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第24話
桂樹たち樹術師はほとんどの時を『森』の調査に充てている。故に定住する家を持たない者がほとんどだ。帰還する先は『シンクタンク・ユグドラシル』本部であり、言い変えればそこが彼らの家であると言ってもいい。『シンクタンク・ユグドラシル』本部には、彼ら樹術師が『帰宅』するための個別の家がある。
桂樹は総帥たちとの面会を終えたら、一端自分の家に戻るつもりでいた。だが、総帥による不可解な難癖により、本部の外まで出てきてしまった。その事に気付いたのは、広場でぼんやりと佇んでいた桂樹に同僚が声をかけてきてからだった。
樹術師が『シンクタンク・ユグドラシル』本部に長く滞在することは珍しい。一度長い調査を終えると数日の休みを与えられるが、その長さは個人で自由に決められる。だがほとんどの樹術師は、三、四日の休暇ののち旅立つ。その短い休暇も準備に充てられ、実質の休暇は一日あるかなしかだ。樹術師はそれほど偏執的な面を持つ。
長く一つに留まることを知らない彼ら樹術師が、他の樹術師に会うことは極めて稀なことだった。ましてそれが知己である確率など奇跡に近い。
彼、月橘・ムラヤは桂樹よりわずかに先に樹術師になった、言わば先輩である。桂樹とは対照的に社交性に富み、野性味ある男らしい顔立ちに常に笑みを浮かべた優男だ。しかし一度真剣味を増すと、桂樹とは比べ物にならないほど恐ろしく厳しい表情を刻み、洞察力に優れた飴色の瞳は他者の機微を鋭く穿つ。
そんな男が、広場に腑抜けのようにいた桂樹に何かあると思うのは極当たり前のことだった。
久しぶりに会った知己からの質問攻めと、相手が同じ樹術師であると言う気安さも手伝って、桂樹は今までの経緯をうっかり話してしまった。
始め飴色の瞳を輝かせて聞いていた月橘だったが、終盤に差し掛かると、あからさまに眉間に皺を寄せた。
「で、おめおめと帰ってきたのか?」
理不尽にも思える総帥の言動により、半強制的に追い出されたことを告げると、月橘は小馬鹿にしたように言い放った。
もともと野性味ある男らしい顔立ちの男がそう意図して笑うと、必要以上に見下されている気分に陥る。
桂樹は表情の乏しい顔を嫌そうに歪める。
「おめおめとは帰って来てない」
むすっと返すと、月橘の溜息が落ちる。
「変わらないだろう? そもそも桂樹、何故お前はその仔猫を本部に引き渡したんだ?」
呆れた声に乗って耳を刺した台詞に、先の総帥とのやり取りを思い出した桂樹に剣呑な雰囲気が漂う。
「お前まで総帥と同じことを言うのか?」
桂樹の行いは理にかなっているはずだ。『森 』で起こったことを報告する。樹術師の仕事の一つだ。それを何故こうも非難がましい口調で問い詰められなければならないのか。
桂樹の真っ当な返しに、だがしかし月橘は緩く首を左右に振る。
「違う、そうじゃない。よく考えろ。本来生き物が棲息しない『森』にいたんだ。どんな形であれ、それは大発見だ。その手柄を何故お前はみすみす本部に引き渡す? 何故仔猫をそばに置いて真実を知ることをしない?」
怒涛のように畳み掛ける月橘に、桂樹の喉がごくりと鳴った。反論する言葉を探すように、薄い唇が喘ぐように動く。
「……人が、木に食われかけていたんだ……本部に報告して然るべき対処をとるのは当然だろう……?」
自信もない弱々しい反撃は、桂樹のはっきりとした動揺を物語っていた。
月橘の飴色の瞳が鋭く桂樹を射る。
「思考することを止めるなよ、桂樹」
―――いつから思考することをやめたんだ、お前
世界の叡智を束ねる男の声と月橘の言葉が重なり、桂樹は群青の瞳を見開く。
樹術師として、その研究者として、桂樹は思考を止めたと思ったことなどない。それでも二人の優秀な研究者から咎められるほど、頭を働かせていないのか。
自問に自答する暇なく、月橘の固く低い声が耳朶を叩く。
「俺たちは研究者だ。事実の先にある真実を白日の下にさらすのが性だ」
疑問を持たなくなったらおしまいだ。疑問を追求しなくなったら、研究者を名乗ることは許されない。
疑問はいくつかある。
「仔猫が人里から紛れ込んで『森』にいたのなら、何故お前は早々にアルベから離れた?」
『森』から一番近い街がアルベだ。商業都市としても栄えるあの街から『森』に迷い込んだと仮定するなら、まずやることはアルベで「彼」の身元を調べることだ。人の出入りの激しい街だ。あるいは旅人の類かもしれない。方々手を尽くしたとて、大きな街で「彼」の身元は確認出来ないかもしれない。
「道中、意思疎通は可能だったんだろう。では何故、『森』にいた経緯を仔猫に尋ねなかった?」
例え口を利けなくても意思の疎通が可能であったのなら、質問の仕方などいくらでもある。アルベではほぼ「彼」の意識はしっかりしていた。聞くことも出来ただろうし、「彼」から身元を辿ることも桂樹には出来たはずだ。
それら出来る全てのことを、何故桂樹はしなかったのか。何故早々に本部に連れ帰る道を選んだのか。
じっとりと、嫌な汗が浮かぶ。知らずに握った拳に力が入っていく。
「簡単な答えだ、桂樹」
飴色の瞳が、最後通告を突き付けるようにうっすらと眇められる。
「お前は最初から仔猫が人じゃない何かだって知っていたんだ」
だから何もしなかったし、何も尋ねなかった。
研究者としての己か、人としての本能か。無意識に感じ取ったそれから、桂樹は思考することをやめたのだ。
突きつけられて、初めて己の内にあるものに気付く。確かに桂樹はそれが普通でないと知っていたし、感じていた。
だが、意識を取り戻した緋桐は人としてどこも違和感がなかった。表情をクルクルと変え、素直に感情を表す。桂樹に向ける緋色の瞳は、絶対の信頼と安堵に満ちていた。偽ることなく、全幅の信頼を向けられて、嬉しくないはずがない。
桂樹は緋桐の輝くような笑顔が眩しく、またその瞳に見つめられる喜びがあった。
それが。
「人じゃない何か……」
呟きに、月橘の飴色がきらりと光る。
「そう、例えば『鳥 』とか」
得たりとばかりの声に、ぼんやりしていた桂樹がはっと顔を上げる。
「待て。それは飛躍しすぎだろう。緋桐は『鳥』じゃない」
「何故そう言い切れる?」
断言する桂樹に、月橘の低い声が鋭く返す。研究者然とした、探求する者の目をする月橘の表情は、爛々と輝いてさえいた。
まごついたのは桂樹で、凛々しくも鋭い群青が戸惑いに揺れた。
「……見ればわかるだろう?」
緋桐が『鳥』でないことなど、一目瞭然ではないか。
『鳥』とは、古より続く『世界樹』の為の存在とは、空を駆ることが出来る唯一の生き物。一対の翼を持ち、天翔る美しい存在。
古代より伝わる文書や壁画、彫刻に至る数多の美術品に、その姿は燦然と描かれている。
だから『鳥』は、『鳥籠』にいる。
今更何をと怪訝な表情を浮かべる桂樹に、月橘の飴色の瞳が爛々と輝く。
「神話が常に真実の姿をとるとは限らない」
含みを持たせた言い方に、桂樹は怪訝な表情を浮かべた。
「何が言いたい?」
「『鳥籠』に入った」
月橘はとびきりの秘密を明かすように、でも無邪気な子供のような笑顔を野性味あふれる男らしい顔に浮かべた。
一拍後、桂樹は大声で叫んだ。
「はぁ!? お前何を考えてるんだ!?」
西の王都の一画を有す『鳥』の住処『鳥籠』。四方を特殊な鉱物で囲ったそこは、外からはその外観さえも見ることが叶わない。景色に溶け込むようにして馴染んでいる『鳥籠』は、見つけるのも困難なれば、中に入るなど到底無理な難攻不落の城砦である。ごく一部の人間にしか開かれないそこに、樹術師である月橘は入る権限を持たない。
すなわち、彼は侵入したのだ。
桂樹でなくとも大声を出したくなるほどの大事だ。王直轄の保護庁が黙ってはいないだろうし、その責任問題は『シンクタンク・ユグドラシル』総帥に降りかかってくるに違いない。いくら彼が正統な聖王家の血筋を持とうが、元王位継承者であろうが、矢面に立つのは連理だ。事によっては、樹術師そのものが問題視されることになる。
有り得ないほどの驚愕でそれ以上言葉を告げなくなった桂樹を尻目に、月橘の態度は悪びれることがなかった。
「真実の追求だ」
それどころか平然と言い返し、その野性味あふれる男らしい顔を悪そうに緩めた。
「『鳥』は鳥の姿をしていない。『鳥』は俺たちと同じ形体をしている」
そこでしかと見たものを月橘は言葉に乗せる。
『鳥籠』の中で見た『鳥』たち。翼を持つどころか、その姿は一切人と変わることなく、その歌声だけが特異だった。天界で造られた鈴のように軽やかでどこか甘く優しく、それでいて魂をもぎ取るような暴力的な凶暴さでもって月橘を打ちのめした。
間近で長く聴けば、おそらく絶命する。
その時の激情を見るように、月橘の顔色がうっすらと悪くなる。しかし好奇心に駆られた飴色の瞳だけは翳ることなく、桂樹を興奮したように見つめる。
「桂樹、お前の拾った仔猫、『鳥』である可能性も否定できない」
そう、彼は『鳥』と密接な関係を持つ『森』で発見されたのだ。『鳥』が鳥の形体をしていないのならば、その可能性も出てくる。
指摘に、ぐっと桂樹の眉間に皺がよる。
「その仮定の上で追求することを厭うなよ、桂樹」
人でない生き物であるならば、彼は何なのか。その思考を止めたのは、桂樹の無意識によるものだ。追求の手を止めたのは、事実を知るのが怖いからだ。
何故思考することを止め、事実を知ることを恐れたのか。その理由まで突き詰めろと、月橘は男らしく笑った。
答えはすぐそばにあるという事を知れと、男の声が桂樹の耳を刺した
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