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第一話 渡り-1

 ああ、翼が重い。とても重い。  そんなことを思いながら飛蘭は、十数いる仲間の後方を必死に飛んでいた。  この澄み切った大空こそが己の領域なのだと言わんばかりに、優雅に飛ぶ有翼人達の背には白い翼が生えている。  その中で飛蘭は、唯一の黒翼だ。  黒翼持ちは希少であり、不思議な『力』を宿しているという謂われがある。だが謂われは所詮『謂われ』なのだと身を持って思い知った。  他の仲間よりも飛翔力が弱かった飛蘭は、少しでも長く飛べるようにと人一倍訓練を重ねた。そして仲間達が次々と歌を覚える中、羨望の眼差しを向けながらも『渡り』の歌をそれは必死に覚えたのだ。 『渡り』とは有翼人の中でも季節ごとに世界を渡り、鳥の声で歌を歌いながら、その土地に住まう季節の神を目覚めさせて、前の季節の神と交代させる役目を持つ者達のことをいう。  今年、飛蘭は『渡り』として、ようやく世界を渡ることを許された。  黒翼に本当に不思議な『力』があるというのなら、歌も簡単に覚えられて、もっと悠々と空も飛べたに違いない。  荒々しく息を吐きながら飛蘭は、額から伝う汗を拭う為に銀糸の前髪を掻き上げる。 「大丈夫か、飛蘭。もうすぐ(あま)(がみ)様の寝床に着くからしっかり飛べよ、落ちるぞ。落ちたら下は大海原だ。妖魚どもの餌になるぞ」  そう飛蘭に声を掛けるのは、今年の『渡り』を率いる白露(はくろ)だ。 「まあ、妖魚どもも、こんな細っこい奴が落ちてきたら、食べるところがねぇって文句言うだろうな」 「──白露、うるさい……!」 「おお、思ってたより元気じゃねぇか。雨神様を起こしたら、今回の役目も仕舞いだ。故郷に帰れる! 良かったな」 「……どっちも遠いじゃないか……」  雨神の寝床も遠ければ、故郷の国も遠いのだ。  弱音を吐く飛蘭に向かって白露が豪快に笑う。  彼がこんな風に飛蘭に構うのは初めてではない。  長い飛翔に心が折れそうになる飛蘭を、気に掛けて励ましたのは白露だった。だがあれは負けず嫌いの自分の性格を知っていて、焚き付けられたのだと言っても過言ではない。  もう限界か、ほら頑張れと言う彼に対して、飛蘭は紅玉の瞳で恨みがましく睨みながら、ぶっきらぼうに応えを返したのだ。           ***  飛蘭の故郷、南海国は人と有翼人が共存している国だ。  遥か(いにしえ)の時代、天の寵愛を怖れ、地上に逃げてきた有翼人たちがいた。  彼らは地上に暮らす人に助けられ天から匿われたが、彼らの美しさは人を惑わした。やがて人は有翼人を巡って争い、地上は大いに乱れたという。  天は逃げた有翼人に対して、愛憎半ばする念を持っていた。  だが地上が荒れる要因となった有翼人と、寵愛する有翼人を辱め地上を荒らした人に対して、天は罰を与えた。  人には人同士の生殖能力を取り上げ、一部の有翼人を慈しみ愛さなければ、子を成すことが出来ない身体を。  有翼人には『渡り』という、季節の移り変わりを知らせる為に、世界を渡る役目を与えた。  だが有翼人は人に助けられた恩を忘れたわけではなかった。一部の有翼人は人と子を成した時に、より優秀な子を産めるように自ら身体を作り変えた。  やがてそれは、()(しゅ)(へい)(しゅ)(くん)(しゅ)という三つの性の始まりとなったのだと、そんな謂われがある。  黒翼だ!  本当だ、きれい!  黒翼、きれい。  ねぇ聞かせて。  黒い翼のお兄ちゃん、お話聞かせて。  故郷のお話、聞かせて。  そう言って飛蘭の衣着の袖を引っ張るのは、雨神の眷属でもある精霊(しょうりょう)達だ。  今年生まれたばかりの精霊達は、幼子の姿で飛蘭に纏わり付く。  春を司る季節神、雨神は『渡り』が春の訪れの歌を歌っても尚、微睡み続けることで有名な神だった。『渡り』の春の知らせを聞いた冬の季節神である雪神が、雨神のところへ訪れてゆっくりと雨神を起こすのだという。  三日は完全に眠り、四日は微睡むことを繰り返しながら雨神は少しずつ目覚め始める。微睡みの期間に『渡り』は、再度春の訪れの歌を歌って、雨神の覚醒の手伝いをするのだ。 『渡り』の歌声は鳥の囀りに似ている。その為か彼らが歌えば鳥達が集まってきて、季節の移り変わりを祝うかのように、綺麗な声で鳴く。  先に目覚めるのは雨神の眷属である精霊達だ。  本来ならば雨神の世話をする役目を持つ精霊達も、主が眠っていて神がまだ傍に付いているのならば、特にすることがない。古参の精霊達は『渡り』と歌を歌いながら、『渡り』に食事と床を提供して、主が目覚めるのを待つ。  だが雨神が微睡む度に誕生する、幼子の姿をした新たな精霊達は、歌に興味がないのか話をしてと飛蘭にせがんだ。  故郷の話といっても、一体何を話せばいいのか分からない。  悩んだ末に飛蘭は、南海国の『人と有翼人に纏わる話』を、幼い精霊達に聞かせた。  歌を歌っていた仲間の一人が、笑いを堪え切れずに思わず吹き出しているのを見てしまって、飛蘭が睨む。きっとこんな幼い子に何を話しているんだと、言いたかったのだろう。  だが幼い精霊達は初めはきょとんとした表情をしていたが、すぐに目を輝かせた。  知ってる、そのお話、知ってるよ。  人は鳥にひどいことをしたんだよ。  でも鳥は人のことを許して、人のために人の子をうむんだよ。  くんしゅ、っていうんだよね。  お兄ちゃんは、くんしゅ?  違うよ、くんしゅはわたりになれないから、違うよ。へいしゅだよね。  今度は飛蘭が茫然とする番だった。 「さっき生まれたばっかりなのに、良く知ってるな」  飛蘭の言葉に精霊達は、首を傾げながらお互いを見遣ったあと、そうだね知ってるね、不思議だね、でも知ってるもんね、神様が言ってたんだよ、と小さい身体で踏ん反り返る。  その姿が妙に愛らしくて、飛蘭がくすりと笑った。  南海国に住む人と有翼人には、貴種、平種、薫種という三つの性が存在している。貴種は支配層の性、平種は一般の性、薫種は産むことに特化した性だ。『有翼人』という天の性質を受け継いだ彼らは、一般的に長命だ。  飛蘭は精霊達の言った通り、平種という性を持っている。  だが有翼人の平種にはある特徴があった。  それは『歌の力』を持っていることだ。他の種にはない特有の『力』を有翼人の平種が持つのは、『渡り』としての役目の為だった。 『渡り』が始めに歌うのは夏の歌だ。そうして秋、冬と季節を巡り、春の歌を歌って故郷へと帰り、次の役目の者と交代をする。  飛蘭にとって飛行は大変なことだった。だが降り立った地の、初めて目にするものが楽しく、出会う季節神や眷属達も個性的で面白い。何よりも自分が歌うことによって、目覚めていく季節の移り様が楽しくて仕方なかった。 「さあ、話はおしまいだ。俺も歌うから、ちゃんとお利口に聞いてろよ」  幼い精霊達にそう言うと、飛蘭は仲間達に合わせて歌を歌い始める。  きょとんとしている子がいた。  何だろうと身を乗り出す子がいた。  楽しそうに身体を揺らす子、気付けば一緒に歌い出す子もいた。  鳥と精霊、そして『渡り』が歌えば、木々は芽吹き、春花は綻び出す。  春の季節神、雨神の目覚めはもうすぐだった。           ***  季節は昨年よりも少しばかり遅れながらも、無事春を迎えた。  本来ならばもう目覚めてもいいはずの雨神が、『渡り』と鳥、自分の眷属達の歌を、微睡みながらずっと聞いていた為だ。  今年の歌はとても優しくて気持ち良かったのだという雨神の言葉に、『渡り』達が湧き立つ。特に飛蘭は初めての『渡り』だっただけに、とても勇気付けられたような気分になった。  後は冬の季節神である雪神との交代を見届けて、今年の『渡り』の仕事は終わりだった。  大空へと飛び立つ『渡り』達に、大あくびをしながら雨神が見送る。そして飛蘭と共に歌を歌っていた精霊達も元気よく手を振っていた。  またきてね、絶対だからね、その頃にはもっと大きくなって、もっと歌を上手に歌えると思うから。約束だからね、お兄ちゃん。  また来ると、飛蘭は精霊達と約束をして大きく手を振る。そして黒翼を羽ばたかせて、雨神の寝床から飛び立った。  あとはもう故郷へと帰るだけだ。  だが故郷への道のりは遠かった。  海を越え山を越え、ひたすら南に向かって飛翔する。 『渡り』の役目のあった期間はとにかく忙しくて、短い食事と睡眠の時間以外はずっと飛ぶ生活をしていた。今は日中に飛んで夜にしっかり眠る生活に変わった為か、身体は随分と楽になっている。  それでも仲春には故郷に着くように飛ばなくてはいけない。今年の初夏から飛ぶ仲間の為に、引継ぎを済ませなければならないからだ。  幾度、天陽と月を見送っただろう。 「飛蘭! ほら故郷の風だ! もうすぐ降地が見えてくるぞ。頑張れ!」  白露に言われて、飛蘭は風の匂いを感じた。  まさに一年振りの、故郷の慣れ親しんだ森の香りだった。思わず気が抜けてしまいそうになるのを必死に耐える。 「おいおい大丈夫か? いきなりかくんと落ちるのは止めてくれよ」 「大丈夫だ、まだそこまでじゃない。でも次の『渡り』までには、もう少し自分自身で余裕が欲しい」 「飛蘭は細っこいから、もう少し身体に肉を付けないとな。しっかり食って、しっかり寝るこった!」  そう言って白露が豪快に笑った。  寝るのはいいが食べるのは厳しいと飛蘭が言うと、白露は信じられないと言わんばかりの表情を浮かべる。 「食べるのが厳しいって勿体ねぇこと言うなよ。……肉だ! 肉を食え、肉を! 今度持って行ってやる」  肉は好きだが量が食べられないので、出来れば遠慮したかった。だがこれではっきりと断ると目の前で肉を焼かれ、一定量食べ終わるまで見張られそうだ。  飛蘭は敢えて何も言わずに、白露に向かって苦笑いをしたのだ。

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