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第49話 答えの出ない朝

朝の光がレースカーテンを通って部屋に差し込んでいる。 休日の、遅めの朝。 眠れないでいたが、隣のぬくもりを感じながらやはりなんだかんだで眠ってしまっていた。 隣を向くと、既に高村の姿はない。 (…もう、起きてるのか) 日比野は、昨日の夜の出来事を思い出す。 息が交わって、あと少しで——触れてしまうところだった唇。 日比野は枕に顔を押しつけ、呻いた。 (……夢じゃないよな) 喉の奥が熱くなる。 “寸前”で止まったのは高村だ。 止められてよかったのか、止められたのが苦しいのか、それすら整理できずに、じたばたと足を動かして必死に昨日のことを頭から追い出した。 ⸻ リビングに入ると、高村がキッチンに立っているのが見えた。 フライパンから小さな音が上がる。 「…おはよう」 声をかけると、高村は軽く笑って顔を上げた。 「おはよう。起きた? もうすぐできるよ」 穏やかに言うのに、視線がすぐにフライパンに戻される。 昨日のことを思い出しているように見えなくもない。 その“避け方”に、胸の奥がちくっと痛んだ。 「俺も何か手伝う」 そう言ってキッチンに近づく。 いつもみたいに、隣に立って、皿を並べたり、コーヒーを淹れたり。 そういう時間が好きだったから。 でも——ほんの半歩近づいただけで、高村の肩が、わずかに強張った。 「……じゃあ、このお皿とか、出してくれる?」 少しだけ、間を置いた頼み方。 その“間”が、昨日の答えだとすぐにわかってしまう。 触れたくないわけじゃない。 むしろ——意識しすぎて、触れられないだけだ。 「うん、わかった」 いつも通りを装って答える。 高村が棚から皿を取り出す。 日比野が受け取ろうとして高村の手と触れそうになった瞬間—— 高村は、ほんのわずか、触れない距離を作った。 避けられた、のではなく “傷つけまいと、避けようとしている”のだと、痛いほど伝わった。 胸の奥がぎゅっと苦しくなる。 (そんなに……気をつけなくてもいいのに) 昨日のキス未遂は、事故でも勢いでもなかった気がする。 でも、高村は距離を取ることで、なかったことにしようとしている、のかもしれない。 テーブルに皿を置きながら、小さく息をはく。 この距離はむしろ——大事にしてくれてる証拠なのかもしれない。 なら、なんで痛いんだろう。 (俺……高村のこと…) ふいに胸の真ん中が熱くなる。 嬉しいはずなのに、胸の奥が苦しい。 「出来たよ。食べようか」 声は優しいのに、どこか距離を測っている。 日比野は、小さく笑って「うん」と答えた。 触れられない距離。 避けたいわけじゃなく、慎重に避けてしまう距離。 それがたまらなく切なくて—— この朝の空気まるごと、胸に刻まれるようだった。 ⸻ 昼近くになって、食器も片付いて、なんとなくテレビの音だけが部屋に流れている。 会話はするけど、どこかぎこちなさが残ったまま、穏やかな時間が過ぎた。 「そろそろ帰ろうかな。明日からも忙しそうだし」 日比野が冗談めかして笑うと、高村も軽く微笑む。 カバンを持って玄関まで歩く。 なぜか心臓がずっとうるさい。 (本当は帰りたくない) 言えるわけないのに、胸の奥で繰り返してしまう。 高村は玄関脇に立って黙って日比野の様子を見ている。 日比野は、スリッパを脱いで振り返った。 「……今日、ありがとう。朝飯とか」 「うん」 「…そろそろ忙しくなるから、次の週末は仕事かも、な」 「…そうだね」 返事は柔らかいのに、どこか距離を測るようなニュアンスが消えない。 その空気のまま「じゃあ」と帰ることもできたはずだった。 でも——ほんの一瞬、目が合った。 何かを確認するような、探るような、触れたら壊れるものを抱えているみたいな目。 気づいた時には、互いに半歩だけ近づいていた。 理由なんてなかった。 偶然だったのか、しばらくこうして会えない寂しさなのか、それすら判断できないほど自然に。 肩と肩の距離が、触れるか触れないかのところまで近づく。 息が止まる。 昨日の夜が一気に蘇る。 高村の視線が日比野の目元と口元のあたりで揺れた。 触れたいのに触れられない――その迷いがそのまま呼吸に滲んでいるのがわかる。 高村の喉が小さく上下する。 「……気を、つけて帰って」 それだけを、押し出すみたいに言った。 日比野は短く息を呑んで、目元だけで笑う。 「うん。またな」 本当は“週末じゃなくても、会いにきていい?”と聞きたかった。 でも言えない。 高村が体を少し引いて、扉のロックを外す。 ガチャッという音が、やけに大きく耳に残った。 玄関を出たあとも、ふと振り返りたくなる。 でも、答えをまだ出していない自分がそれをやるのはいけない気がして——できなかった。 扉が静かに閉まる。 高村もまた、扉の向こう側に背を預けて息をはいていたことを、日比野は知らない。

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