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第38話 会いたい、なんて言えない
休日。
静かで、なんの予定もない午前。
掃除や洗濯などを済ませてひと息つき、高村はリビングのソファに座った。
気づけば、ラックに置いているあの2匹の置物を見つめていた。
日比野が買ってプレゼントしてくれた黒猫と大型犬の可愛い2匹。
対で売っていたわけでもないのに、不思議と寄り添うのがしっくりきていて、見ていると癒される。
最近、ここに座ってその2匹を眺めている時間が増えていることに気がついた。
(…いい加減、切り替えろよな…)
そう自分に言い聞かせても、ソファに座ってゲームをしたり、一緒にご飯を食べたり、昼寝しているのを抱きしめて撫でた柔らかい髪の感触さえ思い出せてしまう。
この部屋には日比野との思い出が多過ぎて、胸の奥のざわつきがどうしたって抜けない。
仕事中にも指が触れただけで、そんな些細なことでも胸が疼く自分を、どこか冷静に軽蔑していた。
スマホを手に取り、連絡先の画面を開く。
――名前のところで親指が止まる。
話したい。
会いたい。
声が聞きたい。
けれど。
(連絡したら、日比野を困らせるだけ)
望んじゃいけない。
画面を伏せて、深く長い息をはいた。
⸻
同じ頃。
日比野は床に寝転がりストレッチをしていた。
休めてるはずなのに、なぜか休日になるとよく眠れていないことに気づいて、対策を練ろうとあれこれ考えていた。
(運動とか、してないからかもな)
ジョギングでもしてみようか?いやいきなり始めたら逆に体痛めそうだし…
ジムにでも行ってみようか。…どこが良いか知らないしな…誰か教えてくれないかな。
(…高村)
高村なら知ってるかも。
起き上がり、テーブルの上のスマホを手に取って連絡先の画面を開く。
高村の名前のところで指が止まる。
(……ジムのこと聞くくらい、普通にする、よな?同期だし…)
ただ『良いジムとか知らない?』って送ればいいだけなのに。
何故だか送れない。
(……もしかしたら、今は誰かと一緒に過ごしているかもしれないし、邪魔しちゃいけないし)
スマホをテーブルに戻して、深く息を吸って、また床に寝転がった。
⸻
高村は、置物と一緒に日比野からプレゼントされた入浴剤を使うことにした。
一つも使えずにしまってあった入浴剤をクローゼットから一つ取り出す。
使ってしまったら、日比野との思い出も全部無くなってしまう気がして、使えずにいた物だ。
(我ながら女々し過ぎて嫌になるな…)
自嘲してクローゼットの扉を閉める。
もし日比野に知られたら
『いや、使えよ!癒しグッズだから!ちゃんと癒されろ』
と頬を膨らませて言っているところまで想像してまた少し笑った。
ちゃんと全部使い切れば、自分の気持ちも全部無くなってくれるだろうか。
そんなことを思いながら、浴室へと向かった。
袋を開けて中身を浴槽に入れた。
入浴剤の粉がゆっくりと広がっていく。
乳白色のやさしい濁りが透明なお湯にじわじわと浸食していく。
消えることはない、ますます広がっていくだけなその色が、日比野への思いと繋がっているようで、後ろめたい気持ちで目を伏せた。
諦められるんだろうか。
このまま、抑え込んでいけるだろうか。
こんなことをいつまでも考えているうちは無理なんだと、白い湯が揺れて伝えているようだった。
⸻
夜になって、布団に入っても眠れない。
日比野は暗い部屋の中で、目を閉じたまま思っていた。
(…一人で寝るのが寂しい、なんて…そんなこと思うなんてな…)
二人でなら、手を繋いだり抱きしめてもらって、ぐっすり寝られたのに。
(ドキドキして寝られないかも、なんて思ってたのに、結局寝ちゃったんだよな…)
思い出してちょっと微笑んでいる自分に気づいて、慌てて表情を戻す。
誰が見ているわけでもないのに、そんなことをしている自分に笑いそうになった。
あんな日がずっと続くんだと思っていた。
続けばいいなと願っていた。
今は一人。
頼りたいのに、頼れない。
甘えたいのに、甘えちゃいけない。
連絡したら楽になる。
話せたらきっと笑える。
ただ一言でいいのに。
「元気?」
「今何してる?」
そのどれもが、今の自分には重すぎた。
二人の夜は、やさしさのすれ違いだけを残して
静かに、重く更けていった。
会いたいなんて、
触れたいなんて思わなければいいのに。
その気持ちだけが今日も一番鮮明だった。
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