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第45話 踏み出す前の一瞬

LUNARIA新作フレグランス『オー・ド・クラージュ』。 テーマは “好き、という勇気。” 今日は、そのテーマをどう表現していくか── 代理店《LUXE CREATE》と制作会社《シード》が、初めて本格的に意見を交わす日ーーコンセプト開発ミーティングが《LUXE CREATE》 の会議室で行われていた。 「では、今日は“コンセプトの言葉”をもう少し掘り下げていければと思います」 会議室の中央で、高村が進行役として口を開いた。 壁には前回の一次提案で使ったスライドが再掲されていた。 「では日比野から、一次提案時の意図を簡単に整理してもらえますか?」 「はい」 軽く頷き、日比野が話を引き取る。 「“好き”という言葉って、恋愛だけじゃなくて、“自分を認める勇気”にも通じると思うんです。 誰かを想うことも、自分を信じることも、同じ“好き”の延長線上にある。 だから今回のキャンペーンでは、“香りがその勇気をそっと後押ししてくれる存在”でありたい──というのが、ベースの考えです」 テーブルの上の資料をめくりながら話す日比野の声は、静かで真摯だった。 その姿を、柏木潤が真っ直ぐ見つめている。 彼は少し身を乗り出し、穏やかな笑みを浮かべた。 「その、“そっと後押ししてくれる”っていう表現、すごくいいですよね。 勇気を鼓舞するんじゃなくて、背中に手を添えるような。 ……なんだか、香りの性格にすごく合ってる気がします」 「ありがとうございます。…僕も、“強くなれ、頑張れ”っていうよりは、“そのままでいいよ”に近いと思ってて」 「わかります。僕も“香り”って、変化より“肯定”のほうに近い気がする」 二人の言葉が自然に重なった。 空気が一瞬やわらかくなる。 それを横で見ていた高村は、メモを取りながら軽く咳払いをした。 「……なるほど。  “鼓舞”じゃなく“肯定”。それは映像のトーンにも影響しますね」 柏木は頷き、少し考えるように指を組んだ。 「はい。たとえば──  大きな行動の“あと”じゃなく、“前”を切り取る映像にしたいです。  動く前の一呼吸とか、光のゆらぎとか。  その一瞬に、勇気って宿る気がして」 「……“動く前の一瞬”、か」 日比野がぽつりと呟く。 「そのためらいの中にも、勇気はあるってことですよね」 日比野の言葉に、柏木は穏やかに頷く。 「そう。ためらうってことは、“何かを大事にしてる”ってことでもあるから」 その目が、どこか優しく日比野を捉えていた。 日比野も同じように微笑みを返す。 二人の視線が自然に交わる一瞬。 高村は、それを視界の端で捉えて、ペン先を止めた。 「……では。今日はその“静かな勇気”を軸に進めていく、ということでよろしいでしょうか」 高村がまとめに入る。 柏木が「ぜひ」と頷き、資料を閉じた。 ⸻ ミーティングが終わり、他のメンバーが次々と退出していく。 いつもは一緒に出る高村が、誰かに呼ばれて足早に会議室を出て行った。 資料をまとめていた日比野がふと顔を上げると、まだ柏木が残っていた。 「日比野さん、ちょっといいですか?」 「はい?」 柏木は軽く笑ってから、手元の資料を見せる。 「今日のミーティングで出してくれたアイデア、すごく良かったです。クライアントも興味持つと思う。」 「…ありがとうございます。あまり上手く説明できてなかったかもしれません」 「でも、言葉になりきってないくらいの方が、 “これから一緒に作っていけそう”って感じがして、僕は好きですよ。」 日比野が少し目を丸くする。 柏木は穏やかな口調のまま続けた。 「……日比野さんって、もしかして悩んでます?」 「…はい?…それは勿論、企画の内容とかは考えて悩んでますが…?」 柏木は少し首を傾げるようにして、穏やかな声で続けた。 「今日のミーティングでの言葉選びが、少しだけ個人的に聞こえたというか。 “好き”っていう言葉に、迷いが滲んでる気がして。 あくまで、僕の勝手な印象ですけどね」 あまりに核心に近い言葉に、日比野の胸が一瞬きゅっと詰まった。 心臓が、ひとつ大きく跳ねる。 「……え……そんなふうに、見えましたか…?」 思わず自分の顔に手を当てる。 柏木はそれを見て、ふっと笑った。 「言ったでしょう?僕、人を見るのが得意なんですよ。職業病かもしれません」 「…そうなんですか…すごいんですね…」 少し頬を染める日比野を柏木は楽しげに見ていた。 「…日比野さん、やっぱり思った通り面白い方ですね」 「え?」 柏木は少し日比野に近寄って微笑む。 「日比野さんの話、色々聞きたくなってきたな。今回の企画にも繋がる気がします。でしょ?」 日比野は柏木にするりと距離を詰められて、しかし嫌な気持ちにはならず、こくりと頷いた。 その様子に柏木は優雅に微笑む。 「いつでも、話聞かせてください。相談にも乗りますよ。仕事以外の内容も」 「……」 「それでは、また」 軽やかに手を上げて柏木が去っていく。 日比野は少し呆然としつつ、資料を片付け始めた。 ⸻ 日比野が会議室を出ると、高村が戻ってくるのと鉢合わせる。 「ごめん、片付けとか任せちゃって」 「全然。気にしなくていいのに」 高村が少し目線を逸らしてから話し出す。 「……さっき、柏木さんとすれ違ったんだけど…。何か話してたの?」 日比野はドキリとしながら、手元の資料に目を落とした。 「え? ああ、…アイデアが良いですね、とか…そんな話…」 「そっか…」 まさか高村とのことで悩んでいたのを言い当てられました、とは言えず、日比野は曖昧に笑って答えた。 高村はその笑顔を黙って見つめていた。 「なんか、柏木さん…思ってたより凄い人だったな。アイデアとか言葉選びも良いよな。動く前の一瞬の勇気とか、ためらうってことは、何かを大事にしてるってこと、とか…」 饒舌な日比野に、高村は少しだけ眉を寄せた。 「…へぇ。気が合いそうなんだ」 「え? あ、そうなのかな?よく分からないけど、映像の雰囲気はなんとなく見えてきたよ」 仕事のことしか考えていない真面目な日比野の答えに、高村は小さく微笑む。 会議中、柏木の視線が日比野を捉えているのを高村は見ていた。 日比野は何も気づいていないようだが、柏木は明らかに日比野に興味を持っているようだった。 それが、仕事としての興味なのか、それとも別の何かなのか…まだ分からないけれど。 なんだか妙な胸騒ぎを覚えて、少し先を歩く日比野の背中を見つめていた。

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