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第一話-2

 店に戻ったらスタッフやキャストが入り、店内は一気に慌ただしくなっていた。  地大も控え室で制服に着替える。臍まで隠れないノースリーブの開襟シャツと黒のホットパンツ。地大はサスペンダーと大振りなリボンタイもしている。「ヒロさん、若いですよね。大学生みたい」と他のキャストからも言われる顔立ちの地大は、この二つが特に似合っていると評判だった。  化粧台の前で薄くメイクをする。ホールは光量を落としているが、お客様を幻滅させるな、とオーナーが口うるさいので、行きつけのゲイバーで会う知人に習った。「ヒロはファンデを薄くのばして顔色明るくするだけで充分」と似合うアイテムを見繕ってくれた。  童顔のためかメイク感を出しても不自然に浮く。少し幼く見えるくらいが、地大の性格にマッチして客も喜んでいた。  ゲイキャバが好きで選んだ仕事ではないが、午後からの勤務や軽口を交えたコミュニケーションはやりやすい。環境としては合っている。  準備が終わり、ぼんやりスマホを眺めていると、来店を知らせるスタッフが入ってきた。 「伊佐治さーん!」  ホール内は仕切りが多く、半個室になっている。  指定されたテーブルへ向かうと、そこに今日の上客・伊佐治が座っていた。 「ヒロくん!」  地大の源氏名を呼び、伊佐治が軽快に笑った。  伊佐治は四十代半ばほどの男性で、派遣会社を営む社長だ。白髪の混じる後ろに流した髪と彫りの深い顔立ち、そして洒落たジャケットがラテン系の雰囲気を醸し出す。  身体が密着しない程度の距離感で、地大は伊佐治に軽く抱擁した。 「なぁに? また会いたくなっちゃった?」 「それもあるし、今日は取引先の若い子ともフランクに話したくてね」  地大は伊佐治の隣のソファーに座る連れに目を向ける。  あ、と橙色に染まった記憶と結びついた。  次の瞬間、 「ゲストの望クンでーす」  と、伊佐治が紹介し、確信に近付く。 「……の、ぞむ?」  知らずに声が零れ、ハッとして地大は伊佐治たちを見やる。二人とも「どうしたの?」という表情だったので、地大の呟きは聞こえていないらしい。  今日、夢に見た小学生の頃の友達。  久世(くぜ)(のぞむ)。穏やかな雰囲気で微笑む、輝く瞳が美しい少年。  伊佐治の隣で遠慮気味に微笑む男性が彼だと地大は思った。  二十七歳になった望は、完璧なハイクラスの会社員になっていた。すらりと高い背はもちろん、高級な布地のスーツを着こなす体格も、人の目を集めるほどだ。絹のような髪と大きな瞳はあどけなかった子どもの時の美しさそのまま、優雅な大人の男性へと変貌している。 「伊佐治さん、ゲストって……」  望が小さく抗議の声を上げると、地大と一緒にテーブルにつく後輩のユウトがふふっと笑う。 「お兄さん、緊張してないで! フランクに行きましょ」  ユウトはイケメン客にめったになびかないが、今日はうなじが赤い。 「こういうお店に入るの初めてなんです。こういうところでは、どういう風にすればいいですか?」  困り顔の望が、地大の方へと顔を向け、問いかけた。  地大は大きく瞳を見開く。  ──ヤバい。  まっすぐに見つめてくる望から、地大は顔を逸らした。  この『望クン』が友達の望だとして、地大であることに気付いていないのだろうか。取引先にゲイキャバに連れてこられて、小学生の頃の友達と出くわした、となれば感動の再会どころではない。それどころか、あの頃仲がよかった地大がこんな場所で働いていると当惑しないだろうか。  望じゃない? 勘違い? いや、勘違いなんかじゃ……。  地大は視線を望に戻す。回答を待っている望の双眸には、小さな照れはあれど旧友と再会した動揺はない。  仲がよかった望にしろ、初対面の別人にしろ、地大はこのテーブルから離れることはできない。それならば、ゲイキャバ『ガニメーデ』の『ヒロくん』として白を切るしかなかった。  地大は上唇がツンと尖るのを感じながら、いたずらっ子のように上目遣いで笑いかける。 「普段通りにすればいいんだよ、望クン」  小悪魔的に答えを投げると、反応したのは伊佐治だった。 「そ! ボクはさ、跡取り息子としてじゃなくて、望クンと話したいわけ」 「跡取り息子!? え、何ソレ、すごーい!」  ユウトが甲高い声で叫ぶ。  困ったように襟元を触りながら望は、 「まずは、ドリンクでも頼んで落ち着きませんか。流れはそれで合ってます?」  と、伊佐治や地大たちを見回した。 「そうだよね、ごめんごめん。シャンパン全員分もらおうかな。辛口でいい?」  伊佐治の注文にハッとして、地大は身体の前でアルコールのメニューを広げる。 「嬉しいー。どれにす、る?」  場慣れした伊佐治が来るかと思ったら、望がそのメニューを覗き込む。  地大はさっと顔を伏せた。白を切るといったって、間近で見られて『あの頃の地大くん』と気付かれるわけにはいかない。 「それだったら、これでしょうか」  と、地大が開いたメニューの中から一つを選ぶ。  注文を頼むように見上げてくる望に、地大は視線を合わせられないまま、 「わっかりましたー」  と、スタッフを呼んだ。  伊佐治の隣に座りながら、地大は高鳴る胸を静めようと努めた。  テーブルにきたシャンパンで乾杯すると、伊佐治は躍った声で両足を組む。 「望クンはさ、大手企業の跡取りでね。ボクは、お父さんと昔からの友達なわけ」 「じゃあ、次期社長!?」 「今時、世襲制の古い会社なんですけどね」 「セレブじゃないですかー!」 「知らない? 久世堂っていう、ほら、『ゆきブラン』って銘菓の会社」 「知ってるー! お土産でもらって食べたことある!!」 「ありがとうございます」  久世堂の跡取り息子の望クンって、やっぱあの望じゃん。  地大はシャンパンと一緒に口の中まで飛び出していた言葉を飲み込んだ。憶えている久世望の情報にピタリと合う。確定だ。  今日は地大が大人しいと思ったのだろう、ユウトがいつも以上に二人のことを褒めそやす。 『ヒロくん』を演じ通すつもりでいたが、心に居座る怯えが天真爛漫なふるまいにストップをかける。結果、いつもの調子ではない不自然な『ヒロくん』ができあがった。小悪魔で奔放な『ヒロくん』として望と接したい一方、藍原地大としては初めて惹かれた相手に、ゲイキャバのキャストとしての姿を見せたくない。分裂する二つの心に、どうにかなってしまいそうだった。  地大はシャンパングラスを煽る。炭酸の刺激が喉を叩き、全身にじわりとアルコールの快感が巡った。  伊佐治やユウトと歓談している望の横顔を盗み見る。  同い年のはずなのに、大人びて、余裕があって、色気がある。綺麗な顔立ちの面影は、さらに磨きがかかって絵画のようだった。転校してから、どんな人生を歩んできたのだろうか。少なくとも、地大が歩んできたものより、輝かしい道だったに違いない。  普通の──いや、普通なんていうのは当たり前の、選ばれし者だけの世界。泥の上から見上げても、決して気付かれない高嶺の住人だ。  伊佐治たちとの会話の途中に、望の視線が地大へと移る。目が合った気がして、地大は咄嗟に伊佐治の方を向いた。 「ヒロくん、パイナップルちょうだい」 「……え?」  すぐ隣の伊佐治から、突然のお願いが入る。  ゆうに一呼吸、地大は瞬きをして伊佐治を見つめた。 「あ! あ~、ごめんね、伊佐治さん。なんか、今日ダメな日かも」 「いいよいいよ。オトコノコにもダメな日あるよねえ」  意味を理解して、恥ずかしいとばかりに地大は手で顔を扇ぐ。  地大はテーブルに置かれたフォークを取り、フルーツ盛りからパイナップルを刺すと、伊佐治の口元に近付けた。 「伊佐治さん、あーん」  伊佐治は照れることもなく、喜んで口を開ける。パイナップルが入った口が閉じるのを見て、地大はフォークを引き抜く。  もぐもぐと頬張る伊佐治を見上げ、地大は微笑んだ。 「うん、美味しい」  伊佐治はいい客だ。必要以上に身体に触れてこないし、上客として偉ぶったり何かを強要したりもしない。ただ、楽しく酒を飲んで、日々の出来事を喋って帰っていく。その合間に地大の愚痴もしっかり聞いて。 「あ、望さんもあーんします?」  地大の行動を追うように、ユウトもフォークを手に取る。 「え……いや、さすがにそれはハードルが高い気が」  望は戸惑いを浮かべ、やんわりと手で制した。 「え~、せっかくなのに」  ユウトは残念がるが、それ以上はプッシュしなかった。望は、どこか安堵しているように、地大の目には映る。  急に悪戯心が浮かんだのは、アルコールのせいか。伊佐治にだけサービスして望にしないことを不平等だと言い訳して、単に地大がやりたかっただけかもしれない。  ほら、と『ヒロくん』のスイッチを入れる。二律背反な心に布を被せて、通常営業へと戻っていく。  伊佐治のフォークを新しいものに持ち替えて、地大はそれを大きめにカットされたマンゴーに突き刺した。 「ほら、望クン」  甘えた声で呼ぶと、望の瞳が急スピードで地大を捉える。  驚いた顔が嬉しくて、地大はとびきり可愛く告げた。 「あーーーん」  有無を言わせずマンゴーを口先へと運ぶ。地大の声に従って、望の唇がうすく開いた。そこにマンゴーを押し込む。反射的に望の歯がフォークを噛んだ。 「んんっ」  慌てる望とは反対に、ケラケラと笑いながら地大はフォークを抜いた。  手で口を押さえて咀嚼している望に、ユウトも「いい感じですよぉ」とエールを送る。  地大は背中を丸める望を見つめた。地大の中にいた望との差を感じる。それだけ長い時間が過ぎたということだ。望の中にいた地大がいなくなっていてもおかしくない。 「あっはは、ヒロくんのそういうトコ、好きだよ」  他の客からは強引だと呆れられることもあるが、伊佐治は地大の行動を諫めることはしない。  驚きながら口の中のマンゴーを飲み込む望を心配するでもなく、からかうでもなく、この場を楽しもうと笑っている。 「郷には従わなきゃ。ね?」  それに後押しされるように、地大は首を傾げて微笑み、シャンパンのグラスを煽った。  弾ける泡が喉を叩く。自分だけが忙しなく気持ちを上下させているようで虚しくなった。  ユウトに水を勧められている望と目が合い、地大は挑戦的に唇をつり上げる。 『ヒロくん』のエンジンがようやくかかってきた。

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