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第23話
茫然自失の桂樹を追い出し、彼の置いていった報告書に改めて目を通してしばらく、別室の扉が開いた。姿を現した煙るような金髪の佳人が、一人しかいない連理に小首を傾げた。
「桂樹はどうしたんです?」
近付いて問いかける雛菊に、連理は顔を上げずに口を開いた。
「帰した」
帰った、ではなく帰した。たった一言の返しに、雛菊は困ったように息を吐く。
「なんでそんな意地悪するんです?」
「質問の返しが気に入らなかった」
悪びれもせず告げた連理に、雛菊は大きく肩をそびやかして腰に手を当てる。
『とんだパワハラですよ』
雛菊の非難がましい声を一切気にせず、連理はようやく顔を上げて報告書を机に置いた。
「緋桐は?」
今初めて気付いたと言わんばかりの連理の様子に、雛菊は仕方なさそうに肩をすくめる。
「気が高ぶっているので、眠ってもらいました」
「賢明な判断だな」
冷静な連理の返しに、面白くなさそうに雛菊の頬が膨れる。
「では、今度は連理さんが賢明な判断をして下さいね」
とびっきりの悪戯を思いついたように、白皙の美貌に大輪の花を思わせる笑みを浮かべる。
むっと不可解な顔をした連理が柳眉を寄せる。
「なんだ?」
「問題児が王都より送還されました」
重大な秘密を明かすように楽しく、それでも少しの憂いを含めて鈴の声が告げると、連理の端正な顔が嫌そうに歪んだ。
「『鳥籠』に侵入した大馬鹿か……」
頭が痛い問題がもう一つあったと、連理の表情は苦々しい。
西の王都にある『鳥籠』は、例え樹術師であっても入ることは叶わない。『鳥』をはじめ、『鳥』の世話をする選ばれた人たちと聖王家の血統と、その幅は『シンクタンク・ユグドラシル』本部に入るより狭い。王家はそれだけ『鳥』を重要としており、不用意に他に触れさせることを厭うている。
人々は『鳥』に敬意と畏怖を抱いており、その姿を拝むとはおろか、『鳥』に近付くことを良しとしない。その歌声を間近で聴けば昏倒し、一歩間違えば死に至るとまで噂されている。
誰が好んで『鳥籠』に近付こうとするだろうか。
有史以来、『鳥籠』に「侵入」を試み、成功した者はいない。
それが最近、一人の樹術師によって破られた。『鳥籠』を管理する王直属の機関、保護庁がこの行いに激怒しているのは当たり前のことだった。
樹術師は特異機関「ルトゥラ」に属し、その執行権は雛菊が持つ。だが頂きには『シンクタンク・ユグドラシル』総帥、連理・ラティルスを据えている。組織図的に見れば「ルトゥラ」は総帥直轄にあり、責任問題は当然連理にある。『鳥籠』についての説明を余儀なくされるだろうし、後処理に追われるのも必至だ。
頭が痛い問題に柳眉を険しくさせる連理に、雛菊は秘め事を明かすように軽やかに笑いながら口を開いた。
「どこまで事実を話すかはお任せしますが、知ってます、連理さん? その大馬鹿さんと桂樹、仲が良いんですよ」
「筒抜けってことか……」
問題児に話した内容は、すべて桂樹に伝わることになる。そしてまた逆も然りだ。
何を話し何を話さないのか、その精査は総帥たる連理がしなければならない。
げんなりとする連理を尻目に、雛菊は机の上に放り出された報告書に目を通す。
「やっつけ、と言うほど悪くありませんね」
時系列に経過観察もされ、わかりやすく出来ている。申し訳なさそうに桂樹が出して来た時はどれ程のもとかと思ったが。
「……あいつの報告書は主観が入らないからな、本来ならな」
溜息と共に吐き出された言葉に、おやっと雛菊は首を傾げる。そして読み進めていくうちに、連理の言葉の意味を理解した。客観的であったのは最初の数頁のみで、緋桐が意識を盛り返しからはだんだんと主観が入り混じるようになっていた。
それでも読み進めながら、雛菊は重くなりかけた口を開く。
「……さっきのやり取りでもわかったと思いますが……」
「可能性は高いか?」
途端に二人の声音に真剣さが増した。
雛菊は美麗な顔を曇らせ、きらめく翠の瞳に陰りを見せた。
「……と言うより、間違いありません」
軽やかに踊るはずの鈴の音が、何かに押さえつけられたように重く絨毯に沈んだ。
連理は考えるように端正な顔を歪ませ、雛菊はそんな彼の両手をそっと握った。
「連理さん」
研究者にありがちな日に焼けない肉付きの悪い手だったが、それでも雛菊のそれよりずっと大きくて逞しく思える。
翠の瞳を伏せ、雛菊がそっと口を開く。
「確証は、持てません。でも……覚悟はしてください」
細く消え入りそうな音量に、連理は一瞬紫の瞳を大きくさせた。それからぎゅっと、彼女の手を強く握り返す。
「……わかった」
落ちた響きの良い声は、ひどく緊張に満ちていた。
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