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第7話

        ほどける夜  文化祭準備の夕方、校舎に残る灯りはわずかだった。  床に散った切り屑が風に揺れ、のりの甘さと絵具の匂いが夜の気配に混じる。  星乃來夢はハサミを置き、肩を回す。奥で筋肉がかすかに軋み、吐息が短くこぼれた。 「先輩」  神城煌真が青布を広げていた。折り目をなぞる指は正確で、線をまっすぐ引く。 「休憩しませんか」 「そうだね。……手が固まった」  來夢は机に寄りかかり、伸びをする。肩の骨が鳴り、緊張が和らぐ。  廊下から吹き込む風が紙をはらう。  神城が前にしゃがみ、敬語のまま尋ねた。 「痛むところは」 「肩かな」  押された場所に熱が芽生える。 「強くしません。壊すのも、奪うのも嫌です」  言葉は固いのに、指先は驚くほどやわらかく、胸の奥で張りつめていたものが少しずつほどけていった。 ◇  夜八時。準備を終えた廊下は静まり返り、橙色の灯だけが滲んでいる。  鞄を肩にかける來夢に、神城が歩幅を合わせた。 「送ります」 「いいのに」 「今日は特に」  理由を問う前に、手首をつかまれる。掌から伝わる熱が思いのほか強い。  外に出ると、夏の余韻と秋の冷たさが喉をすべる。  街灯の下、影が二つ並び、寄っては離れる。 「俺は待ちます。でも……触れるくらいは、許してほしい」  指先が自然に絡む。來夢は拒まなかった。  掌の感覚は棒付きキャンディの硬さに似ていた。甘さが封じられているぶん、熱だけが強く残る。 ◇  帰り道、コンビニの光に影が揺れる。  神城がポケットから小さな包みを出した。 「今日は、これを」  ぶどう色の飴。夜に溶ける深い色合い。 「ありがとう」  來夢は受け取り舌で転がす。酸味が広がり、胸の張りを解いた。 「俺から渡すなんて、思わなかった」 「俺もです。……でも今日がよかった」  街灯に映る瞳が揺れる。  來夢は返事を飲み込み、飴の溶ける甘酸っぱさに言葉を隠した。 ◇  家の前。窓ガラスに映るのは二人だけ。 「ここまででいいよ」 「はい」  神城は手を離さず、唇を開きかける。  夜気が冷たく、間を裂く。  來夢は視線を落とし、囁いた。 「……まだ、飴の味が残ってる」  呼吸が止まり、唇は寸前で留まった。  静けさだけが余韻となり、夜に沈んだ。 ――第7章おわり―― ⸻ 🌙 次回予告 第8章|秘密の保健室  文化祭前日の喧噪。  張り詰めた空気に押され、二人は人目を避けて保健室へ。  薬品の匂いと白いシーツの中、触れた体温はもう隠せない。  次回、迷いと甘さが重なり、秘密の夜がほどけていく。

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