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第46話 幸せと、不安のあいだ
その日は、珍しく待ち合わせをして外に出た。
映画館のロビーは、休日らしい人の気配で満ちている。
ポップコーンの匂いと、ガラス越しに差し込む午後の光。
「久しぶりだなー映画館!楽しみ」
日比野がパンフレットを見ながら嬉しそうに言う。
そんな日比野の横顔を見て、高村は目を細めて微笑む。
「今日も寝ちゃうんじゃない?」
「いや、家で寝ちゃうのはお前があったかいからなの!映画館は大丈夫!」
日比野の力強い言葉に高村は小さく笑う。
映画は静かな中にもドラマ性がある作品だった。
大きな事件が起きるわけではないが、登場人物達が何かを決断する、そして少しずつ変化・成長していく様を丁寧に描いていた。
エンドロールが流れる中、日比野がぽつりと言う。
「……良かったな」
「うん」
それ以上、言葉は要らなかった。
⸻
晩ご飯は、映画館の近くの小さな洋食店に入った。
混みすぎてもいなくて、落ち着いた照明の店内。
「外で食べるのも、たまにはいいなぁ」
日比野はそう言いながら、フォークを口に運ぶ。
「ふらっと入ったけど、美味しいね、ここ」
高村が微笑む。
「な!俺のナポリタンも美味いよ。食べる?」
「じゃあ、俺のビーフシチューもどうぞ」
二人で顔を見合わせて、くすっと笑う。
食べ物を互いに味見したり分け合ったりするのが、いつの間にか当たり前になっている。
そんな空気がなんだか良いよな、なんて日比野は思って少しだけ口元がにやけた。
帰り道、駅に向かう途中で、日比野の足取りが少しだけ遅くなった。
家で会う時なら、いつもは泊まっていくことが多い。
でも今日は、特に泊まる約束はしていない。
このまま駅に向かえば、そこで解散となるのはわかっている。
「……今日さ」
「ん?」
「やっぱり…甘えたい、かも」
独り言みたいな声だった。
高村は立ち止まり、日比野を見る。
日比野は照れたように少し目線を下げている。
冗談でも、軽口でもないのがすぐにわかった。
(…本当に、どこまで可愛いんだか…)
高村は日比野に気づかれない程度に少しだけ息をはいた。
「……じゃあ、日比野の家に行ってもいい?」
「うん」
即答だった。
⸻
日比野の部屋は、いつもと変わらない。
電気をつけて、上着を脱いで、ソファに座る。
その流れの中で、日比野は突然、高村にぎゅっと抱きついた。
「……疲れてたわけじゃないんだけどさ」
高村は何も言わず、背中に腕を回す。
日比野の体温が、じわっと伝わってくる。
「いや、やっぱり疲れてるのかな?」
「ふふ、どっち?」
「…毎週無いと落ち着かない、なんか」
日比野の不意の言葉にドキリとさせられる。
ゆっくり頭を撫でると、日比野は安心したように目を閉じた。
しばらくそのままで、言葉もなく過ごす。
特別なことは何も起きない。
それが、今の二人にはちょうどよかった。
その後、それぞれ風呂に入り、寝る準備をして布団に入り電気を消す。
並んで横になってから、日比野が少しだけ間を置いて言った。
「……もう少し、くっついて寝ても、いい?」
「…もちろん。いいよ」
日比野は高村に寄り添うように身体を寄せる。
自然な動きで、互いに横向きの向かい合わせになり、日比野は胸のあたりに顔を埋めてくる。
無防備だった。
呼吸のリズムも、体重のかかり方も、「おやすみ」の言葉の響きも。
「信頼している」という事実だけで成り立っている距離。
高村は、その背中にそっと腕を回す。
――幸せだ、と確かに思った。
それと同時に、理由のわからない不安が胸の奥に沈む。
この人は、こんなふうに誰かに身を預けられる。
今は自分だけに向けられている、その無防備さが、
いつか別の場所へ向く可能性を、何故だか考えてしまう。
日比野の寝息が、少しずつ深くなる。
安心しきった重みが、腕の中にある。
高村は、その温度を逃がさないように、抱きしめる力をほんの少しだけ強めた。
幸せと、不安。
どちらも手放さずに、そのまま目を閉じる。
夜は、静かに更けていった。
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