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プリクラの距離6

「お腹空いたー」  水上バスから降りたイジュンの一言目はそれだった。それに俺はちょっと笑ってしまった。 「明日海。お寿司屋さんはどっち?」 「ついてこい」  ほんとは回転寿司に行く予定だった。あのまま秋葉原で食べていたら回転寿司に行ったと思う。でも、なんだかお寿司と一口に言っても、日本と韓国では違いがあるようだから、回っていない、きちんとした寿司屋に連れて行こうと決めた。でも、この辺の寿司屋はよくわからないからネットで調べた。浅草だけあって外国人が来るような店もあるけれど、あえてそういうところは避けた。でも、イジュンには行く寿司屋を変えたとは言ってない。言わないでびっくりさせたい。googleマップを頼りにお店にたどり着くと、イジュンはびっくりしていた。 「え? 日本は回転寿司でもこんなに本格的な店構えなの?」 「回らない寿司だよ」 「え? でも回転寿司行くって」 「そう思ってたけど、日本と韓国だと結構違いがあるようだから、こっちにした。ほんとの寿司を味わって欲しいから」 「明日海……」 「ほら、入るぞ」  のれんをくぐって店内に入ると板前さんが元気よく「いらっしゃい」と迎えてくれる。イジュンはぼんやりとしている。 「ほら、座れ」  テーブル席には行かずにカウンター席に座る。目の前にネタがあったり、板前さんが握っているのとか、回転寿司では味わえないことだからだ。ということは、イジュンは未経験だということだ。 「生魚がいっぱいあるのに、全然生臭くない」 「新鮮な魚は生臭くないんだよ」 「そうなんだ……韓国では生臭いのが当たり前だった」 「それじゃあ美味しい寿司は食べれないよ」  出された温かいお茶を飲みながら、そんな話しをする。やっぱり普通の寿司屋にして正解だったかもしれない。イジュンの横顔を見ると、期待に満ちた顔をしている。普段より無邪気で、子供みたいで可愛かった。  板前さんが鮮やかな手つきで握りを並べていく。最初に出てきたのは赤身のまぐろだった。イジュンは少し緊張したように箸を持ち、恐る恐る口に運ぶ。そして、口に入れた瞬間、目が丸くなった。 「溶けた! 美味しい!」  声を抑えられなかったらしくて、板前さんはにこりと笑い、隣のお客さんもちらりと笑う。もちろん、俺も。 「明日海! 口に入れたら溶けちゃったよ。噛んでないんだよ。なのに溶けてなくなっちゃった」 「いいネタは溶けるんだよ」 「やっぱり全然違うんだね。韓国で食べたのはもっと冷たくて、なんか別物だった。ここのは柔らかくて舌の上で溶けちゃったから」 「まぐろは江戸前寿司の花形だからな。もっと驚くのが出てくるよ」  次で出てきたのは炙りのサーモン。香ばしい匂いが鼻をくすぐり、イジュンは身を乗り出している。 「すごい……香りがもうたまらないよ」  そう言って口に入れた瞬間、イジュンの表情がパッとほどけた。その幸せそうな顔を見ていると、こちらまで胸が温かくなる。 「やっぱり輸入物とだと味が全然違うね。それでも韓国で寿司と言ったらサーモンなんだよ」 「輸入物なのにか。自国の海で捕れるものじゃないっていうのが不思議だな」 「日本は四方を海で囲まれてるからそうだろうな。明日海はよく食べるの?」 「普段は回るところな。でも、お祝い事やなにかがあるときはこういうきちんとしたところで食べる」 「じゃあ今日は?」 「誰かが喜んでくれると思ったから」  自分でそう言ってから恥ずかしくて思わず視線を逸らした。けれど、イジュンが真剣な顔でこちらを見ているようでたまらない。  寿司は次々と板前さんの手から生み出されていく。甘えび、こはだ、穴子……。イジュンはその度に驚いたり、感動したり、子供のように素直に反応した。感情がそのまま表情に表れるのが面白くて、つい俺も笑顔になってしまう。

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