6 / 11
第6話
選ばれる甘さ
放課後の空は低い雲に覆われ、校舎の角で風が鈍く曲がっていた。
星乃來夢は机を片づけ、ポケットに触れる。苺、ミント、ぶどう——角ばった小さな包みが指先に当たり、乾いた音が胸の奥で跳ねる。
「先輩」
線を越えない距離に、神城煌真が立つ。いつも通り一歩を残し、視線だけがまっすぐだった。
「今日も来たの?」
「来ます。……毎日」
來夢は苺をひとつ、彼の掌に落とした。包み紙が沈み、四角い影が生まれる。
「雨、降りそう」
「十分で降ります。……相合に」
黒い傘が開く。布に粒が跳ね、細い音を刻む。肩が触れない距離で並び、金属の匂いに苺の残り香が混じった。
「先輩、もう誰かに配らないでください」
「配るの、好きなんだ」
「知っています。だから怖い」
「何が」
「俺だけの甘さじゃなくなること」
神城は親指で包み紙の角を撫で、小さな四角を畳んだ。
傘が風に浮き、肘と肘がかすかにぶつかる。骨の感触が、傘の柄を伝って熱になる。
「もし俺が誰にも配らない日が来たら、いちばん先に気づくのは君だよ」
「気づきます。必ず」
敬語のまま、力は揺るがなかった。
◇
庇の下へ戻る。滴が一定の間隔で落ち、コンクリートが湿る。
來夢はポケットの底から棒付きキャンディを出した。赤い面に水滴がまとわり、角を滑って消える。
継ぎ目を指でなぞると、爪に段差がかかった。
「それは」
「一本、残ってた」
「……俺に、ください」
息が近い。
來夢は棒をわずかに持ち上げ、すぐ下ろした。
「今は、まだ」
神城は目を閉じ、短くうなずく。
「待ちます」
滴の間隔と心臓の拍が重なり、包み紙が体温でやわらかくなる。角がひとつ、丸くなった。
◇
校門の外で翔琉がフードを払う。自転車を濡らしながら笑い、柑橘色の棒付きを差し出した。
「雨の日サービス。甘さ補給」
隣で神城の肩が固くなる。目だけが「やめろ」と告げていた。
「今日は、いらない」
來夢の声は驚くほど穏やかだった。翔琉の笑みが一瞬止まり、すぐ薄く戻る。
「……そ。じゃ、また」
水音を残し、去っていく。
「君のために断ったわけじゃないよ。舌が雨で鈍ってるだけ」
「それでも、嬉しい」
直球に逃げ場はなく、來夢は冷たい紙を握り直して熱を隠した。
◇
雨上がりの街灯が水たまりに揺れる。二人の影は滲み、ときどき重なる。
「待つことは、弱くない」
「知ってる」
「じゃあ、受け取るまで毎日来ます。……俺のラベルが本物になるまで」
掌が反応し、包み紙の角を折る。四角が一つ、増えた。
「じゃあ、毎日迷わせて」
「迷わせます。必ず」
敬語の誓いは、静かで強い。
◇
部屋に戻ると空気は湿り、机に飴を並べる。真ん中に置いた棒付きは赤と橙を映し、木目に小さな川を描いた。
継ぎ目——答えの段差。押せば開くのに、まだ押さない。
窓の外で、一滴が落ちた。
スマホが震く。翔琉〈舌直ったら、また〉、神城〈明日、行きます〉。どちらにも返さず、掌で包みを覆う。
体温で角が少し丸まる。
今夜は渡さない。
けれど、この丸みの行き先は、すでに決まりかけていた。
――第6章おわり――
⸻
🌙 次回予告
第7章|ほどける夜
文化祭の準備で遅くなる放課後。
隣に立つ時間は自然に延び、指先がふと触れる。
溶けるような甘さと、ほぐれていく心の糸。
次回、二人の距離はもう一段だけ近づく。
ともだちにシェアしよう!

