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第二章:『赤い瞳の悪魔』
【第二章:赤い瞳の悪魔】
(悪魔side)
1
繁華街の路地裏は湿り気を帯びている。カビと埃っぽい異臭が混じった空気のなかで、アルコールの匂いと換気扇から排出された煙草の匂いが複雑に入り乱れていた。月明かりさえも遮る雑居ビルに囲まれ、淀んで滞った重さが漂う。コンクリートから漏れ出た店の灯りや、薄暗い街灯だけが僅かな光だった。
「そう、いい子。ココにサインを書こう。」
長い金髪の間から覗く細い首筋に顔を近づけ、妖しく囁く――。
甘ったるい香水が鼻の奥に広がると、思わず眉間を顰めそうになるのを抑えた。
あぁ、その不快な匂いが体にまで付きそうだ。早く終わらせてくれ。
彼女が悪魔の契約書へ名前を刻み始める。ペン先とは反対側にある、烏の羽根が黒々と宙で揺れていた。
「これでいい…?」
どこか期待を込めたような眼差しを向けられながら、署名の終わった紙切れを差し出される。
「あぁ、完璧だ。」と、呟きながら不敵に微笑み、獲物の細い腰を抱いた。改めて契約書に触れると、そこに記された彼女の名前が赤く光る。ただの紙が、漸く強力な効力を持ち始めたのを感じた。
「これでお前の魂は私のものだ。」
耳元で囁きながら微笑むと、彼女は恍惚を浮かべながら…
まるで操者を失ってしまった操り人形のように、その体が地面へ崩れ落ちた。
「…今日はこれで何人目だったか。」
呟きながら、何の感情も湧かなかった。ただ、汚れたコンクリートに崩れている人間を見ていた。
直ぐに背を向け、闇夜に溶けていくように姿を隠す。彼の元へ向かおう。今夜は会いに行くと決めていたのだから。
ーーーーーーーーーーー
彼を見つけるのは造作もないことだ。自分へ向けられる彼の渇望は、まるで俺を召喚する悪魔崇拝の儀式のようだった。
どこに居ても簡単に見つけられる、面白いほどに。
羽虫が飛び回り、羽を擦り合わせるような乾いた音が響く。俺を強く呼んでいるその魂へと意識を集中させ…
目を開ければ、そこはまたもや、どこぞの宿屋なのだとすぐに分かった。あの男はエクソシストとして出張が多いらしい。
しかし俺は正直に言って、戸惑った。
あのエクソシスト――ライラの元へ来たのはいいのだが、まさにライラはシャワーを浴びていて、俺はその背後に立ったわけだった。
俺としたことが、距離感を誤ったな…。
流れ落ちるシャワーの水音と蒸気に俺の存在さえ掻き消されたのだろうか。幸いなことにライラはまだ気づいていない。
どうしたものか…。
さすがにシャワー中に振り返ったとき、目の前に俺がいたのなら、ライラは心臓発作でも起こすかもしれんな…。
よく鍛えている背中の筋肉へ、泡や湯水が流れ落ちていくのを見つめていた。体に残る数多の傷跡は痛々しく見える。
悪魔として、人間が怯えた表情を浮かべるのを眺めることを好むが、なるべく彼を驚かせない方法を取ろうと思った。もう一度姿をくらませよう、シャワーを出た頃合を狙えば…
そう思ったが、時すでに遅し。
彼には相当敏感な第六感が備わっているのかもしれない。突然振り返り、素っ頓狂な叫び声を上げた。
「うわぁあっ――!?」
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