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第54話 成功という静寂
スタジオに入った瞬間、空気が切り替わる。
朝の光はまだ低く、白ホリに落ちる影は柔らかい。
機材の配置、照明の角度、スタッフの動線。
高村は視線を巡らせながら、頭の中で確認を終えた。
「高村、これ最初の立ち位置で行く」
日比野の声が飛んでくる。
迷いのない、まっすぐな声。
「了解。いけると思う」
返した声は、落ち着いていた。
判断に引っかかりはない。
——撮影が始まる。
最初のカット。
モデルが顔を上げ、視線がカメラに入った、その瞬間。
スタジオの空気が、すっと締まった。
光が柔らかい。
けれど、ぼやけていない。
芯が、ちゃんと残っている。
高村はモニターを見つめたまま、無意識に呼吸を整えた。
修正を入れる準備をしていた手が、自然と止まる。
「……いいな」
思わず零れた一言だった。
日比野が、ちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬。
けれど、その視線には確かな手応えが滲んでいた。
日比野自身も、モニターから目を離していない。
表情は変わらないが、胸の奥で小さく息をはく。
(……大丈夫だ)
頭の中で、そう確認する。
狙っていたラインに、ちゃんと届いている。
柏木が決めた構図。
日比野が詰めた演出。
モデルが、それに応えている。
現場が、噛み合っている。
高村は全体を見渡しながら、必要な指示だけを出す。
カメラ位置、カット割り、次の展開。
判断は早く、修正は最小限。
クライアントが求める“商品としてのライン”も、外していない。
撮影はテンポよく進んだ。
途中、日比野が柏木に短く合図を出す。
柏木がそれを受けて、ほんの数センチ、立ち位置を変える。
そのやり取りを見ながら、高村は内心で頷いた。
(いい判断だ)
出しゃばる必要はない。
今は、それぞれが自分の役割を果たしている。
最後のカットが終わる。
「……OKです」
高村の声に、スタッフの緊張が一気にほどけた。
クライアント側も、モニターを見ながら何度も頷いている。
「いいですね」
「想像以上です」
その言葉を聞いて、日比野も高村もようやく肩の力を抜いた。
——成功だ。
それは、揺るがない事実だった。
スタジオの片付けが始まり、機材が運び出されていく。
日比野と柏木が、次の工程について短く話している。
高村は、その様子を少し離れた位置から見ていた。
よくできた現場だった。
よくできた仕事だった。
余計な感情を挟む必要はない。
今日の自分は、やるべきことをきちんとやった。
高村は、静かに息をはく。
次は、編集。
そして、プレゼン。
仕事は、まだ続く。
その先のことを考えるのは、
もう少し後でいい。
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