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第6話

        選ばれる甘さ  放課後の空は低い雲に覆われ、校舎の角で風が鈍く曲がっていた。  星乃來夢は机を片づけ、ポケットに触れる。苺、ミント、ぶどう——角ばった小さな包みが指先に当たり、乾いた音が胸の奥で跳ねる。 「先輩」  線を越えない距離に、神城煌真が立つ。いつも通り一歩を残し、視線だけがまっすぐだった。 「今日も来たの?」 「来ます。……毎日」  來夢は苺をひとつ、彼の掌に落とした。包み紙が沈み、四角い影が生まれる。 「雨、降りそう」 「十分で降ります。……相合に」  黒い傘が開く。布に粒が跳ね、細い音を刻む。肩が触れない距離で並び、金属の匂いに苺の残り香が混じった。 「先輩、もう誰かに配らないでください」 「配るの、好きなんだ」 「知っています。だから怖い」 「何が」 「俺だけの甘さじゃなくなること」  神城は親指で包み紙の角を撫で、小さな四角を畳んだ。  傘が風に浮き、肘と肘がかすかにぶつかる。骨の感触が、傘の柄を伝って熱になる。 「もし俺が誰にも配らない日が来たら、いちばん先に気づくのは君だよ」 「気づきます。必ず」  敬語のまま、力は揺るがなかった。 ◇  庇の下へ戻る。滴が一定の間隔で落ち、コンクリートが湿る。  來夢はポケットの底から棒付きキャンディを出した。赤い面に水滴がまとわり、角を滑って消える。  継ぎ目を指でなぞると、爪に段差がかかった。 「それは」 「一本、残ってた」 「……俺に、ください」  息が近い。  來夢は棒をわずかに持ち上げ、すぐ下ろした。 「今は、まだ」  神城は目を閉じ、短くうなずく。 「待ちます」  滴の間隔と心臓の拍が重なり、包み紙が体温でやわらかくなる。角がひとつ、丸くなった。 ◇  校門の外で翔琉がフードを払う。自転車を濡らしながら笑い、柑橘色の棒付きを差し出した。 「雨の日サービス。甘さ補給」  隣で神城の肩が固くなる。目だけが「やめろ」と告げていた。 「今日は、いらない」  來夢の声は驚くほど穏やかだった。翔琉の笑みが一瞬止まり、すぐ薄く戻る。 「……そ。じゃ、また」  水音を残し、去っていく。 「君のために断ったわけじゃないよ。舌が雨で鈍ってるだけ」 「それでも、嬉しい」  直球に逃げ場はなく、來夢は冷たい紙を握り直して熱を隠した。 ◇  雨上がりの街灯が水たまりに揺れる。二人の影は滲み、ときどき重なる。 「待つことは、弱くない」 「知ってる」 「じゃあ、受け取るまで毎日来ます。……俺のラベルが本物になるまで」  掌が反応し、包み紙の角を折る。四角が一つ、増えた。 「じゃあ、毎日迷わせて」 「迷わせます。必ず」  敬語の誓いは、静かで強い。 ◇  部屋に戻ると空気は湿り、机に飴を並べる。真ん中に置いた棒付きは赤と橙を映し、木目に小さな川を描いた。  継ぎ目——答えの段差。押せば開くのに、まだ押さない。  窓の外で、一滴が落ちた。  スマホが震く。翔琉〈舌直ったら、また〉、神城〈明日、行きます〉。どちらにも返さず、掌で包みを覆う。  体温で角が少し丸まる。  今夜は渡さない。  けれど、この丸みの行き先は、すでに決まりかけていた。 ――第6章おわり―― ⸻ 🌙 次回予告 第7章|ほどける夜  文化祭の準備で遅くなる放課後。  隣に立つ時間は自然に延び、指先がふと触れる。  溶けるような甘さと、ほぐれていく心の糸。  次回、二人の距離はもう一段だけ近づく。

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