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第81話 名前がついた、気持ち

家に着いてすぐくらいに、高村からメッセージが入る。 『もう帰っちゃった?』 『うん、もう家』 『そっか、早いね。お疲れさま』 それで終わりかと思ってスマホをテーブルに置こうとしたら、 『帰りに少し寄ってもいい?』 というメッセージ。 返信に迷って手が止まる。 会いたいような、会いたくないような、なんとも言えない複雑な感情で画面を見たまま少しの間ぼんやりしていた。 (…別に、なんでもないし) 一つ軽く息をはいて、 『いいよ』 と返信してスマホを置く。 しばらくしてインターホンが鳴る。 「お疲れさま」 「うん、お疲れ」 簡単にシャワーを浴びて部屋着に着替えていた日比野は、仕事終わりの高村を出迎えた。 「…何かあった?用事?仕事の話じゃないよな?」 髪をタオルで拭きながら日比野は高村に聞く。 高村は、スーツの上着を脱いでソファに置いて座る。 「…なんとなく、気になって」 ちらり、と伺うように見る高村とキッチンに立つ日比野の目が合う。 「…何が?」 「…慧の様子が」 高村の表情は特に冗談や茶化すようなものではない。日比野はなんとなく視線を逸らした。 「……なにも、ないけど」 後ろの食器棚からコーヒーカップを取って振り返ると、高村がすぐそばまで来ていてびくりとする。 「おい、びっくりすんだろ。カップ割ったらどうすんだよ…」 むう、と不機嫌そうに怒っている風の表情で高村を見ると、ジッと高村が無言で日比野を見つめる。 「やっぱり、なんか変だよね」 「……そんなこと、ないと思うけど…」 そう呟く日比野の頬に、そっとやさしく高村の手が触れる。 「…何かあった?嫌なこととか…」 「…」 「言いたくないなら、無理には聞かないけど…」 すり、と親指が日比野の頬を撫でる。 顔を上げると、高村がやさしく微笑む。 「慧が困ってるなら、力になりたいから」 そのやさしさに、急に自分の小ささが恥ずかしくなって日比野は俯いて首を横に振った。 「…違う。そんな、大した話じゃない…」 「どんな話なの?言ってみてよ」 落ち着いた声に促されて、渋々日比野は口を開く。 「……帰り間際の…」 「うん」 「お前が……話してたの」 「…あぁ、仕事の確認してたやつ?」 「…うん…、それが……」 少しだけ言葉に詰まる。 「……なんか、距離…近いって、思って…」 「……」 「あと……なんか笑ってて、普通に仕事してるのわかってるけど、なんか…」 言いながら、自分でもよくわからなくなる。 「……ちょっと、やだった」 「……」 一瞬、静かになる。 言ったあとで、 更に恥ずかしさが増してきた。 「……今のなし」 「なんで?」 すぐに返ってくる声。 「なんでもないって」 「なんでもなくないでしょ。“ちょっとやだった”んでしょ?」 「……っ」 逃げ場を塞がれて、 言葉に詰まる。 そのまま黙っていると、 ふ、と小さく笑う気配がした。 「……そっか」 優しい声。 「……嫌だったんだ」 「……ちょっとだけ」 ぼそっと訂正する。 くく、とまた笑う声が聞こえた。 「……笑うなよ」 「だって」 「……なに」 「そんな風に、思ってくれてるんだって、嬉しくて」 「……っ」 一瞬、言葉を失う。 「慧って、そういうこと言わなそうだったから。…嫉妬するのは俺だけかと思ってた」 「嫉妬って…」 そうか、これは嫉妬か。そうか…。 確かに、今までの人生において感じたことのない感情かもしれない。 「……なんか、」 「ん?」 「…どんどん、違う自分になっていく…。お前のせいだよ」 高村が目を細めて日比野を見る。 「それは俺も一緒。慧のこと好きになってから、俺ってこんなやつだったのかって思うことばっかりだよ」 「翔央も?」 「……うん」 少しだけ間を置いて、高村が小さく笑う。 「こんなに独占欲が強いとか、嫉妬深いとか、思ってもみなかったな」 「…そっか。お前もなんだ…」 なんとなくホッとするような気持ちで、日比野は高村の胸に寄りかかって、笑って茶化した。 「でも俺は翔央よりは全然マシだと思う」 「あぁ、そう?これから酷くなってくるんじゃない?嬉しいけどね」 「嬉しいとか言うな」 寄りかかる日比野を高村はやさしく抱きしめる。 これでもかなり抑えていることは怖がられそうなので黙っておくことにした。 日比野の中にあったさっきまでのざわつきは、いつの間にか消えていた。 代わりに残っているのは、 少しの恥ずかしさと、 受け止めてもらえる安心感。 自然と互いに抱きしめ合う形になって、キッチンの前でしばらくそうしていた。 「……慧」 「ん?」 「さっきの、可愛かった」 「……もう、そういうの言うなって」 小さく抗議する声に、くす、と笑う気配。 「……俺しか知らない慧を見せてくれるの、すごく嬉しい」 日比野の髪を撫でる高村の瞳は、本人が言う通り独占欲がちらついていたが、胸の中にいる日比野は気づかなかった。 「……俺も、嬉しい」 照れたように、小さく返した。

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