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第10話
夕刻のアルべは賑わっている。桂樹たちがとった宿屋の周辺は特に、夜になると活気付く。これから盛りを迎えるべく、人々は忙しく動き回り、騒がしさに空気が浮ついていた。やがて夜の帳が完全に下りれば、空気は享楽と淫靡さの密度を増していく。夜の雰囲気を纏う街の空気は独特だ。
桂樹はその空気が決して嫌いではなかったが、今日だけは少し憚られた。上背もあり身体付きのしっかりした精悍な顔立ちの桂樹は、夜の街において違和感がない。だが彼の隣を歩くのは、発達途中のうすっぺらな身体をし、上背など桂樹の胸元しかない少年だ。頭からすっぽりと被るフードのおかげでその目立つ白銀も緋色も見えないが、それでも彼が小柄で華奢であることは隠せない。
これを連れて夜の街を闊歩するのは、色んな意味で危険だ。
夜の帳が完全に幕引きを終える前に、用事を済ませてしまいたい。
向かったのは衣服屋だった。体格が違う桂樹の服をいつまでも着せておくわけにもいかないと思ってのことだったが、緋桐はここでの採寸を銀の毛を逆立てる勢いで嫌がった。誰かが手を触れようものなら、引っ掻きそうな剣幕だった。仕方なく、店主には目測で適当に選んでもらった。
「ご主人に選んでもらえるなんて、素敵ですね」
幾つか持ち寄った服の隙間から、女店主の悪気ない声が聞こえて、二人してピリリと固まった。
その女店主が選んだものは、当然と言うべきか、幾つか女性服も紛れ込んでいた。ただ幸いなことと言うべきか、動きやすく簡素なものを、という注文だったので、選ばれた全ての服が女性服というわけではなかった。
今更訂正して選び直すとなると、緋桐の瞳を更に剣呑なものにしかねないので、おかしくないものだけを買い求めた。
帰りしに露店で香ばしい匂いをさせていた肉串を買うと、腹が減っていたらしい緋桐の目はキラキラと輝いた。美味そうに肉串を頬張る姿はまさに少年のそれで、ようやく彼が彼らしくなろうとしているように思われた。行く先々で物珍しげに緋色の瞳を輝かせる緋桐はとても無邪気で少年らしく、知らずに桂樹の相好も崩れた。
遠回りを重ねて宿へと戻る頃には、夜の帳は完全に幕引きを終えていた。アルべまでの行程と、賑やかな人混みに触れた緋桐の意識も、半分夢の中へ落ちていた。かくりと傾ぐ白銀を支え、桂樹は彼の軽い身体を寝台に寝かせた。
さらりと流れた銀糸の髪が、茫洋と暗がりに浮かぶ。瞼を完全に落とした白い肌に落ちる、細やかに光を放つ髪と同じ色の睫毛。薄く開いた唇からは規則正しい呼気が漏れている。
透かすように白い肌に乗る色付いた唇が、暗がりの中妙な存在を主張している。誘うように開いた唇に、寝台に腰かけたまま、親指の腹で触れる。柔らかな弾力を伝えたそれに少し力を入れて押すと、眩しいほどの白の奥から赤い舌がちらりと覗いた。暗がりの中であってさえ、白い肌に映える生々しい赤だった。
「―――っ!」
ばっと手を放し、桂樹は勢いよく寝台から離れた。
日に焼けた肌が、暗がりの中でもわかるほど赤くなっていく。
(何をしているんだ、俺は……)
胸の奥で過ぎった何かから目を背けるように、群青の瞳を一度閉じる。早鐘を打つ鼓動をそのままに、一度息を吐き桂樹は顔を上げると部屋を後にした。
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