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第9話

        俺だけの飴  文化祭の夜は終わりに近づいても、まだ色を失わなかった。  模造紙に染みついた絵具の匂い、屋台から漂う甘い油の残り香。  星乃來夢は、肩から鞄を下ろし、静まり返った廊下に一息を吐いた。 「お疲れさまです、先輩」  神城煌真が姿を現す。制服の袖は少し濡れ、手には小さな包み。  指の形に沿って整えられた四角は、赤く透ける棒付きキャンディだった。 「これは……?」 「特別です。星乃先輩にだけ、渡したい」  敬語の響きは変わらないのに、その瞳だけが熱を帯びていた。  來夢は掌に受け取り、指先で角をなぞる。  昨日よりも少し丸くなった継ぎ目。  飴の赤が夜の灯りを反射して、胸の奥に火を落とす。 ◇  そこへ足音。翔琉が軽い調子で現れた。 「おーい、來夢。片づけご苦労」  笑みと一緒に差し出されたのは、黄色の棒付きキャンディ。  レモンの色が夜の白に跳ねる。 「差し入れ。俺が昔から一緒にいるんだから、これくらい当然だろ?」  冗談めかす声に、來夢の胸がざわめいた。  掌には二つの飴。赤と黄。  包み紙が擦れ合い、小さな音を立てる。  その音が、不思議と痛みを含んでいた。 ◇ 「選ばなくてもいい。……でも俺は、欲しいです」  神城の言葉は低く、真っ直ぐだった。 「何を?」 「俺だけの飴を」  翔琉は笑みを崩さず、一歩前へ出た。 「來夢、俺の方がずっと知ってるだろ」  並んだ影が夜気を裂き、來夢の鼓動を強く打った。  赤と黄。  特別を欲しがる二人。  その狭間で、來夢は立ち尽くす。 ◇ 「……困るな」  吐き出した声は、静かな廊下に溶けた。  誰の飴も捨てられず、両方をポケットに押し込む。  布越しに重なった包み紙は、まだ角が鋭い。  丸くなるまでには、きっと時間がかかる。  街灯の下、三つの影が伸びては交わる。  夜風が冷たく、甘さの行方だけが決まらないまま漂っていた。 ――第9章おわり―― ⸻ 🌙 次回予告 第10章|選ばれる夜  赤と黄色、二つの包みが胸に沈む。  夜の静けさに選択は迫られ、迷いはやがてひとつの口づけへ。  本当に欲しい“特別”が、ついに明かされる。

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