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第34話 ただの同期に戻るだけ

土曜の昼、日比野はぼんやりとソファでテレビを見ていた。 正確には、テレビをつけてただぼんやりと座っていた。 昨日の夜、どうやって帰ってきたのか覚えていないけど、ちゃんとスーツを掛けてシャワーにも入りベッドで寝ていた。 ぐぅぅぅぅぅ… そういえば、昨日の夜も今日の朝も何も食べてない。 「……なんか、食うか…」 キッチンにふらふらと歩いていく。 いつもなら、この時間は高村が買ってきた美味しいご飯を一緒に食べていた…そう思い出して頭を振った。  (もう、忘れなきゃ…) ヤカンを火にかけて、ぼんやりとする。 高村から言い出したら喜んで送り出そうと思っていたはずなのに。 結局何も言えずに終わってしまった。 (こんなにもあっけなく終わっちゃうんだな、 俺達の関係って…) ヤカンがピーッと鳴って、ハッとして火を止める。 カップラーメンにお湯を入れて、箸と一緒にテーブルへ運ぶ。 (…あ、ゴルフ、一緒に行くって約束してたのにな…出来なくなっちゃったな…) (…でも服のお礼は出来たから良かった…) (…あぁ、あの置物…見に行けなかったな…) (……いや、そもそも飾ってないか…箱に しまってるかも) (…もっと違うものあげたら良かったなぁ…) 蓋を剥がして箸で麺をほぐして、一口食べた。 味気ない麺を頬張りながら、日比野は窓の外を眺めた。 午後もぼんやりとどう過ごしたかわからない時間を終えて夜。 ベッドの中で日比野はふと思った。 (…高村、好きな人とうまくいきそうなのかな…) 「もう会わない」と言われたのは、きっと週末の時間をその相手に使うからだ。 …そうなんだろうな。なら、良かったんだろう。 そう思おうとするのに、なぜか胸が痛い。 この寝室の床で二人で並んで眠ったことを思い出す。 手を繋いだり、後ろから抱きしめられたり―― そのぬくもりに安心したり、どきどきしたり。 (…でも、それはもう俺のものじゃなくて。 高村の好きな人に、あげてるんだ…) 胸の奥がぎゅーっと締めつけられる。 気づけば目尻から涙が溢れていて、慌てて手の甲で拭った。 (…なんで…涙なんか…) やさしく甘やかされるのにすっかり慣れてしまっていた。 それが急になくなった喪失感で、今は寂しさを感じているだけ。 それだけだ。 一人のベッドは冷たくて、ギュッと丸まりながら、眠気が来るのを待つしかなかった。 ⸻ ――月曜の朝。 デスクに着いた瞬間、既に出勤している高村の姿が目に入ってドキリとする。 「おはよう」 高村はいつも通りに声をかけてきた。 「……おはよう…」 胸がきゅっと痛んで、少し目を伏せたまま挨拶を返す。 すぐに自分のデスクに腰を下ろし、背を向けるように座る。 誰にも分からないように、そっと息をはいた。 ――何も気まずいことなんかない。ただの同期に戻っただけ。 普通に振る舞えばいい、それだけなのに。 なのに夜に流した涙が、その“普通”を許してくれなくて。 早く時が過ぎて、全部忘れられればいいのに。――そう願わずにはいられなかった。 ⸻ 日比野が背中を向けて座っているのを、高村はチラリと見ていた。 (…あまり見てると、変に思われる…) すぐにパソコンに向かい直して、仕事を進める。 日比野が席を立って上司と話している姿が目に入る。 真面目な仕事の話かと思えば、わははと笑っていたりして、うまくコミュニケーションを取ってて流石だな、なんてつい見入ってることに気づいて、慌ててパソコン画面に顔を戻した。 フラれたのだから早く忘れればいいのに…自分でもそう思うけれど、なかなか簡単にはいかないようだった。 叶わないとわかっているのに、諦めることも出来ず胸が苦しいなんて、今まで感じたことのない痛みだった。 思っていたよりずっと本気だったのだと、離れてみてより一層思い知る。 仕事に支障は出さないように、軽く息をはいて集中することにした。

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