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第70話 離れきれない唇

指先が触れたまま、しばらく二人は動かなかった。  ――高村の視線が唇に落ちる。 その変化に気づいて、日比野の喉が小さく鳴った。 「……」 言葉にしないまま、高村が確認するように距離を詰める。 日比野はただ、目を伏せる。 それが合図だった。 触れるだけの、浅いキス。 すぐ離れるつもりだったのに、唇が離れきらず、もう一度重なる。 日比野の背筋に、ぞくりとしたものが走った。 唇の感触が変わる。 高村のキスは、さっきよりもじんわりと深い。 唇を食むように、ゆっくり甘く口づける。 優しいのに、逃げ場が無い。 息が混じる。 日比野は無意識に肩に力が入って、自分が呼吸を忘れかけていることに気づいた。 (……やばい) そう思うのに、身体が拒まない。 むしろ、胸の奥がじんと熱くなって、思考がどこかに消えていく。 高村の手が、日比野の背に回る。 今までとは少し違う、探るような確認するような触れ方だった。 その瞬間、日比野の身体がぴくりと反応する。 背中に添えられた掌の温度。 指が服の上から、ゆっくりと圧をかけるように動く。 それだけなのに、腰のあたりが不意に心許なくなる。 「……っ」 小さく息が漏れたことに高村はすぐに気づいた。 キスを深めながらも、高村の理性が強く揺さぶられる。 (……まずい) 欲しい、と思ってしまう。 …触れたい、抱きたい、その先まで――。 でも、それと同時に、日比野のさっきの言葉が頭をよぎる。  「一緒に決めたい」 高村は、未練を断ち切るように、唇を離す。 背中に回していた手も、ゆっくりと力を抜いた。 「……今日は、ここまで」 低く、掠れた声だった。 日比野は一瞬きょとんとしてから、状況を理解して、少し困ったように笑う。 高村が日比野の頬にやさしく触れる。 「……明日も、仕事だからね」 「…うん…」 名残を滲ませた日比野の表情に、高村は苦笑した。 ギリギリのところで理性が勝った自分を心の中でそっと褒める。 日比野はその横顔を見つめてから、そっと自分の胸に手を置く。 まだ、心臓が速い。 でも、不安はなかった。 代わりにあるのは、知ってしまった身体の余韻と――触れていたいという確かな感覚。 二人の間には、まだ熱を帯びた空気が残っていた。

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