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5.始末書バディ ③
「公選弁務士から君に利用された共同正犯ということにすればいいとの提案があったそうだが、フェンヴァーンは君と同じように相棒を悪者に仕立てて迄助かりたくないと、始末書に書いた自分の行為に一切弁解しなかったそうだ」
メルニェットは背を向けて、独房の扉越しからユーリに向かって言った。
「これも、織り込み済みか? それとも盟約の効果か?」
「盟約に主への反感を止める効果はないですよ」
ユーリは扉越しに応える。のぞき小窓からは彼がごそごそと着替えている様子が時々見えていた。
「だから気持ちや言葉が主の命令に従うことを拒否をするのに、体だけが逆らえずに動くなんて残酷なことが起こる」
「逆に言えば、盟約の支配下にあるからと言って彼らの行為が全て『嘘である』とはならない、ということだな」
「そういうことです。特に言葉に関しては。あと吸血鬼や淫魔の『誘惑』や『魅了』と同じように、その効果は原則銀の契約を破ることはありません」
「殺すための殺しはできない。そういうことか?」
「殺すなら食べる。食べられる肉か、それができる顎をしているかなどは関係がない。銀の契約に従うのです」
「だとしたら、フェンヴァーンは……」
自分の意思で吸血鬼らを殺したことになる。
ユーリはのぞき窓からメルニェットをみると、口元に人差し指を添えてしーっと小さく言った。
「あと自らを殺すことも基本的にはできません」
「神格結界の縛りのためだな。だが煉獄 行きだとわかっていて、それをお前の命令に従って受け入れることは……」
これにもユーリははっきり答えない。緩慢な自殺行為である以上、血の盟約は強制できないからだ。
しかしそれらを罪状認否で積極的に否定しないなら、現段階では事件の解釈がフェンヴァーンの自由意志によって行われたとなり、限りなく不利な状況になるということでもあった。
「お前はそれをどうひっくり返すつもりだ、ユーリ」
「血の盟約がフェンヴァーンを不利にするなら、それがまた我々の無罪を証明する手立てにもなる」
ユーリは内側から扉を叩く。メルニェットの側に控えていた牛頭鬼の看守が鍵を開けた。その姿が扉の内から現れた瞬間、あたりの空気がすっと冷たく張りつめた。
夜の静けさを纏うような漆黒の衣が、彼の身体にぴたりと寄り添っていた。衣の前面や袖には月光が銀の刺繍となって胸元から裾へと流れ、花と幾何が織りなす模様刺繍が光を受けるたびにきらりと輝く。
光を吸い込んだような滑らかな質感の布が、ユーリの細い首から両腕の手首までぴったりと覆っている。襟元と袖口には黒い羽根のような飾りがついていて、闇の中に舞う小鳥の羽ばたきのようにふわりと揺れた。
髪は肩までの射干玉色で、長い前髪の間に見える切れるような鋭く細い瞳は無情を漂わせ、青銀色だった瞳はブラッディムーンと同じ紅玉になっていた。
「そうやってみると、お前はあの娘によく似ている」
行こう、とメルニェットが牛頭鬼に目配せする。牛頭鬼を先頭にしてユーリの後ろにメルニェットがついた。
最奥の独房の扉が開かれる音で、そこにいる眠り姫の目覚めた姿を一目見ようと多くの収監者たちが銀の格子に触れないように押し合いへし合い廊下へ熱い視線を向ける。
ユーリの黒衣の長くまっすぐに伸びる布は足元まで優雅に垂れ、両脇に入る深いスリットが動くたびに揺れる。スリットから覗く細身の黒いパンツは脚のラインを美しく見せるように仕立てられていて、全体のシルエットをすらりと引き締めていた。
その姿にあちこちから冷やかしの指笛が上がる。
「かわい子ち……」
誰かが大声でいつものとおり下世話な挑発をしようとした。
それをそよ風のように何気ないユーリの一瞥が完全に封じてしまう。
紅い、紅い、血が滴るような深いブラッディ―レッドの瞳。そこから無差別に放たれる『誘惑』の上位互換である『魅了』。それを受けてユーリを見ていた者たちが次々に思考力を失っていく。ある者は腕をだらりと垂らして座り込み、ある者は肩をすくめて膝を屈し、ある者は倒れ込んだまま白目をむいてビクビクと痙攣を引き起こしていた。そのままユーリの漆黒の衣から漂う骨が凍り付くような凍気に晒されてまったく動けなくなる。
しんと静まりかえったフロアの廊下に三人の足音だけが響く。牛頭鬼が肩をすくめた。
「この層がこんなに静かだったのは初めてだよ」
「互いに殴り合いを誘発することは可能なのか?」
「お望みなら、殺し合わない程度には。ただ興味はない。煩いのがうっとうしかったから黙らせただけだ」
「それは、よかった」
メルニェットは肩をすくめた。
ユーリは先に行く牛頭鬼の背中に声をかけた。
「看守。彼らは明日の朝まであの調子だ。私はあなたの仕事を少々楽にしたのだから、同じ組織で働いていた同僚の誼で一つ、願い事を聞いてくれないか?」
「なんだ?」
「4層にいる、フェンヴァーンに会いたい。彼が私に会いたくないというのなら、その限りではないが……」
ユーリは少し俯く。
共同正犯の可能性のある被疑者同士である。本来であれば決して許されないことだった。
しかし看守は自分が二人の話の聞こえる範囲に必ずいることを条件に承諾した。
世話の焼ける収監者達を静かにさせたご褒美だとユーリには伝えたが、彼の一存でここを血みどろのファイトクラブに変えることができるのを恐れたためでもあった。
第4層は、2層目に比べると凍えるような沈黙に満ちていた。どの拘置牢も狭く、その代わり中には一人しかない。どれも大変神格が高い種族ばかりだった。
それでもまっすぐに最奥の独房へ続く廊下を歩くユーリの姿に皆目を奪われる。そうしてすぐにこれまでにない怖気を感じて奥へ入ってしまった。
「フェンヴァーン」
ユーリが銀の格子の先に声をかける。ミミズが這ったような墨字の書かれた始末書が散らばる床の上で、彼は上向きに寝っ転がって目を閉じていた。
ちらり、と薄目を開けてユーリを見る。
最初は髪の色も目の色も違っていたのでフェンヴァーンは戸惑っていたが、すぐに匂いでユーリだと気がついた。
「ユーリ……っ!」
飛び起きて、銀の格子の隙間に手を入れて腕を伸ばす。触れた場所がじゅっと音を立てて赤く腫れた。
「だめだ、フェンヴァーン。銀に触れたら火傷をする」
「嫌だ。ユーリ。ユーリ!」
髭面の大男が小さな子供のように駄々をこねる。血の盟約で繋がり、召喚を行使したことで強く結びついたフェンヴァーンの内的世界がユーリに伝わってくる。
ユーリの急激な神格の上昇を感じたことへの動揺。
ただただ側にいたい。生きていると、抱き合って感じたい欲情。
会えたことが泣きたくなるほどに嬉しくて、でも触れられないほんのわずかな距離が絶望的に悲しくもなる。
胸の奥深くに包みこもうとする優しい熱がじわじわと体に染み渡る。
ユーリはそっとフェンヴァーンの手を取ってその指先に軽く唇で触れる。腕の火傷痕がほんの少し薄くなった。
「大丈夫だから。必ず、君をそこから助け出す」
小さな、本当に小さな声でユーリは言った。それでもフェンヴァーンの敏感な耳は聞き取ったはずだった。
フェンヴァーンは銀の格子から離れた。
「そんな顔をするな。大人しく待っていろ」
ユーリは軽く手を挙げて合図すると背を向ける。フェンヴァーンの視線がいつまでもいつまでもユーリの背を追っているのを感じていたが、だからこそここで足踏みをしている場合ではなかった。
「メルニェット、被害者はあと何体残っている?」
「二体。だがそれも急がねばならんだろう。今、フェンヴァーンの弁務士から、一人息を引き取ったと連絡が入った。残る一体がラストチャンスだ」
二人は歩速を早める。
向かう先は第4局の拘置フロアから直接続く煉獄 の病院エリアだった。
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