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第15話 静かな月明かりの中で
月曜からいつもの仕事が始まり、妙にバタバタと忙しい日々。
新しいプロジェクトも動き出し、まとめるべき書類がどんどん積み上がっていく。
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水曜日の午後、会議用の資料をコピーするためコピー機の前へ。
厚い資料の束を機械にかけて、ぼんやりしていると——
「おつかれ」
声をかけられて顔を上げると、高村だった。
「うん、おつかれ。…じゃ」
日比野は微笑んで、コピーの終わった書類をまとめて持ち上げ、デスクに戻ろうとする。
「あ、待って。これ…」
取り残された資料に気づいた高村が、日比野の腕を軽く掴む。
その瞬間、バランスを崩してふらりと高村の肩にもたれかかった。
「!………あ、ごめん、ありがと…」
一瞬だけ目が合う。
けれど、すぐに逸らして資料を受け取り、足早にデスクへ戻った。
高村はその背中を少し眺めてから、またコピー機へと視線を戻す。
腕に、温もりが残る。
その感触を確かめるように、日比野は無意識にその場所を押さえた。
(……疲れてんなぁ。今日は早く帰ろう)
⸻
残業を終えて、ようやく荷物をまとめて席を立つ。
暗いフロアにはほとんど人の気配がなく、静まり返っていた。
「…おつかれ」
不意に声をかけられて、びくりと振り向くと高村がいた。
「うわ、びっくりした…まだいたの?俺、マジでホラーとか苦手なんだから…」
暗い通路を歩くだけでも内心びくびくしていた日比野に、高村が小さく笑う。
「疲れたね」
「…ほんと疲れた…。帰ってシャワー浴びて寝るだけの日々だよ、今週…」
肩を落とす日比野を見て、高村がふっと表情を変え、腕を取った。
「…ちょっとこっち」
そのまま連れて行かれたのは資料室。
棚には過去の広告キャンペーン資料や古いパンフレットなどが並び、奥のほうには段ボールが積み重なり、物置のようになっている。
もちろん人の気配などまるでない。
ブラインドの隙間から、月明かりだけが細く差し込む。
暗い部屋の中で、日比野は高村の腕に捕まった。
「…なに? こわいんだけど」
「…少しだけ」
そう言うと、高村は日比野をゆっくりと抱きしめた。
会社の中――人目がないとはいえ、背徳感に思わず息を呑む。
けれど驚きながらも、日比野は自然とその背中に腕を回していた。
慣れた温もりが、疲れ切った体にじんわりと沁みていく。
「…疲れた顔してたから。お互いチャージ」
高村の声は冗談めいていたけれど、その腕の強さが本気を物語っていた。
「…うん…」
日比野もそっと強めに抱き返した。
暗いからか、会社の中だからか――
それとも欲していた高村のぬくもりのせいか。
心臓の音がやけに大きくて、理由は自分でもよくわからなかった。
少し経って、日比野はそっと高村の腕から離れ、微笑んだ。
「…ありがとう。癒された」
高村は黙ったまま日比野を見つめる。
月明かりに照らされた瞳はまっすぐで、けれど微かに揺れていて、日比野は思わず釘付けになった。
高村の手がそっと日比野の頬に触れる。
顔がそっと寄せられて、その距離の近さに胸が跳ねる。
「…また週末。楽しみにしてる」
耳元に落とされた低い声に、ぞくりと体が揺れた。
「先に出るね。おつかれ」
そう言って高村は資料室を後にする。
残された日比野は、強く鳴る心臓を押さえて深く息をついた。
――なんだか、さっきの高村も、自分自身も、いつもと少し違う。
そんな気がして、しばらくの間その場から動けなかった。
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