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第65話 追いつかなかった気持ち

玄関のドアが閉まる音を聞きながら、 日比野はソファに沈み込んだ。 (……ちゃんと呼び止めたほうが良かったよな…) でも呼び止めたとして、高村になんて言葉を返せばいいんだろう? 今の自分には、高村の問いに見合う答えは、まだ出せていない。 ーそれでも。 伝えるべき言葉はもっとあったはず。 「ごめん」と謝る高村の顔が思い浮かぶ。 胸の奥が少しずつ冷えていく。 「……はぁ……」 さっきのやり取りが、何度も頭の中で再生される。 ――受け入れられる? ――俺が、日比野を抱きたいって思ってること。 驚いた。 確かに。 でも、嫌だったわけじゃない。 (……なんで、あの時ちゃんとそう言えなかったんだよ) 「嫌じゃない」とか、 「ちょっとびっくりしただけ」とか、 いくらでも言いようはあったはずなのに。 (俺……) “触れるだけのキス”で満足できなくなっていたのは、自分。 高村に、もっと触れてほしい。 触れたい。 でもそれを、 ちゃんと自覚したのは、つい最近で。 だから、その先を言葉にされた瞬間に、 心が追いつかなかっただけなのに。 (なのに……) 部屋を出ていく高村の背中が浮かぶ。 胸が痛い。 (……一緒にいたかっただけなのに) スマホを取り出して、 高村の名前を表示して。 ……でも、何も打てない。 今さら「さっきはごめん」って? それとも「誤解だよ」って? どれも、軽すぎる気がして。 (……俺が、ちゃんと整理してからじゃないと) そう言い訳をしながら、 結局、画面を消した。 胸の奥がじわじわ痛む。 高村は、怖かったんだ。 自分が “男として” 欲情していることを、 俺に向けてしまうのが。 それを分かっていながら、 自分は、ちゃんと受け止める言葉を返せなかった。 (……ちゃんと、向き合えてなかった) 好きだと言われて、 好きだと返して。 それだけで、全部分かったつもりでいた。 でも本当は、 「付き合う」って、 こういうところから始まるのかもしれない。 考え方の違い。 タイミングのずれ。 全部をすり合わせる前に、 一歩、引かれてしまった。 それだって、俺を傷つけないためのものだ。 静まり返った部屋に、 自分の呼吸の音だけが響く。 ソファの背もたれに深くもたれ、 日比野は一度、浅く息を吸い直した。 もう一度、スマホを見る。 やっぱり、何も打てない。 日比野は目を閉じた。 (……このまま、何日も話さなかったら) その想像だけで、 胸がきゅっと痛くなる。 でも今は、 どうしていいか、分からなかった。 後悔だけを抱えたまま、 日比野はその夜、なかなか眠れずにいた。

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