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第50話 一歩、届かない距離

ビジュアルラフの会議は佳境を迎えていた。 LUNARIA「オー・ド・クラージュ」── 『好き、という勇気。』 恋に限らず、小さな一歩だって胸を張れる勇気。 柏木がまとめた案は、評価が高い。 もう最終稿に近づいている。 全員の雰囲気に「これで決まりだな」という空気が満ちていた。 ⸻ 会議が終わり、資料を片づけるため全員がバラける。 制作側も皆帰り支度をする中、柏木が自然な仕草で日比野の方へ歩み寄る。 「日比野さん。今日の夜、空いてます?」 声のトーンはあくまで穏やか。 それでも、高村の耳にははっきり届いた。 日比野は特に警戒もなく、 「はい、特に予定は」 と応じる。 柏木は少しだけ楽しそうに目を細める。 「この前の話の続き、聞かせてほしいな。 悩んでるって言ってた話。」 「……ああ、その」 曖昧に笑う日比野。 高村の呼吸が、わずかに止まる。 柏木は続ける。 「詳しく聞かせてくれたら、 俺の方でも何かアイデアが浮かぶかもしれないなって思ってね」 仕事の話の延長上としての誘い。それは勿論わかっている。 でも、日比野そのものへ興味を感じている言い方に高村は心がざわつく。 「ぜひ。行きましょう」 日比野はそう答えていた。 「良かった。じゃあ後で」 柏木は満足そうに頷き、先に部屋を出ていく。 ⸻ 柏木達制作スタッフが会議室から出ていくと、日比野と高村の二人だけが残った。 静寂の中、日比野が何でもない風に口を開いた。 「今日、柏木さんと飯行ってくる」 言葉に棘なんてない。 ただ事務的でもなく、普通の世間話のトーン。 それなのに、高村の返答は、すぐには出てこなかった。 沈黙。 ほんの数秒なのに、やけに長い。 「…楽しんできて。制作側との関係作り、大事だし…」 そこで高村は視線を落としたまま、言葉を切った。 続く言葉を飲み込んで高村は口を結ぶ。 本当は行ってほしくない、そう言ってしまいそうだった。 歯切れの悪い高村の言葉に、日比野は高村のほうを見る。 「……高村も来る?」 あまりにも邪気のない返答に高村は笑う。 「いや、俺は大丈夫。…飲みすぎないようにね」 交わす言葉はどこまでも穏やかで、それゆえに胸が痛い。 二人の笑みがふっと揺れて、そこで会話が止まった。 日比野のスマホが机の上で小さく震え、通知が光る。 柏木からだ。時間の確認のメッセージ。 高村は何も言わない。 日比野もすぐには触れない。 沈黙だけが、二人の間に落ちた。 バイブはやがて止まり、静けさが残る。 目が合ったまま、時間だけが過ぎていく。 たった一歩近づけば届く距離なのに、どちらも動けなかった。

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