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第20話 名前を呼んでみる
ソファの上で体を伸ばして、日比野が小さくあくびをする。
「晩ごはん、どうする? 今回は俺が作ろうか」
日比野の言葉に、高村は思わず顔をほころばせる。
「…いいの? 日比野のご飯食べたいな」
「まぁ、大したもんじゃないけど。料理はまあまあ好きだよ」
「そうなんだ。じゃあ食材買いに行く?」
高村が聞くと、日比野は少し頬を赤くしながら視線を逸らした。
「…いや、張り切って午前中に買い物行ったから、食材いっぱいある…」
その答えに高村は吹き出しそうになりながらも、胸の奥が温かくなる。
「嬉しい。俺のために買い物してくれてたんだ。ありがとう」
「…いつも高村の家行って世話になってるからな」
にこりと笑う日比野につられて、高村もやわらかく微笑み返す。
「手伝うよ。何かやることある?」
「いや、今日はいいよ。座ってて」
キッチンで動き回る日比野の背中を、ソファから高村は目を細めて見つめていた。
⸻
やがて、テーブルの上に料理が並ぶ。
湯気を立てる鶏もも肉の柚子胡椒焼きに、具沢山の味噌汁、ほうれん草と人参の白和え、簡単炊き込みご飯。
彩りが温かく、和風で懐かしさもありながらどこかおしゃれな食卓だった。
「わ、すごいね! お店みたい」
「…手の込んだものは作ってないよ」
「めちゃくちゃ美味しそう」
二人で「いただきます」と手を合わせる。
箸を動かしながら、高村はすぐに目を丸くした。
「……美味しい。日比野、すごい。料理上手」
その言葉に日比野の頬がほんのり赤くなる。
「口に合ったなら良かった」
「味付けもすごく好み。俺これめちゃくちゃ好き」
褒めすぎだ、と照れくさそうに俯きながらも、
「……ありがと」
と小さく返す日比野が可愛らしくて、高村はまた笑みを浮かべた。
ご飯を食べ終えると、高村が
「後片付けは俺にやらせて」
と言ったので、日比野は素直に任せてソファに腰を下ろした。
テレビをぼんやり見ながら、キッチンに声をかける。
「…あ、うちもゲームあるよ。やる?」
「いいね。やろう」
片付けを終えた高村がソファにやってきて、二人でコントローラーを手に取る。
「また勝った人の言う事を聞く、にする?」
「もちろん。今日はもう少しマシな内容にする」
「ふふ、俺が勝つけど?」
「いやいや、今回も俺!」
そうして夜のゲーム対戦が始まった。
⸻
「はい、俺の勝ちー」
「だあぁぁぁ、くっそ!惜しかったのに!」
結果は高村の勝利だった。
「……で、何にする?」
日比野に促され、高村は少し考えて、
「…名前呼びにしてみる? 今日と明日」
「……んえ? 名前?」
「そう。日比野が俺を名前で呼ぶ」
日比野はしばらく黙ったあと、観念したようにコクリとうなずいた。
「……わかったよ。やるよ」
一度咳払いをしてから、高村をじっと見て。
「……しょう…」
その瞬間、顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「わー! なんか…恥ずかしいな、これ…」
高村は思わずぼんやりしてしまう。
(……やばい。自分で言い出したけど、破壊力ありすぎ)
照れが大きすぎて思考が一瞬飛んでいた。
「…お前もやれよ。俺だけ言うのなんかやだし」
と日比野が言うので、高村は小さく息を吸い込んで。
「…さとる」
名前を呼ぶと、日比野はさらに顔を赤くして俯いた。
「………っ、恥ずかしい…なんだこれ…」
伏し目がちに頬を染めるその姿に、高村は目を細める。
(……可愛い。良いもの見れた。俺グッジョブ)
風呂を済ませて寝る準備を終えると、日比野がぽつりと口にした。
「…じゃあ寝るか」
寝室に入ると、間接照明の柔らかな光に照らされて、シンプルなベッドと、その横に布団が敷かれている。
「布団ありがとう」
微笑んで礼を言う高村に、日比野は肩を竦めた。
「客用布団、一組しかないからさ…」
そこで一瞬言葉を止め、視線を逸らす。
「…? どうかした?」
「いや、なんでもない」
そう言ってベッドに上がる日比野を見て、高村は思わずくすっと笑った。
「わかった。一緒に寝られないのが寂しいんだ?」
「…お前が寂しいんじゃないかって思っただけ」
むすっとした顔で見下ろす日比野に、高村は布団の上から手を広げる。
「寂しいよ。…一回こっち来て」
少し赤くなりながらも、日比野は布団に降りて高村の膝に腰を下ろす。
向かい合って、自然に抱きしめ合った。
「…さとるは全然寂しくない?」
高村が優しく問いかける。
「…………寂しい」
視線を逸らし、頬を赤らめながらぽつりと答える日比野。
「はは、可愛いね、さとる」
「…名前呼ぶの、ずるい」
「嫌?」
「…違う、なんか…むず痒い」
「俺は呼んで欲しいけど」
高村の言葉に、日比野はぎゅっと首に抱きついてきた。
「…………しょう…やっぱり俺もこっちで寝ようかな」
耳元で囁かれ、高村は思わず息を詰める。
(猫…このコは猫ちゃんだ…落ち着け、俺…)
頭の中で必死に繰り返し、気持ちを整える。
「…一緒に寝る?」
問いかけに、日比野は顔を上げ、こくんと頷いた。
日比野が自分の枕を取って、高村の隣に並べる。
二人で布団に入ると、シングルサイズでは距離が近すぎて息づかいまでわかるほどだ。
「……やっぱり狭いね。こんなに顔が近い」
高村が笑うと、日比野は小さく呟いた。
「抱きついて寝れば、狭さ気にならないかも」
その言葉に高村は思わずどきりとする。
「…抱きついて、ね。いいよ、ほら」
そう言って腕を伸ばし、日比野の肩を抱いた。
日比野は高村の胸元にすっぽりと収まり、自然に抱きしめ合う形になる。
「息苦しくない?」
「ん、平気」
「…あったかいね」
「うん、あったかくて…きもちいい」
すり、と胸に擦り寄ってくる仕草が可愛すぎて、高村は目を閉じた。
(猫ちゃん…猫ちゃん…)
頭の中で必死に復唱する。
(…これ寝られるかな?…いや、寝るしかない。無理矢理にでも…)
胸の中の可愛い生き物を直視しないようにして、かろうじて声を出す。
「…じゃあ、おやすみ」
日比野は顔を高村の胸に埋めたまま、かすかに囁いた。
「……おやすみ、しょう…」
――ぐっ……。
言葉も息も詰まり、高村は思わず目を開ける。
すでに眠りについたのか、安堵した寝顔を見せる日比野がそこにいた。
(…こんなに安心しきってるのに、裏切れるわけない)
そう自嘲しながら、静かに息をはいた。
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