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第64話 踏み込み過ぎた一歩
日比野は意を決して高村のほうに向き直る。
二人は少しだけ離れて、ソファーに座り向かい合っている。
「…あの、さ」
日比野から話し始める。
「うん」
「……もっと、キスとか…触ったりとか…しちゃダメ?」
頬を染めて恥ずかしそうに俯きながら話す。
その姿があまりにも愛らしくて、高村は理性が崩れそうになるのをなんとか堪えた。
「…俺、今までの甘える時間も大好きだけど、もっと、ちゃんと恋人っぽいこと、したい、のかもしれない…」
「…」
「高村は、どう、思ってる…?」
少し眉を下げて伺うように上目遣いで高村を見る日比野。
真剣に話をしてくれているだけだというのに、なんでこんなにいちいち可愛らしく欲望を煽ってくるんだろう。
高村は、一度自分を落ち着かせるために大きく息をはいた。
日比野には、それが困っているため息のように聞こえたことも知らずに。
「…日比野」
「…うん…」
日比野が少し肩を揺らして高村を見る。
「日比野は…どこまで考えてくれてる?
例えば…男同士で、その…最後まですること、とか…どっちの役割…とか…。準備とかも必要だし…」
高村が視線を少し彷徨わせながら話す内容に、日比野は衝撃を受けた。
(………最後、まで……)
言葉の意味が、追いついてこない。
そんなこと、正直考えていなかった。
いや考えなきゃいけないはずなのに、好きだと伝えたことで満足してそこまでに至っていなかった。
もう少しキスしたいとか、そんなレベルの話じゃないことに今更気づいてしまった。
高村はもっとずっと先を見ていた。
高村は、しばらく黙ってから口を開いた。
「……日比野は、受け入れられる?」
一瞬の間。
高村は、続ける。
「俺が……日比野を、抱きたいって思ってること」
日比野は、自分の浅はかさに自身の指を強く握った。
高村の問いに返事をするだけの認識も覚悟もまだ何もできていない自分であることに、今気づいてしまったから。
日比野の視線が泳ぎ、呼吸が、はっきりと乱れるのを、高村は見ていた。
――あ。
その反応だけで、高村は分かってしまった。
(……まだ早かった…。踏み込みすぎた)
高村の胸が、ひやりと冷える。
日比野は、言葉を探している。
否定もしない。
でも、すぐに肯定もできない。
その「間」が、
高村には耐えられなくて、口を開いた。
「……ごめん」
思わず、そう言っていた。
「今の、忘れて」
日比野が、慌てたように首を振る。
「あ、待って。違う、謝らないで」
でも高村は、もう一歩引いてしまっていた。
「……本当にごめん。今のは無かったことにして」
守るつもりだった。
傷つけないための言葉だった。
「今まで通りでいいから。ね?」
なんでもなかったみたいに、高村は少し微笑んで日比野に手を伸ばす。
いつものように頭を撫でるつもりだった。
でも。
日比野がびくり、と肩を震わす。
高村はそこで手を止めた。
まずい、という顔をした日比野と目が合って、高村はソファに手を置き座り直す。
沈黙。
とても長く感じたその沈黙を破ったのは、高村だった。
「……今日は、帰るね…」
高村は、そう言って立ち上がった。
「待って。そんなつもりじゃ……」
日比野の声が、かすれる。
「俺は……高村と、……」
その言葉に、
胸が締めつけられる。
(分かってる)
拒絶されたわけじゃない。
きっと、驚いただけ。
分かっているけど、
戻ることもできるけど、
多分、今は一緒にいるべきじゃない。
「ごめん。…多分、落ち着いたほうがいいと思う。お互い」
最後にそう言って、
高村は玄関へ向かう。
ドアが閉まる音が、
思った以上に響いた。
扉から何歩か進んだ後、
一人になった高村は空を仰いだ。
(……最悪だ)
正直になりたかっただけなのに。
傷つけたくなかっただけなのに。
高村は、目を閉じて深く息をはいた。
離れたくなくてちゃんと話し合うつもりだったのに。
気づけば、一番大事な人を、
自分の手で遠ざけてしまった。
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