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5.始末書バディ ④

 ユーリがメルニェットに伴われて病院フロアに現れると、医療に従事する者は皆、彼の研ぎ澄まされた美貌にほうっとため息をつき、振り向かずにはいられなかった。  そんな視線は完全に無視して、解呪処置室と書かれたガラス様の扉を抜ける。中には今回の事件を担当する維持聖府官吏のエルフの雄と、フェンヴァーンの公選弁務士である淫魔の雌がいた。  彼らが見ているのはさらにその中の集中治呪室と書かれている部屋だ。そこには17床のベッドが並んでいるが、そのうちの16床には人体の形に似た白い灰がうず高く積もっていた。  最後の17床目には比較的怪我の少ない、といっても片腕が肩から裂けてはずれかけている吸血鬼の青年が横たわっている。 「どうしてこの部屋にいて16体もの死者を出している!」  メルニェットが吠えた。  鏡面世界(ミラーリング)では種族間やその後見の政治的な力関係などで、ただ被害者の治療するだけでも勝手にやれば角が立つ場合がある。そのため、集中治呪室では時間の経過によって状態の急速な悪化が進まないよう、時間の進みは遅くなっている。  17体の被害者はここへルシファーによる時間凍結状態で運び込まれたはずで、その際には全員がまだ息があったとメルニェットは治療記録に記されていたのを確認していた。  公選弁務士が言った。 「彼らが治療を拒んだからよ」 「なんだって? それによって死ぬかもしれないという説明はちゃんとしたんだろうな?」 「したわよ。だけど誰も治療に同意しなかったの」 「自殺行為じゃないか」 「自殺? あるわけないだろう」  エルフの聖府職員が鼻で笑った。 「銀の契約が定めた神格結界の呪縛によって、自殺行為は人間が同じ事を行うよりもはるかに強い恐怖で抑制される。それを乗り越える為の精神力は非常に強いものでなくてはならない筈で、今にも亡くなっていく瀕死者が選択するようなものではないだろう」 「だが実際には治療を拒否して、死んでいる。同族の運命を隣で見ていたら、自分の先がどうなるかなどわかるはずだろう」 「わからないんじゃないか。銀狼の牙の痛みがあまりにひどいから、治療の痛みについても拒絶しているだけは? ああ見えて幼いようだからな。死ぬつもりはないが、痛いのも嫌だというわがままの結果だろう」 「それはどうかしら? 彼らは血の盟約の刻印を受けていた。吸血鬼の誰かに命令されて拒めないだけでは?」 「どっちにしろ、それが真実なら彼らの死は我々の依頼人とは直接関係しない話では?」 「そうね。殺害容疑での立件は取り下げて。やはり傷害がせいぜいよ」 「そうはいかない。もしルシファーが助けなければ、彼らはバビロンで特例法及びソロモン法の二重違反を起こしていたはずだ。それについては落とし前をつけるべきだと維持聖府内の長老たちから意見が出ている。被害者が全員死亡となった場合、人狼には直接的加害者として何らかの責任を負わせるべきだし、彼を同族殺しの道具に使ったかどうかという点においてはユーリとの関係性を調べるべきだ」 「その長老会とやらはいったいどこの種族だ? 背後に吸血鬼族の若作りババアがいるんじゃないのか?」  真実の間(コート)に関わる者たちは自分たちの背後にある依頼人たちの利益を前に静かに火花を散らす。  それを横目にユーリは一人集中治呪室へと入っていった。  ユーリはベッドにひざまづき、青年の顔に自身の顔を近づける。吐息がふれあうほどの距離でユーリから吐き出される精気は、彼の失われつつある命を補充する。ただし、傷そのものが完治していない以上、急場しのぎに過ぎない。  青年は苦しげな息の元、震える瞼を開く。小動物を思わせる大きなアーモンド様の瞳はカロエによく似ていた。 「私は強い子だったでしょう?」  青年がかすかな笑顔を作って尋ねる。ユーリはその額を、頬を優しく撫でてやった。 「ねえ……母様……認めて、くれる?」  彼の意識はかなり混濁していて、カロエと彼女の色に似せたユーリが混じりあっていた。同胞(はらから)から生まれた存在だ。似ていて当然だし、ユーリはこの事態を敢えて想定してこの格好を選んでいた。  ユーリは青年の手を取る。吸血鬼は基本的に体温の低い種族だが、彼の手は冬場の霜に晒される石のようだった。 「もちろん。だから治療を受けなさい」  ユーリはその手を強く何度も握り返し、低く、穏やかに呼びかける。だが青年は力なく首を振った。 「そんなことをしたら、御祖母様に叱られてしまうでしょう?」 「他の兄弟たちのように、このままでは死んでしまうんだ。わかっているだろう。君は大切な子供だ。お願いだ。治療を受けてほしい」 「できない……」  青年は頑なだった。  だが言葉とは裏腹に、彼の冷たい手は、体は、小刻みに震え、恐慌を示す瞳孔は開ききって視点が定まっていなかった。 「だって、後遺症の痛みは残るんだ、って。僕らは永遠の命を生きる者。その苦痛は永遠にお母様を苦しめ、る、でしょう?」 「でも、死を選ぶのは、恐いだろう? 辛いだろう? むしろ死を選ぶ以上に恐ろしいはずだ」 「恐いよ! 狼に睨、ま、れた時、以上に。でも……!」  急にヒステリックに青年が叫び、彼に繋がったセンサーが警告音を発する。それに誘われて部屋の外にいた3人が慌てて青年のベッドへと集まってきた。 「僕は、強い子……『黒の夜明け(スヴィタニェ・ツルノグ)』の一員……だから……このまま……死を、選ぶ。みんなが、待ってる……。お母様も……もう、痛く……ないよ、ね?」 「ああ、優しい子。もう、大丈夫だよ」 「よか、った……。御祖母様は、言った、よ。死を恐れずに……恐怖を、乗り、越えて、神格結界の呪縛か、ら……解放され、たら…………新たな……世界……黒、の……夜明け、へ………生まれ……変…………っ……て」  青年の瞼は閉じられることはなかった。一瞬だけ微笑んだ後で全身が硬直すると、そのまま傷口から石化が始まった。石は急速に風化して砂となり、ユーリが額に当てていた彼の細い手は崩れ、さらさらと指の間からこぼれていった。  ベッドの上に最後の被害者がただの砂の固まりになって横たわる。  暫くだれもなにも言えず、ユーリは目の前で一族の若者を徒に失った無力感で立ち上がることもできなかった。 「聞いただろう? 彼らは『黒の夜明け(スヴィタニェ・ツルノグ)』の一員だ。全てはユーリを害するために、組織が仕組んだ茶番劇だった。苦痛を恐れたんじゃなく、|カロエ(母親)に永遠の醜い後遺症(痛み)を残すくらいならと、自ら死を選んだ。実際は口封じであることも知らずに、恐怖を乗り越えた先に、あるかどうかもわからないような世界を信じ込まされてな」 「神格結界の警告を知っていたはずなのにね。それでも組織の理念に従って逃げることはおろか依頼人に襲い掛かったのなら依頼人の行為は正当防衛よ。むしろ食い殺さなかったのは証拠保全を第一に考えた彼の捕追士としての立派なプライドだと思うわ」 「過剰では?」 「神格結界の呪縛を自ら振り切った狂信者に手心を加えろと? できるわけがない。それとも維持聖府はかわいそうというその一点だけでテロリストの肩を持つかね? 奴らが、その親玉がバビロン特例法を守り、神格結界の秩序に従っていれば、こんな悲惨な事件は起こらなかったというのに!」  メルニェットは顔を真っ赤にして頭から少々角を見せながらエルフの聖府職員に苦々しく吠えた。

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