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第21話

 南の地特産のカリフィと呼ばれる赤い果実は、分厚い皮の中に大粒の実を幾つも抱えた、芳醇な香りが特徴の果物だ。中に抱えた実が大粒であればあるほど甘く瑞々しいそれは、甘いクリームとサクサクのクッキー地とよく合う。  本日の茶菓子として切り分けられたカリフィのタルトは、格別に美味しそうな大粒の実を乗せていた。宝石のように赤く煌めく実がどっさりと乗る、見た目も美味しそうなタルトは、だが今日に限っては不人気のようだった。  お茶をしながら話をとの提案通り、タルトに合うように香ばしいお茶も淹れられた。だが話をする桂樹がタルトを口にすることはなく、語られる当事者である緋桐は緊張してカップにすら手を伸ばせないでいた。傾聴しているせいか、雛菊も一口タルトに口を付けた以降は手が動かず、黙して話を聞く連理の皿だけが順調に減っていった。  湯気を立てていたお茶がすっかり冷え切った頃、桂樹は一通りの経緯を話し終えた。  静寂が身を包む。  最初に動いたのは、雛菊だった。 「お茶が冷めてしまいましたね」  平静な声に、三人の視線がはっとカップに落ちる。彼女はにこぉっと、連理に向けて笑顔を向ける。 「連理さん、お茶を淹れ直してください」  まさかの総帥へのお茶汲みの指名に、ぎょっと目を見開いたのは本人ではなく、その部下の桂樹だった。 「あ、俺が淹れます」  よもや世界最高峰の研究機関の頂きに座す相手にお茶を淹れさせ、その部下たる自分がのうのうと座っているわけにはいかない。当然と言う形で申し出ると、連理が無言で桂樹の腕を取って奥の給仕場へと向かう。  二人連れだって行くのを満足気に見送った雛菊は、膝に置いていたケーキ皿をローテーブルにそっと返す。そして桂樹が隣から消えて心許なさそうにしている緋桐のそばに膝をついた。はっとした緋桐が顔を上げると、純度の高い翠の宝石のような瞳と視線が合う。  給仕場でその様子を見た桂樹が反射的に戻ろうと動くが、連理の腕が無言でそれを止めた。連理を振り返り、二人に視線を戻す。  奥の二人の攻防を気にすることなく、雛菊は緋桐に屈託なく笑いかけた。 『はじめまして、雛菊です。気軽に雛ちゃん、って呼んでくださいね』  可憐な鈴の音が紡いだ言語に、緋桐の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれた。 『な……んで……』  緋桐の薄く色付く唇が戦慄くように震え、喉の奥から弱々しい言葉が吐き出された。  ぎょっとしたのはその様子を心配そうに見守っていた桂樹で、腕を掴んだ連理を振り返り、緋桐を見てもう一度連理を振り返る。  面白いほどの動揺具合に、連理が嘆息する。 「お前はあれを侮りすぎだ」  世界は幾つかの言語に分かれている。だが共用語として用いられるルド語はどこの地域でも通用し、共用語さえ話せれば会話に困ることはない。故に他言語を駆使出来る者は希少だ。  だからではないが、緋桐が口をきかない理由が言語にあるかもしれないなどと、桂樹は露とも思わなかった。会話の内容はわからないが、普通に会話をしているように見える二人を食い入るように見つめる。 『緋桐……お似合いの、素敵な名前ですね。せっかくなので、そのまま呼ばせてもらいますね。緋桐、自分の置かれている状況を正しく理解出来ていますか?』  凛と響く鈴の音に、緋桐は軽く瞳を伏せて首を振った。 『よくは、わかってない……色々混乱してて……俺、なんで……』  弱々しい声は今にも消えてしまいそうなほど細く、膝の上で白くなるほど握りしめられた手が状況に喘ぐように小さく震える。 『記憶が入り乱れているんですね……時間が経てば整理出来ると思いますが……』  小さな体を可哀想なほど縮こめる緋桐を見つめながら、雛菊はうーんっと考えるように小首を傾げる。 『確認です、緋桐』  閃いたと言う声に、緋桐の顔が上がる。 「私の言っていることは、理解出来ますね?」  突如切り替わった言語に、緋桐は目を瞬かせながらも頷く。 『では、話すことも問題ありませんね』  にっこり笑う花の顔は有無を言わせぬ勢いがあり、緋桐は少々面喰らいながらも頷く。聞きことも話すことも、おそらくは書くことも問題がないと思われる。  だが。  縋るように雛菊に視線を向ける。  言葉が通じるからだろうか。緋桐は彼女に対する警戒心がぐっと低くなっていた。 『喋っちゃいけない気がしてた……』  絞り出すように、誰にも打ち明けることが出来なかった内にある不安を吐き出す。  泣きそうな顔で吐き出した緋桐に、雛菊は安心させるよう優しく微笑む。 『いい判断です。でもここまで来たのなら、もう大丈夫でしょう』  意識が戻った時からあった漠然とした不安。隣にいて常に気にかけてくれる男の優しさを知りながらも、それでも緋桐は言葉を発せないでいた。頑なに口を閉ざした理由を肯定され、緋桐はようやく安堵の息をつくことが出来た。 『では、桂樹に挨拶しましょうか』  あからさまにほっとした表情になった緋桐の手を取り、雛菊は遠巻きに様子を伺う桂樹の元に向かわせる。  驚愕の表情を浮かべた桂樹にまろび寄り、緋桐は彼の衣服の裾をおずおずと握った。 「今まで助けてくれてありがとう、桂樹」  まだどこか幼さを残す声が礼を告げると、桂樹の群青の瞳が大きく見開かれた。  彼を『森』にて救出してこの方、行動を共にして来たが、一言も言葉が発せられることはなかった。まして真っ直ぐ目を見て名前を呼ばれる日が来ようとは、夢にも思っていなかった。  緋桐に名前を呼ばれたことは殊の外桂樹の心臓を揺らし、かっと集まった顔の熱を隠すように片手で口元を押さえる。 「まさかこうして話しが出来るなんて、思ってもみなかった……」  切れ長の群青の瞳が眩しいものを見るよう細められ、それに緋桐はとびっきりの笑顔で応えた。 「俺も……! もっと早く、桂樹と話したかった」  握った裾をさらにきつく握りしめ、緋桐は上背のある桂樹に近付こうと背伸びして顔を寄せる。  道中声を発せないことが、何度もどかしいと思ったかわからない。意思の疎通が全く出来なかったわけではないが、意識が戻ってからは自身の我も欲も少しずつ出て来た。それを桂樹に伝えられないことが、ひどく心苦しかった。それを払拭するように緋桐は意気揚々と話しかけ、桂樹は懸命に語る少年特有の声音に相好を崩し銀糸の髪を撫でる。  その様子を遠目に、給仕場で湯を沸かしていた連理が沸騰した湯を茶葉に注ぐ。ほわりと香ばしい匂いに、蒸らす時間を計る。その連理の後ろに、すすっと雛菊が近付いて腰に両手を回した。 「ふふ、『らぶらぶ』ですねぇ」  喉の奥で転がる鈴の音に、連理は仲睦まじく寄り添う二人に視線を送り首を傾げる。 「らぶらぶ……?」 「私と連理さんのようですね」 「じゃぁ、違うだろ」  弾んだ雛菊の言葉に素早く返した連理の反応はすげなく冷たい。彼女は途端にむっと翠の瞳を怒らせた。 「なんてこと言うんですか!」  腰に回した手を解き、雛菊は連理を無視して肩を怒らせながら話に夢中の二人に近付いていく。  決して嫌がらせなどではないが、そろそろ話を聞かなくてはならない。  わずかに翳りを滲ませた白皙の美貌に、誰かが気付くことはなかった。

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