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第18話
東の森都ヴェルドジェーリュは、王都とは正反対に位置し、南の聖都、北の魔都同様王令により特別な権限を許された都市である。呼び名の通り緑の大地を多く有し、天を衝くほどの大樹が都市を彩っている。
上空から見下ろせば、緑の森の中に都が護られるようにしてあり、『シンクタンク・ユグドラシル』はその最果てに位置している。
位置付けとして東の森都が擁するとなるが、その規模は一つの都市に匹敵するほどであり、研究所としては類を見ない。
背後に最果てまで続くとされる不可侵の大地・ナダ平原を置き、その白亜の壁はさながら堅牢な要塞のようでもある。研究所としての機密性を重視しながらも、その一部を一般に公開しており、三つある門の一つは常に観光客で溢れている。
桂樹は翼竜を森都の竜使いに返し、『シンクタンク・ユグドラシル』の門の一つ、研究員専用の通用口から中に入った。
三つの門から真っ直ぐに伸びる石畳の道は、中央にある『シンクタンク・ユグドラシル』本部前の広場に続いている。その三本の線が区画を作り、観光用に開かれた大仰な作りの門を中心として、北側が自然科学、南側が魔法科学の研究所となっている。
桂樹が目指すのは、三本の道が一つに繋がった先にある『シンクタンク・ユグドラシル』本部である。今でこそ世界の叡智を集める研究機関として名を馳せているが、遥か昔はこの本部のみが『シンクタンク・ユグドラシル』だった。月日が流れ規模が大きくなり、当初の姿を守り続けるこの場所は、他と一線を画し『本部』と称される。その中でも桂樹たち樹術師が属するのは、「ルトゥラ」と呼ばれる特異な機関である。
本部の外観は広場からも見ることは叶わず、森都ヴェルドジェーリュを取り囲む大樹に負けず劣らずの森林に覆い隠されている。
入り口は簡素な格子状の門だったが、魔法的に保護されたその堅牢さは王城にも匹敵するとされ、物理的にも侵入を許さない構造をしていた。
桂樹は簡素な門の施錠部に、左指に嵌めた『世界樹 』と『鳥 』を象った指輪をかざした。
カチリと音がして、ゆっくりと門が勝手に開いていく。
緋桐はその様子を、挑むような、睨むような視線で真剣に凝視していた。鍵を使わず門が勝手に開く、と言う技術水準に驚愕しているかと思えば、彼の瞳は一切驚愕の色を浮かべてはいなかった。ただ桂樹の行動を、食い入るように見つめていた。
いつになく眼差しが真剣味帯びており、桂樹は戸惑いながらも緋桐を中へと促す。
中に一歩足を踏み入れると、空気が変わったことを肌で感じる。森林に抱かれているせいばかりではない。押しかかるような圧倒的な力を感じる。背筋が伸びるようなピリリとした空気は、緩やかな傾斜の坂道を登っていくうちに研ぎ澄まされていく。大きく螺旋状にふた回りほど登っていくと、『シンクタンク・ユグドラシル』本部がようやく姿を現す。
研究所とは思えぬ玲瓏な城の出現に、緋桐が上を見上げたままぽかんと目を瞬く。
「緋桐、首が痛くなるぞ」
あっけにとられている姿を珍しく思いながら、上を向きすぎてほとんどずれてしまったフードを外してやる。はらりと輝くような白銀の髪が惜しげもなく晒される。しかし緋桐はそれに気付いた様子もなく、ただ呆然と目の前に現れた城と思しき建造物を食い入るように見つめていた。
「おかえりなさい。桂樹」
本部の入り口である門までくると、中からひょこりと亜麻色の髪の女性が現れて桂樹に声をかけた。
「茉莉 」
桂樹が名を呼ぶと、彼女・茉莉はにこりと屈託なく笑った。
「今回は早いのね。予定よりずっと早くない?」
片手に掌より大きな半透明の薄い板を抱え、それに視線を落としながら彼女は首を傾げる。
桂樹の帰還は日程的にはずっと先だ。与えられた任務を桂樹は半分もこなしていない。こんな時期に帰還することなど、本来有り得ないのだ。
そのことで取り急ぎ取り次いでもらいたいのだが、と口を開こうとして、桂樹は茉莉の視線に気付いてはっとした。
隠すものが一切ない緋桐の姿が、彼女の視界にはっきりと映っているのだ。
「うわぁ、すごく綺麗な子!」
ぐぐっと身を乗り出して大声を上げた茉莉に、城に気を取られていた緋桐がようやく気付いた。びくりと背を震わせ、素早く桂樹の後ろに隠れる。威嚇するように鋭い視線を向けるが、女性と言うものは自身の興味を惹かれるものに物怖じしない。緋桐のそれに全く怯むことなく、さらの身を寄せてきた。
「すごーい、雛姫 みたい……!」
さらによく見ようと近付く茉莉と、それから逃れようと桂樹の背中に爪を立ててまで引っ張る緋桐に、深いため息が落ちた。
「茉莉、その雛姫と、出来れば総帥に会いたいんだが、どこにいるかわかるか?」
茉莉から距離を取り、緋桐をかばうようにして立った桂樹が質問を投げかける。
「雛姫と総帥?」
茉莉はきょとんと目を瞬き、抱えた板に視線を落としてそれを探る。その様子を、桂樹の影からじっと緋色の瞳が凝視していた。本部に着いた時から見せる、ただそこにあるものを逃さず見るような、そんな視線だった。
興味深げと言うには真剣味帯びていたが、猫が何もない空間を見つめるようなものだろうかと、桂樹は背中に温もりを感じながら思う。
やがて茉莉が小さく唸りながら顔を上げた。
「総帥は執務室だと思うけど、雛姫はどこかなぁ……?」
「いや、いい。総帥に会いに行く。ありがとう」
さらに探してくれようとする彼女を断り、桂樹は緋桐の肩を抱いて歩き出す。
緋桐の視線が彼女から離れないことが、どこか面白くなかった。
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