5 / 38
第5話 夜、少しだけ甘くなる距離
繁忙期の夜10時を過ぎたオフィス。
フロアに残っているのは、もう数人だけだった。
パソコンの光が、静まり返ったデスクを淡く照らす。
「……くそ、目がシパシパする」
日比野は椅子に背を預け、天井を仰いだ。肩は凝り固まり、資料チェックはまだ終わらない。
「おつかれさま」
高村がペットボトルのお茶を差し出し、机の上に置いた。
「少し休憩したら? 煮詰まってる顔してるよ」
「……ありがとう」
キャップをひねり、一口。冷たさが喉を落ちると、思わず息が漏れる。
「……なんか、もう疲れた。ずっと気張ってるからかな」
口をついて出た弱音に、自分でも少し驚いた。
高村は隣の椅子に腰掛け、穏やかな声で言う。
「そういうの、もっと出していいと思うよ」
「………そうかな」
「日比野、真面目だから余計に溜め込んでるんだと思う。愚痴でも何でも、言ってくれればいい」
その優しい声に、言葉が詰まる。
気づけば視線を合わせていて、高村の落ち着いたまなざしに胸の奥が温かくなる。
「……高村って、やっぱりすごいな」
ぽつりと漏らすと、高村は小さく肩をすくめた。
「すごい?」
「うん。…なんか、甘えたくなる」
自分で言って顔が赤くなる。今まで誰かに甘えたいなんて思ったことはなかった。
高村は微笑んで答える。
「…いつでも。甘えていいよ」
「………冗談で言ったんだって!」
慌ててお茶をもう一口。けれど、それが本音だと自分でも気づいている。
高村はそんな日比野を眺めていた。
肘を軽くデスクにつき、意味ありげな視線を向けながら。
日比野は気づかないまま、再びパソコンの画面に向かっていた。
ともだちにシェアしよう!

