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第八章:『渇望と誘惑』
【第八章:渇望と誘惑】
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(悪魔side)
久しぶりのこの場所だ――…。
欲望に溢れて淀んだこの世界の空気を吸い込むと、暫く影を潜めていた本能が刺激され、体の奥底から力がみなぎるような感覚だった。
枯れ果てた草木が生ぬるい風に攫われ、乾いた大地から砂埃が舞い上がる。異様に赤く染った空と何も無い砂漠が永遠に続いているような、不気味ながらも神秘的な光景が広がっていた。
「…時間感覚が違ったはずだ。早く予定を済ませよう。」
そう呟くと、徐に背中の翼を広げた。
魔界で過ごす時間は、人間界で経過する時間よりも何倍も早くなる。ここで数時間の滞在が、人間界に戻ると数日に換算されることもあった。
1秒さえも惜しく感じ、早急に目的地へ向かう。
漆黒の黒い羽根を羽ばたかせ、縦横無尽に飛び立った。
幼少期に過ごしていた見慣れた場所にたどり着き、魔物や悪魔たちをあしらいながら屋内へ入る。
俺が帰ったというだけで周囲は騒がしく、煩わしい。
「親父はどこだ。早く会わせろ」
近くにいた悪魔に告げると、怯えたように一室へと案内される。
趣味の悪い装飾がされた椅子に深々と腰掛け脚を組むと、目の前の階段の先にある椅子を睨みつけた。
もう数十分待っているのに、一向に現れない。
「遅い…。早く来い…。呼びつけておいて…」
イライラとしながら呟いたそのとき、渦巻くような闇が椅子を取り囲み、聞きなれた煩わしい音と共に、大柄な悪魔が姿を現した。
「ベルブ、遅いのはお前だ。呼びつけてからどれだけ日数が経ったと思ってる…」
赤い月明かりが逆光になって、その顔がよく見えない。よく知った親父の顔だ、それを気にする必要もなかった。
彼は地を這うような低い声で、登場さながら叱責を始めるその姿に、俺はため息を漏らす。
「俺だって忙しいんだ」
「何を抜かす…。意味もなく人間界をほっつき歩いて、さらには同胞を手にかけただろう…」
「だったら何だ?そもそも向こうが悪い。俺が唾を付けておいた獲物を狙った」
「立場を弁えろ、息子よ。俺に対しても、周りの悪魔に対してもだ…。録にコチラの仕事もせず、人間界でお前は何をしてる…!」
その怒号は地響きのような低い音圧が弾け、ビリビリとこの空間が軋む。背中の翼が思わず逆立ち、威嚇するように目を開いた。
「…俺に指図するな。何をしようが勝手だろう」
「そういう訳にはいかんぞ、息子よ。弟に全てを与えていいのか…!」
「良いって言っだろ…。破門でもなんでもしろ。俺はお前に縛られたくない。アイツもそれを望んでるんだろ。好きにくれてやれ」
「…はぁ。全く…。分かってるだろう、兄として…」
「またそれか、もううんざりだ…。二度と戻るか…!」
「おい、待て…!地獄に追放するぞ…!早く孫の顔も見せろ!」
「っ…うるさいな、親父面するな…!子供など要らん!地獄には追放するな!」
親父の話で一瞬、なぜかライラの姿が過ぎり、動揺する。
…ライラ。俺は…お前となら…。
何を考えてるんだ、馬鹿げてる…。
…ライラが、あのエクソシストが俺のために何もかもを手放すはずが無い…。
ガミガミと親子喧嘩をしながら、精神が摩耗する。
こんな場所はうんざりだ。父親はまるで所有物のように俺を扱う。
「お前の血を引く者を残せ、さもなくば追放してしまうぞ…!」
「何を勝手に…!」
おいおい…待てよ…。地獄に追放されたら…ライラに会えなくなる。
その辺の悪魔や人間と交われというのか?
いやライラにバレたらマズイだろう…。
「帰る…!お前の話には付き合ってられない…!」
「おいベルブ!まだ帰さんぞ…!人間界へ行くというのなら、仕事を済ませてからだ!さもなければ追放だからな!?」
仕事まで押し付けられるとは、冗談じゃない…。
さっさと終わらせて、早く戻らなければ。
奴は何かと地獄への追放を引き合いに出してくる男だが、あの親父は残酷で有名だ。俺だってそれはよく分かってる。悪魔という存在を具現化したような男だ。
仕事は終わらせれば問題無いとして、孫の件は厄介だ。
地獄に追放されるのは困るが、どうすれば…。
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