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第一話 渡り-2

 森の一部に小さく拓けた地が見えた。  それは昇降地と呼ばれている。 『渡り』の始まりの場であり、役目を終えた『渡り』が地に降りる場だ。  昇降地は森の中に何か所も存在している。毎年どの場所が使われるのかは決められておらず、その時の状況によって判断することになっていた。  地に降りた『渡り』は予め持たされていた術札を使って、背中の翼を背に隠す。  今度は降下後の旅路だ。  森の中にある獣道を数日ほど大きく迂回をするように歩いて、ようやく故郷である里に辿り着く。  全てはこの森の奥深い所に存在する『渡りの里』の場所を特定されない為だ。  世の中には歌の力を持つ『渡り』を、愛玩動物のように飼う目的で攫う者がいる。  そしてここ近年、有翼人に怖れられているのが『翼狩り』だ。 『翼狩り』とは有翼人の翼や、見目の良い有翼人を他国へ売り飛ばす生業をしている、黒装束の集団のことをいう。彼らは狩りの成功率を上げる為に、毛麻鞋(けまかい)を利用していることで有名だった。  毛麻鞋とは麻で出来た(くつ)の底に獣の冬毛を付けた履物で、足音を消す効果がある。元々盗賊が使っていた品物だったが、いつの間にか黒装束と毛麻鞋は『翼狩り』を象徴するものに変わっていった。  (よく)(せつ)、という言葉がある。  有翼人は他国では大変珍しい人種だ。翼の美しさに魅了され、所蔵を望む者もいる。翼本体を含めて、翼を使った装飾品は『翼切もの』と呼ばれ、高値で取引されていた。  その中でも特に黒翼は希少だ。不思議な『力』を持つという謂われも相俟って、黒羽根を一枚でも身に着けていると、悪気から身を護ってくれるという噂が出回っている。その為か白翼の倍以上の値で取引されるという。  昔は堂々と翼を背から出していた彼らも、今では地に降りたその瞬間から身を護るために翼を隠す。翼が無ければ彼らは『人』によく似ている。札から出ている術の波動を感じ取れる者でなければ、見分け方が難しいくらいに。  南海国に蔓延る『翼狩り』に対して、国の王は大規模な討伐隊を結成して、国中に配置している。  この国の王は『人』の貴種だ。剛毅なことで有名で『翼狩り』が現れると、自ら兵を率いて討伐に当たることもあるのだという。それでも捕まるのは『翼狩り』という組織の中でも、蜥蜴の尻尾切りの役目を持った雇われ者だけだ。  残党が蜘蛛の子を散らすように逃げたとしても、『翼狩り』を率いている(とう)を捕獲しない限り、何度も再結成する。姿を変えていくつもの顔を持つ頭は、目的を達すると煙のように消えてしまう為、なかなか捕らえることが出来ないのだという。  だから自衛をするしかないのだ。 「まずは俺から降りる。何事もなければ合図を送るから、降りて来い。降りたらすぐに翼を隠せよ」  白露の言葉に、仲間達が無言で頷く。  昇降地に白露が降り立った。しばらくの間、辺りの様子を伺っていたが大丈夫だったのだろう。腕を大きく一度だけ動かす。降りて来いという合図だ。  仲間達が降下を開始する。飛蘭もその後に続いた。  あともう少しで地に足が着く、まさにそんな位置で。 (──え?)  横を飛んでいた仲間が消えた。  刹那の内に動いた、いくつもの黒い影。  それは、鳥網(とのあみ)だった。  まるで鳥網そのものが自ら意思を持つかのように飛び回り、『渡り』達の翼に目掛けて覆い被さる。鳥網に捕まれば逃れる術はない。藻掻けば藻掻くほど網目に翼が絡まり、身動きが取れなくなる。 「まだ上空にいるやつは逃げろ! 早く! 俺達に構うな!」  そう叫んだ白露にも、鳥網の一部が翼に引っ掛かっていた。  あれでは飛べない。術札を使って翼を背に隠すことも出来ない。  気付けば飛蘭は、地に足を付けて走っていた。  引っ掛かっている程度なら自分にも外せるかもしれない。 (白露を助けて、二人で仲間の鳥網を外して……逃げるんだ)  だが鳥網は再び白露に襲い掛かった。  無情にも白露の翼に絡み付いた鳥網は、白露の身体ごと地に縫い付ける。 「白露!」 「──馬鹿! 逃げろ、飛蘭!」 「皆を見捨てて逃げろって? 冗談じゃない!」  飛蘭が白露に駆け寄ると、鳥網を思い切り引っ張った。  だが何かの力が働いているのか、鳥網はびくともしない。 「今すぐ飛んで逃げろ飛蘭! 何故お前だけ鳥網が襲って来ないのか、意味を考えろ!」 「──っ!」  まさか、それは。  答えが脳裏に浮かんだまさにその須臾(しゅゆ)。  何の気配もなく現れたのは、口元を厚手の黒布で覆い隠した黒装束の集団だった。  足音がなかったのは、まさに彼らが使用している履物の所為だ。  彼らは飛蘭と白露を取り囲む。 「……『翼狩り』」  飛蘭の呟きが正解だと言わんばかりに、黒装束の集団が一斉に腰元の剣を抜いた。  だが集団の中で一人、飛蘭達の目の前まで悠然と歩いてくる者の姿がある。  他の『翼狩り』と同様、顔の下半分を布で隠している所為で、どんな表情をしているのか分からない。だが底知れない深淵のような闇色の目が飛蘭を映した須臾、ぎらついた欲を瞳の奥に浮かべたのが分かった。 「これはこれは……。思わぬところで思わぬ収穫ですね。黒翼とは珍しい。これは是非とも私の所蔵品に加えたいものです」  目の前にいる男の言葉に、全身が総毛立つ。  これから自分の身に何が起こるのか、何をされるのか。 (──翼、切……)  恐ろしい言葉が脳裏に浮かぶ。  再び白露が飛蘭に逃げろと叫んだ。  逃げなくてはいけない。  頭で分かっているというのに、飛蘭は動くことが出来なかった。  どうしても震えてしまう手を隠す為に、鳥網をきつく握る。そうして最後の抵抗とばかりに、目の前の黒装束の男を睨み付けた。 「身体は震えているのに、決して屈するまいとする貴方のその紅玉の様な目……いいですね。ますます気に入りました」  黒装束の男は面白いものを見たとばかりに、目を糸のように細めて笑う。  感情の冷えた目が見下ろす(さま)に、飛蘭は男の嗜虐性を垣間見た気がした。  この男ならきっと愉悦の笑みを浮かべながら、翼を切るに違いない。 「──っ、やめろ! 触るな!」  飛蘭に触れようとする黒装束の男の手を、力の限り振り払った。  だが男は楽しそうにそれを見つめ、今度はくつくつと声を出して笑いながら、再び飛蘭に触れようとする。  その、須臾。 「いたぞ! 『翼狩り』だ!」  森の獣道から、昇降地に雪崩れ込むようにして現れたのは、隊旗を掲げた一軍だった。有翼人の翼を強調した、翼隊旗と呼ばれる隊旗は『翼狩り』の討伐隊の証だ。  翼隊旗の中に、一際目立つ龍旗がある。  それはこの一軍が、国の王率いる『翼狩り』の討伐隊であることを表していた。 「──進撃せよ!」  声に従い、討伐隊が一斉に剣を抜いて『翼狩り』の集団に向かって走り出す。  数は圧倒的に討伐隊の方が上だ。  捕らえた獲物どころではなくなった『翼狩り』は、剣を交えて討伐隊と戦う者、捕まる者、逃げ出す者に分かれ、統率などあってないようなものだった。  飛蘭の目の前にいた黒装束の男もまた、討伐隊の姿を見るや否や舌打ちをして、早々に姿を消した者の一人だ。 (討伐隊が……王が助けに来てくれた)  捕らえられていた仲間も、討伐隊の中にいる術師が鳥網に掛けられている術を解き、丁寧に翼から網を外している。  自分達は助かったのだと、飛蘭は安堵の気持ちでいっぱいになった。 「白露、いま術師が仲間の網を外してくれている。もうすぐ……」  もうすぐ自由になれる。助かったぞ。  そう続けようとした言葉は。  声にならなかった。 「……あ……」 「忘れ物をしましてね。取りに来ました」  振り返った先に逃げたはずの黒装束の男がいた。  まずはひとつと言って、にぃと目を細める。  何を、と飛蘭は思った。何が『ひとつ』なのかと。  だが男が持っている黒い物が一体何なのかを、脳が認識した刹那。  自分の身体から、ぼたぼたと滴り落ちるものが、地面に染みを作っていることを自覚する。  ああ、ああ。  あれは。  あれは。 (──俺の、片、翼だ……!!) 「……っ、ああっ、ああああああ──っっ!!」  壮絶な痛みは、後からやってきた。  灼熱の焔に身を焼かれ、焼けた杭によって背中を貫かれながら、引き裂かれていくかのような激痛だった。飛蘭は血濡れの地面に肘と膝を付いて、土をこれでもかと掻き毟る。指先の皮膚が破けて血が滲んだが、縋るものがもうこの地面しかない。心と身体が痛みという感情に支配されて、自我をも失くしてしまいそうだった。  そんな飛蘭の様子を楽しむかのように黒装束の男が、くつくつと嗤う。  男は翼角を乱暴に掴んで、飛蘭の上体を無理矢理引き上げた。 「──()っ!! ああっ……!! や、め……!」  翼を引っ張られることによって、背中の傷口を更に広げられるような鋭い痛みが走る。 「さてあともうひとつ……と言いたいところですが、さすがに分が悪い。また取りに来ますよ、忘れ物を」  その時だった。 「──っ!」  鋭い風切り音がした。  どこからか飛んできた小刀が、男を掠める。  黒装束の男は掴んでいた翼角を突き飛ばすと、音もなくこの場を立ち去った。  飛蘭は地面に叩き付けられる覚悟をして、ぎゅっと目を閉じる。  だがいつまで経っても、硬く冷たい地の感触がしない。  気付けば飛蘭は、逞しい腕の中に抱き留められていた。 「──片翼を持った男が森の奥へ逃げた! あと数人の『翼狩り』の連中も同じ方向へ逃げている。追え! 一匹たりとも逃がすな!」   未だに鍔迫り合いの続く喧噪の中で、その男の低くも勇ましい声はとてもよく通る。  御意、と男に応えを返したのは討伐隊の一軍だった。黒装束の男の後を追って、足音が森の奥へと消えていく。 「すぐに医生の所に連れて行く。気を強く持て」  男が飛蘭の背中の衣着を破った。露わになった翼切の傷に札を貼り付けると、飛蘭を横抱きにする。  ふわりと鼻孔を擽る甘い香りが、曖昧な意識を浮上させた。  どこかぼやけた視界が男の顔を映す。  飛蘭を始め、この国の者ならば知らない者など誰もいないだろう。 (……(おう)(くん))  南海国の王、(ひょう)()に助けられ、抱き上げられている。  だが飛蘭にとってその全てが、自分とは全く関係のない、どこか遠い世界で起こった出来事のように思えて仕方なかった。  再び意識が朦朧とする。  酷く背中が痛くて身体が熱いというのに、背筋を伝う汗は驚く程に冷たい。王君の腕の中にいるというのに、ぞくぞくとしたものが足元から這い上がってきて、寒くて寒くて仕方がないのだ。  この寒さが飛蘭の意識を何とか現実へと引き戻す。  飛蘭は王君の衣着や艶のある濡羽色の横髪を、自分の血液で汚してしまうことを申し訳なく思った。だがどうしても聞きたいことがあった。震えながらも王君を呼ぶ為に、腕の衣着をぎゅっと掴んで引っ張る。 「……なか、ま……は……?」 「攫われた者はいない。怪我もなく無事だ。安心するといい。しかしこのような大きな傷を負っているというのに仲間の心配とは……何と優しくも情の深いことよ」 「そう……か……良かっ……」  ああ、良かった。みんな無事なのか。  飛蘭は安堵の笑みを浮かべたが、痛みの所為で上手く笑えたのか分からなかった。だが目を見張り、息を詰める王君の様子から、もしかしたら酷い笑い方をしたのかもしれない。  そんな王君の顔も次第に見えなくなる。  視界に映し出される全てのものが暗いのだ。 「絶対に治してやる。だから……──ぬな……!」  王君が必死に何かを言っているが、飛蘭にはもう聞こえない。  どくりどくりと強く脈打つ心の臓が、苦しくて堪らないというのに。  どこからか薫る春花のような甘い香りに、何故かひどく安心感を覚えて、飛蘭は意識を手放したのだ。

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