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第二話-1

 大人になった地大くんがどんな人になっているか楽しみです。  どんな人になっていても、地大くんのことを好きなままでいて、もっと好きになる自信があります。  もっともっとすごい人になっていたら、となりに並べるように、ぼくももっとがんばります。  だけど、すごい人になっていなくても、地大くんは地大くんです。ぼくの大好きな地大くんです。  たとえば、お金がなかったり、病気をしていたり、何かにこまっていたら、ぼくはぜったいに地大くんを助けます。  命をかけて、助けます。    * * *  水底のあたたかい泥から浮き上がるように、意識が浮上する。幸せな心地がする。  柔らかいマットレスの上で寝ていた。肌触りのいいシーツと枕、それに身体を包む締め付けのない服に、地大は目を開く。  見覚えのない天井は薄暗く、カーテンの隙間からほのかに光が差し込んでいた。 「あさ……?」  だるい頭を動かして、周囲を見回す。枕元にスマホと昨夜着ていた洋服が置かれていた。  自分のスマホだ、とわかると、地大はタップしてスリープ状態を解除する。立ち上がった画面には、十三時過ぎと表示された。 「……マジで」  十二時間以上眠っていたのではないか。知らぬ間に一日の半分が過ぎている恐怖とともに、バイトのシフトがない日でよかった、と地大は全身の力を抜いた。  地大は視線を動かして、自分の身体を見る。無地のTシャツとスウェットパンツを着せられている。  眠る前の記憶がどこで途切れたのか曖昧だ。しかし、望の性器をフェラチオして、喉の奥まで突っ込まれて、出されたものを飲み込んで……そこまでは、おそらく現実だった。  地大は静かに、スウェットパンツのウェストを持ち上げた。昨日履いていたボクサーパンツとは違う。布地や折り目から見て、新しいものを出してくれたのだろう。  ようするに、望のをしゃぶりながら、触れずに射精したのだ。地大の記憶がない以上、おそらくではあるが。 「マジでえぇぇ」  地大はわしわしと前髪を搔き乱す。  今更、恥ずかしさで泣きそうになった。  どんな顔をして望と会えばいいのかわからない。  再会したその日に口淫して、それで自分も達して、とんだ変態だ。  いや、変態っていうなら──  そこで、地大は家の中から自分以外の物音がしないことに気付いた。  飲みすぎた翌日の身体が重い。それを起こして、マットレスからおりる。  立ち上がると、借りたTシャツやパンツがぶかぶかであることがよくわかった。身長差もさることながら、身体の厚みも大分違う。ボクサーパンツのウェストや太腿がゆるく、ずり落ちてこないか心配になった。だが、そんなことは今はどうでもいい。  寝かせられていた部屋は本棚とデスクしかなかった。大方、書斎や客室なのだろう。ドアを開けて部屋の外に出る。  廊下へ出てすぐ右手にリビングダイニングの仕切り扉がある。開け放たれた先は、しんと静まり返っていた。ベランダの向こうには、とっくのとうに起きた街が広がっている。  深い色のダイニングテーブルに、ラップがかかった食器が置かれていた。生野菜のサラダ、ベーコンエッグと牛蒡の煮物、空の茶碗、そして箸がランチョンマットの上にセットされている。  その横に蛍光色のメモが貼られていた。整った字が規則正しく並んでいる。 『地大くん  昨日はすみませんでした。  服は洗濯しています。シャワーも使ってもらって構いません。  朝ごはんはこちらを食べてください。お米は炊飯器にあります。  出る時はオートロックなので、鍵はご心配なく。  あとでこちらに連絡くれると嬉しいです』  その下に、望の連絡先らしい携帯番号が書かれていた。  地大は、ダイニングの椅子に腰掛けた。起きたばかりで食欲はないが、添えられたメモを見つめて、昨夜のことを反芻する。  スーツ姿がさまになる大人の望の容姿を噛みしめる。かっこよかった。小学生の頃の面影を残しつつ、全てが完璧な所作だった。  そして、この部屋で行ったことも。  再会した日に想い人の竿を咥えて射精した地大も大概だが、幼なじみにイラマチオをして達した望も大概変態だ。  リビングでの行為の際、仄暗く笑って意地悪く罵ってきた望。喉奥を何度も突いて、傍若無人に地大の口の中を暴れた感覚を思い出し、地大は一瞬、胸に蜜が垂れたような甘さを感じた。  あれは、本当に望だったんだろうか? 酒や雰囲気に酔っていた? 地大に合わせただけ?  それとも──    * * *  小学生の頃の地大は、とにかく教師に注意されていた。 「こら、藍原さん! 席につきなさい!」  地大は昔からコツを掴むのが早かった。漢字を覚えるのも、計算をするのも、走るのもボールを扱うのも、最初の練習ですぐに習得してしまう。  くりかえし行われる練習や確認テストは、誰よりも早くさっさと終えてしまった。クラスメイトがうんうん唸るなか、声を掛けることもできず、ただ椅子の上でじっとしてることもできない地大は、教室を歩いたり学級文庫で品定めしたりしていた。  そうすると、当然のように教師は地大を窘める。 「終わってヒマだから」  と、先にテストを採点すれば満点なのだから、それは質が悪かっただろう。  大人は困ったかもしれないが、クラスメイトから地大は人気者だった。頭もいいし、足も速い。三年生の春にクラス替えをしたばかりでも、休み時間は友達を引き連れて校庭に出たり、教室でおしゃべりをしたりしていた。  地大が望のことが気になったのは、春が過ぎてしばらく経ってのことだ。  望は自席で本を読んでいることが多く、地大たち男子グループと校庭で遊ぶことはない。綺麗な顔立ちをしているから女子が話しかけることもあったが、かと言って望は女子と仲がいいわけでもなかった。 「あれ……久世、だっけ?」  地大が名前を頭から引っ張り出すと、一緒にいた友達は神妙に腕を組んだ。 「久世望なー」 「アレで『しゃちょー』の息子なんだぜ」 『しゃちょー』は偉い。偉いスーツを着て、偉い椅子に座って、偉い高いビルの最上階にいる。それが小学生の地大たちの認識だった。  机で静かに本を読んでいる望からはかけ離れた姿だ。 「『しゃちょー』の父ちゃんみたいにいばってりゃいいのに、オドオドしてさ。弱っちい」  友達の一人の言葉に、なー、と他の友達が同意する。 「どうして?」  地大は純粋にわからなくて、首を傾げた。 「どうして、って……え?」 「別にいばってなくても、オドオドしてても、いいじゃん」 『しゃちょー』の息子だからって、『しゃちょー』と同じことをしなくていい。地大だって、父親のようにのんびりしていなくていいし、母親のようにせかせかしていなくていい。 「え? そ、そうか? そうかも……?」  頭で必死に地大の言葉を考えながら、友達はぼんやりと納得する。  地大は望の方へと振り返る。横顔が少しだけ笑っているような気がした。あの本は面白いんだろうか。  足が速いわけでも、虫を捕まえるのが得意なわけでもない姿を、地大はかっこいいと思った。何が? どこが? と言われると、わからない。けれど、他の人よりキラキラしている気がした。

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