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第33話 終わりを告げるコーヒーの香り
金曜の退勤間近、日比野のスマホに高村から連絡が入る。
『今日帰り空いてる?話がある』
いつもは土日に会うから金曜の夜に会うのは珍しいな、と思って返信する。
『空いてるよ。飲みに行く?』
すると少し間があってから
『俺は飲まないけど、日比野が飲みたいなら、居酒屋にする』
と帰ってきた。
飲むわけでもなくて話だけ…?
なんだろう?と首を傾げながら返信した。
『俺も別に飲まなくて大丈夫。高村の好きなところで』
と返しておいた。
しばらくして、カフェの住所が送られてきた。
晩御飯を食べるわけでもないらしい。
不思議に思いながら、あと少しの仕事を片付け始めた。
⸻
日比野がカフェに着くと、もう高村が来ていた。
「…ごめん遅かった?」
「いや全然。俺が早めに来たから」
少しだけ微笑んだ高村に、日比野も微笑み返す。
スーツ姿のまま二人でカフェに入るなんて、今までなかったな…と日比野はぼんやり思った。
高村の前にはすでにコーヒーが置かれていて、日比野も同じくコーヒーを頼む。
店員さんが日比野のコーヒーをテーブルに置いていなくなるまで、高村はじっと日比野を見ていた。
コーヒーを一口飲んで、やっと日比野は高村の視線に気づく。
「……、そうだ、話って?」
ソーサーにカップを置いて日比野が聞く。
高村が少しだけ目を伏せて言い淀んでいるのがわかった。
(…なんかいつもと違う…?)
そこでようやく日比野は思い至る。
(……もしかして、あの話…)
中野から聞いたこと。自分では聞けなかったこと。
急に心臓がバクバクと大きな音を立て始める。
高村がようやく口を開いた。
「…この前、日比野が言ってた、中野から聞いたっていう話…」
「…………うん」
「…それって、俺の話のこと?」
伺うように日比野を見る高村と目が合って、日比野は何も言えずにいた。
日比野の様子を見て、高村がまた少し目線を逸らす。
「…やっぱり、そうなんだ…」
何か言わなきゃ、と日比野は口を開いた。
「…あ、でも!俺、全然気にしてないっていうか、今までと何も変わらないって、思って…」
自分でも何を言っているのかよく分からなくて、途中で止める。
日比野の言葉に、高村は寂しそうな表情で少し微笑んだ。
「……うん、ありがとう。日比野の気持ちはわかったし、そう言ってもらえるのは……嬉しい。
けど、俺としては、やっぱりケジメをつけなきゃいけないって思って」
高村と目が合う。
「…もう、会うのはやめたほうがいいのかなって」
一瞬、空気が止まった気がした。
「………」
胸が締め付けられるように痛い。
日比野は口を開きかけたが、声が出なかった。
「今まで、本当にありがとう。楽しかったし
癒されたし…すごく大事な時間だった」
やさしく笑って立ち上がる。
「…それじゃ、俺、先に帰るね」
高村は会計のレシートを取って席を立ってしまった。
声をかけたいのに、追いかけたいのに、体のどこも動かなくて、日比野はしばらくそのまま座っていた。
何も言わないまま、終わってしまった。
高村の少し寂しそうな顔とコーヒーの香りだけが頭の中をぐるぐると巡っていた。
⸻
高村は、ただ黙々と歩いていた。
カフェから家まではそこそこ距離があるけれど、夜風に当たって歩くことでしか、この気持ちを鎮められそうになかった。
思い出すのは、困ったように黙って自分を見つめる日比野の顔。
『…あ、でも!俺は全然気にしてないっていうか、今までと何も変わらないって…』
(…わかってる。
日比野にそういう気持ちがないことなんて、
最初から全部わかってたことだ。
……でも…やっぱり、つらいな…)
夜空を仰ぐ。雲もないはずなのに、星は見えない。
高村はふっと息をはいた。
自分で決めたはずだった。
もう抱きしめることも、頭を撫でることも、家に行くことも、一緒にゲームをすることも出来ない。
そう思うと、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
明日からの週末をどう過ごせばいいのか、考えようとしても浮かぶのは日比野の顔ばかり。
どうしても消えないその姿に、しばらくは立ち直れそうになくて。
そんな自分に、少しだけ苦笑した。
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