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第19話
茉莉が出入りを管理する管理塔から出ると、すぐ目の前には中庭が広がる。建物がぐるりと円を描くようにして中庭を囲み、その中心にはガラス張りの半球状の建造物がある。緋桐はその半球体のそばまで来ると、不思議そうに大きな緋色の瞳を瞬かせた。天を衝くほどに大きなガラス張りの半球体は、彼にとってみれば不可思議なものだろう。この半球体は地下から吹き抜けとなっており、樹術師と他数名しか入ることを許されていない。ここには、『世界樹 』の縮図がある。世界中から樹術師たちが集めた採集物を用い、小さな『世界樹』を構築している。縮図は『世界樹』の枝葉と繋がり、樹術師たちに『森 』の異変を知らせている。
ガラス張りの球体の脇を通りながら説明をし、研究棟へと入る。執務室まではさほど遠くない。
「緋桐、これから会いに行く人は、ここ『シンクタンク・ユグドラシル』の総帥だ。少々癖がある人かもしれないが、悪い人ではないから」
一緒に来てもらうと一方的に告げてから、碌に説明もせず連れて来てしまった。意識が戻る前に告げたことを、緋桐が覚えているのかもわからない。彼は口を開くこともなく、嫌がる素振りも見せず桂樹について来た。
「あの人なら、何かわかるだろう……」
呟きは、どこか遠くで聞こえた。このまま連れて行くことに、今更不安を覚えるような、ざらりとした嫌な感覚が胸を襲う。
何故生き物の棲息を許さない『森』にいたのか。何故木に体の半分を飲み込まれるような事態に陥ったのか。意識を取り戻した今も何故口を開くことがないのか。
彼は、どこから来たのか―――。
疑問があり、確かにそれの答えを求めている筈なのに。
つんと袖を引かれ、桂樹の意識が隣にいた緋桐に戻る。彼の緋色の瞳がどうしたのかと、きょとりと桂樹を見上げる。
彼に、自身の不安はないのだろうか。桂樹を見上げる瞳に不安の色はない。そこには、桂樹に対する絶対の信頼が見えた。
何故だろうか。このままその薄い肩を抱いて、ここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
一瞬巡った思いに馬鹿なと一笑し、桂樹は執務室まで緋桐と連れ立って歩いた。
突き当たりにある重厚な扉が執務室だ。少し強めに二度叩くと、しばらくして中から低くもよく通る若い男の声が許可を告げた。
「失礼します」
桂樹がゆっくりと扉を押し開くと、痩身の男が二人を迎え入れた。
桂樹より五つ六つは上だろうか。端正な顔立ちに、均整の取れた体付きをしている。上背はそれほど高くないが、一度鍛えたことがある者特有の筋肉のつき方をしている。外に出ることを知らない研究者特有の、日に焼けていない肌の白さを有していたが、軟弱な印象を与えないのはそのためだった。それどころか、軽そうな薄茶の髪から覗く濃い紫の瞳は威圧感さえ与え、彼を威風堂々さえ見せていた。
彼がここ『シンクタンク・ユグドラシル』の責任者、若干二十六歳の若さで世界最高峰の研究機関の頂きに立つ、連理 ・ラティルスである。老いも若きも、彼の名を呼ぶ者はおらず、総帥と畏敬を込めて呼ぶ。
彼は入って来た桂樹を視界に入れるなり、珍しい紫の瞳を大きく見開いて見せた。
「桂樹、お前いつの間にそんな大きな隠し子を……!」
心底驚いた、と言う表情を見せた総帥に、桂樹はかっとなってすかさず吠えた。
「あるわけないでしょう!」
思いの外大声で真剣に否定され、彼は驚愕の表情を収めて苦笑した。
「冗談だ。このことに関して、月橘 の心配はしてもお前の心配は一切してない」
奔放に遊びまわる同僚の名前を出され、桂樹の精悍な顔が嫌そうに歪んだ。彼と一緒に扱われるのは、自身の名誉に関わる。
だが総帥は、褒めてるわけじゃないからな、と日頃の真面目ぶりを揶揄して桂樹をさらにしかめっ面にさせた。
「で、予定より随分と早い帰還は、その隠し子に関係があるのか?」
執務室に入った時から桂樹の腕をがっちりと掴んで離さない緋桐のそばまで寄り、彼は興味深そうに紫の瞳を細める。
研究者特有の探るような目だったが、その視線に緋桐が威嚇をすることはなかった。ただじっと見つめる紫の瞳を見つめ返す。
「あの、出来れば雛姫にも同席していただきたいんですが……」
不躾にもほどがあるほど真っ直ぐと視線を向けるので、桂樹は緋桐の視界を遮るように一本前に出た。
「あぁ、あいつなら今箱庭だ」
意図して不意に断ち切られた視線だったが、彼は気にした様子もなく桂樹に答えを返す。そして思い付いたように指示を出した。
「ちょうどいい。桂樹、先に行ってろ」
軽い指示に、桂樹はまごついた。
「え、箱庭に、ですか?」
箱庭とは、中庭にあるガラス張りの半球体の部屋だ。地下から吹き抜けになるそこに、『世界樹』の縮図を作っている。その場所は極少数しか入ることを許されず、桂樹たち樹術師でも入ることに戸惑いを覚える場所だ。そこに気軽に行っていろと言われたのだ。
思わず問い返した桂樹に非はない。
だが総帥はそんなことお構いなく、早く行けと桂樹を急かした。
「もうすぐお茶の時間なんだ。遅れると煩い」
総帥自身は茶菓子を持参して行く必要があるらしく、相手をしていろと任命され、桂樹は緋桐と共に早々に執務室を追い出されたのだった。
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