の中へ流れ込んできた。  血の盟約を結んだだけでなく、それを行使したことで、フェンヴァーンの感情をより感じやすくなっていた。その熱さと深さに晒されて、ユーリは少々戸惑っていた。 「フェンヴァーン……っ」  胸が少し苦しかった。  これまでの人生で悲惨な目には大概あってきた。それでもここまで胸の中が苦しく感じられたことはなかった。  苦しい……そして、切ない。  この状態をなんというのか、ユーリは知らない。長い長い生を積み重ねる中に、それを知る事ができる環境はなかったから。  その苦しさを抱きしめて、ユーリは深い眠りに落ちた。 「弁務士の面会だ」  目覚めは、牢の開く音とともに訪れた。ユーリは固い床からゆっくりと体を起こす。そう長く眠っていたわけではないだろうが、疲労感は幾分かましになっていた。  ユーリが入った面会用の個室には、格子のはまった白い光を採る擦りガラスの窓を背にし、逆光を受ける形でメルニェットが立っていた。 「意外と、拘置服が似合うじゃないか。こんな形で早々再会することになるとは、夢にも思わなかったがね」  にやにやと笑い、メルニェットが揶揄する。  ユーリはバツの悪い気持ちで口元だけにニヒルな笑いを浮かべた。 「血族の弁務士は、手配されなかったんですね」 「その通りだ。同時に長老界は自浄解決を放棄し、君はあの人狼との共同謀議による尊属殺害の容疑で真実の間(コート)へ起訴されることになった。殺害事件には自己誓約による弁務活動はできない」 「なるほど」  背後にユーリを徹底的に痛めつけようとするグランドマムの意向を感じて、鼻で笑った。  現在、妖魔種の間では維持聖府派と保守派が対立している。維持聖府派閥の有力者であるユーリを、維持聖府に尊属殺害者として訴追させることで、派閥の活動を牽制し、保守派が擁護する『黒の夜明け(スヴィタニェ・ツルノグ)』の問題を長老会の議題に上げない意図があるに違いなかった。 「公選弁護には淫魔族が当たるものだと思ってましたよ」 「必ずしもそうというわけじゃない。弁務士の方で申し入れ、依頼人がそれを受け入れてくれれば、その限りじゃない。ただそういうことをすれば、申し出た弁務士の一族と、弁務士を手配しなかった依頼者の一族の間で、長老界の意志決定を無視しているとしこりが残る可能性があるから、誰もやりたがらんだけだ」 「貴方が立候補を?」 「鬼族は吸血鬼と敵対しないが、恐れもしない。君の御父上は私の親友だった。それに死神から君を預かって九十年ほどの親子の縁だ。迷惑だというなら、辞退してもかまわんがね」 「いいえ。貴方ほどの人に弁務してもらえるなら、心強いですよ、メルニェット。しかし対価は何です? 年代モノのワインくらいなら調達できますが」 「今度の事件がそんなに安いものか。まあ、対価はおいおい請求させてもらうよ」  ユーリはメルニェットに握手を求め、メルニェットはそれに力強く応える。  二人は部屋の中心に設置された事務机を挟んで向かい合った。 「私の事件をどこで?」 「君というより、君の相棒だな。今はフェンヴァーンというのか。彼の直属の上司から、相談があった」 「ああ、そういえば彼も鬼族でしたね」  いつだったかフェンヴァーンが「鬼の首」と冗談を言っていたことをユーリは思い出す。不謹慎にも顔がふっと緩んでしまった。  しかしすぐに気になることが思い浮かんで、また厳しい顔つきになった。  彼は同族殺しの因習における被害者なのだ。彼の事件が弁務士依頼というという形を取って血族に知らされれば居所が特定され、途端に命は危険にさらされることになる。 「彼には、血族の弁務士が?」  低い声色で尋ねるユーリに、メルニェットは首を振った。 「ならず者国家として有名な人狼族がそんな丁寧な対応などするものか。維持聖府機関に捕まったと聞いただけで、被疑者を軟弱者と真実の間(コート)へ一族総出で殺しに来かねん。人狼には前の段階で既に保護プログラムが適用済みだ。だから真実の間(コート)に訴追された場合、今回は淫魔の公選弁務士があたる」 「ああ、よかった…」  ユーリの顔がまた柔らかく緩む。あからさまにほっとした顔だった。  その顔を見たメルニェットは、温かい眼差しでユーリを見つめた。彼の記憶の中の小さなユーリは、その悲惨な日々のためにまったく感情を失っていたし、弁務士として再会した時も作り笑いだけが上手になっていたからだ。そのように自然な表情が出るようになっていることが、メルニェットには喜ばしかった。  けれども個人的な感傷はこのくらいにして、メルニェットは仕事にとりかかった。 「早速だが、弁務前の意思確認をしよう。君も理解しているだろうが、弁務を行うものとされるものの間には、嘘はあってはならない。隠し事も、ナシだ。私は君を弁務するに当たり、客観的に見て、君の利益になることに徹する事を誓う。だから君もそれに全力で協力する事を約束してくれ」 「わかっています」 「なら、話してくれ。現場で何があった? 共謀と聖府側は主張しているが、それは真実か?」 「共謀………といえば、そうなるのかもしれません。私は私を追ってくる者達を退けるために、彼を召喚したので」 「『印』を使ったのか?」 「使えるかどうかは賭けでした。何しろそういう能力が吸血鬼にはあると知っていましたが、今の今まで従僕を持ったことがなかったので」 「そんな不安定な状態で、よく今まで無事だったな」 「極力目を見せないように変装してましたから。ですがフェンヴァーンという最も強力な武器を手に入れたので、試してみたのです。心臓一個分の対価を払いました」 「凄まじいな」 「私の見立ては確かでしたよ。事実、四〇名近い者達が私を襲ってきたが、彼のおかげで私はこうして生きている」  ユーリは朦朧とする意識の中で、泣きながら自分の死を悲しむフェンヴァーンを見たことを思い出す。  最凶と謳われる巨大な銀狼が鼻を鳴らして悲しむ姿というのはなかなか興味深かった。  ただ眷属化による精神の呪縛ではなく本当に心から喪失の悲しみに暮れていたことも思い出されて、ユーリの胸の奥が少し苦しくなった。 「襲ってきたのは、カロエとその子供たちです。子供らが『黒の夜明け(スヴィタニェ・ツルノグ)』の関係者がどうかはわかりません。カロエとは従僕関係にありました」 「カロエと君はどちらが強い? 抵抗はできなかったのか?」 「たぶん、本気を出せば私の方が強いし、カロエは御祖母様の策略で従僕に力を与えすぎていた。子供たちの神格は私よりずっと低かったし、できなくは無かったと思います」 「何故自分で対処しなかった」 「子供たちは意志的に神格結界を克服しようとしていて、手に負えなかったし、手加減しても何かの間違いで私が食べる以外の目的で同族を殺してしまったら、理由はどうあれ銀の契約違反だ。バビロン特例法との二重違反では、情状酌量が認められにくい」 「だから人狼を喚びだしたのか。彼が吸血鬼を殺すことは予想できていたか?」  メルニェットの問いに、ユーリは答えない。答えられない。  過去が呼び覚ます恐怖のために助けを求める先にフェンヴァーンしか考えられなかった。  自身を守らせ、現場から逃れるために喚び出したが、彼を呼び出すために自分が一度死ななくてはならないとは思いも寄らなかったし、自分が意識を失うことで従僕の制御を失うとか、その間にどのような結果がおこるのかについてまでは配慮できなかった。 「だが、結果的には彼は一人も殺していないはずだ。子供たちは瀕死ではあったが、死に至る前に、ルシファーが時間凍結させた。確認して欲しい」 「できればな。だが現段階では、彼らは彼らの義理を果たしたと維持聖府に非協力的だ。疑いようのない事実は、被害者が煉獄(コキュートス)の病院に収容後で死亡していて、人狼の罪状が傷害ではなく殺害に切り替わり、バビロン特例法違反で訴追される線が濃厚だということだ」 「死んだ? 何故だ? 維持聖府の病院では人狼の牙がもたらす呪的分断の呪いを解くことができるはずだ」 「それはこれから調べてみないとわからない。ただこれを利用して、あのババァが君をハメたことは間違いない。血族の保守派をたき付けて、君を人狼を使って血族を殺そうとした殺人鬼に仕立てようとしている」 「あの人らしい…」  ユーリは吐き捨てた。 「最初から、私をハメる心づもりだったんでしょう。結果的に17名もの貴重な子供たちを無駄死にさせても」 「むしろ彼らは無駄死にさせることが目的だったかもしれん。君が判断を間違える様に仕向けるために」 「なんてことを……!」  ユーリは膝の上で手を握りしめる。強く力を込めすぎて指は真っ白になり、爪で開いた傷口から親指の隙間に赤い筋が流れた。 「あのバァさんはそういう奴だ。利用できるなら何でも利用し、何手も先を読んで攻撃を仕掛ける。本人が霧の里にある黒い森奥深くから出てくることはないが、常に災いの種をまいて、世界に怨嗟の花畑を作り出そうとしている」  メルニェットはイスの背もたれに深々と身を預け、頭の後ろで手を組んで深くため息をついた。 「ただ今回の件について言えば幸いにもまだ君とあの人狼が眷属の契約を結んでいることは明らかにされていない」 「召喚現場を、子供たちは見ています」 「ところが被害者たちは、一切証言しようとしないそうだ。そうなれば彼らがテロリストで、君を裏切り者として抹殺しようとした、ということは立証が難しい。とともに、君が黙秘し続ければ人狼を強制的に使役した、ということも立証するのは難しい」 「何が言いたいんです?」 「人狼を、一人悪者に仕立て上げれば、君は少なくとも釈放されるということだ」  メルニェットの提案に、ユーリは険しい顔で立ち上がる。メルニェットは彼の顔を見上げた。 「それは、できない。私一人が保釈されても、状況は変わらない。私と彼は共に無罪を勝ち取らなければならないんだ。貴方なら、できるはずだ」 「だが、このまま真実の間(コート)へ話が持ち込まれたとして、人狼が君を悪者にしないという保証はない」 「それはあり得ない。彼は私を絶対に裏切らない」 「かもしれん。だが奴につく弁務士までそうとは限らない。吸血鬼による眷属の契約を示す刻印が見つかれば、彼は情状酌量を得て、君は使役者として罪を得る」 「確かに、それで彼は実質上勝ちと自由を得るだろう。だがそのあとに迎えるのは最悪のバッドエンドだ。私が地獄に堕ちれば、死神はテロリストの始末を付けるためにその鎌を振るう恐れがある」 「なんだと?」 「最後通牒は既に突きつけられている。ルシファーが静観を決めこんでいるのもそのためだ。私たち(・・・)が、キーマンなんだよ、メルニェット。私だけが勝ちを得、人狼を結果的に煉獄へ落としても、ハッピーエンドにはならない。煉獄では眷属の召喚は使えないし、使えなければ私の身はテロリストの手に落ちるだろう。父のように殺されることは、きっと、ない。どうなるかは、貴方はよく知っているはずだ」  言われて、メルニェットの脳裏にユーリが監禁場所から助け出された際の情景が思い浮かび、痛ましそうに顔を一瞬顰めた。 「フェンヴァーンが煉獄(コキュートス)に堕ちれば、私に待っているのはより過酷な現実だ。勝負に勝つためには、私たち二人の釈放が絶対条件なんだ!」  ユーリは机を叩き、語気強くメルニェットへ訴えた。

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