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2 (悪魔side) ー数日後ー 真っ直ぐには進めないチェスの駒、その騎士(ナイト)の馬の蹄が地面を蹴るように、その駒を摘み上げながら、白い戦車(ルーク)を飛び越えようとした。 そのとき、手に持っていた騎士が、指の間をすり抜けて落ちていく。 「…」 己の人差し指を見つめた。 白い指は爪に向かうほど鈍い灰色にくすみ、赤くひび割れるような亀裂が走っている。 「思うように動かせないな…」 そんな風に呟きながら、地面に転がっていた黒い駒を拾い上げる。 こんなもの、大したことは無い。痛みは無いに等しいが、人差し指に力が入らない。そうは言えど、上手く曲げられない程度だ。 でも、ライラにバレるのは良くないな…。 魔力を込めてみるが、その傷跡は隠れてはくれなかった。 「…消えないか。まぁ…指先なんて…見ないだろう…」 そんな風に呟いたが…。ライラのことだ…。ライラは俺の体の隅々までを、ジィっと見つめる癖がある。 あの熱っぽい視線は好きだけれど、指先まで見られてる可能性も否定できない。 「…包丁で怪我をしたとでも伝えようか」 そう呟いて、絆創膏を貼り付けた。これでいいだろう。人差し指を使って何かを握ろうとしなければバレないはずだ。 左手で、その指先に触れてみた。 感触がないな…。触覚も失われてる。 この指先の違和感のピークは今朝だった。朝だったからライラとの接触も少なく、バレずに済ますことができた。 昨日まではこの指先に特に違和感が無かったが…。恐らく次第に体を蝕むような、毒のような性質の傷だろう。 ところで今日の昼間には、指の第二関節に及ぶまでに赤い亀裂が登ってきていた。回復させることを意識して半日過ごしたおかげが、今はその亀裂も、指の変色も、爪の辺りまで引いている。 この程度であれば、明日には治るだろう…。 そう思いながら、チェス盤を片付ける。 この指の怪我はあの博物館で負ったものだった。 ーーーーーその数日前(博物館にて)ーーーーー 俺は人目を憚り、人間からは可視化できないように姿を消しながら、とある博物館に来ていた。 ライラが教皇庁から受け取ったエクソシストの依頼書の中で、一番嫌な感覚がした場所だ。この場所の悪魔は俺が先手を打つべきだと判断し、ライラに黙って単身でここへ来た。 博物館の廊下を歩きながら、なるほど、と唇の端を上げた。 殺気に満ちている悪魔の気配を感じる、それは、特定の個人に向けての強い殺気だ。 つまり、ライラを狙ってる。 また廃教会と同じか、ココへ呼び寄せようとしているな。 ココに来たことはどうせバレるが、ライラは怒るだろうな。ライラは、危険な悪魔祓いだと判断したなら、自分も連れていけと言っていた。しかしココはライラを連れて来なくて正解だったろう。 古びているが豪華な作りの廊下を歩きながら、関係者以外立ち入り禁止、と表示されたドアの前に立つ。体を霧のように霞ませると、鉄製のドアをすり抜けた。 バックヤードの廊下は薄暗く、埃っぽい。姿を消したまま進むと、倉庫と表示され数字がナンバリングされているドアの前に立つ。 第3倉庫、と書かれたドアには、要修復品、保管中、という張り紙の上に、『許可無く開けないこと!!!』と、貼られている。 悪魔が憑いた者をこの倉庫に隔離したか…。殺気はここから発せられている。 遠慮なくそのドアをすり抜けると、ベッドの上で男性が、ガバッと上半身を上げた。その首が捩れるように不自然な角度へ傾き、男はニヤリと笑う。 「やはり来たか…。あの神父の剣となり盾となるつもりか?」 低く嗄れた女の悪魔の声…聞き覚えがある。 「愚問だな。地獄へ帰そう」 俺は冷たく返して、右手を上げる。 「そう焦るな、久方振りの再会だ。お前の悪行…地獄に行くべきはお主だ。地獄へ追放する許可も…得ているぞ。」 「あの親父か…。」 「そう、もう魔界には戻れんな。」 親父から縁を切れるのは寧ろ好都合だ。 戻って来いと言われることもない…。 腕に魔力を込めるように殺気立てると、その男性に取り憑いていた悪魔、メドゥーサは、男性の体から飛び出し、無数の蛇が這い回る頭を現した。 「我はお(ヌシ)の尻拭いをしているに過ぎん。神父の始末を最初に引き受けていたのは誰だ…?」 「そうか、そのことを知っているのか。ならば分かるだろう…?あの神父は俺の獲物、手を出すのは許さん。」 「お主が与えられた仕事をせず、あの神父を仕留め損なった。だから、我も命令を受けたのだ、既に我の獲物だ。報酬も弾むらしい。」 そう言って、渦巻く無数の蛇に瞳を隠しているメドゥーサが笑う。 「くだらんな。蛇風情が。大人しく下がれ。」 「ふっ、分かっておるぞ…。あの神父を殺す気がないのだろう…?神父の匂いが悪魔の身体に染み付いている…欲望の匂いだ…」 メドゥーサの言葉を聞いて、不敵に微笑んだ。まるでエクソシストを脅すような悪魔のソレだ。 「悪魔の脅し方をこの私にするのだな、愚かな蛇よ。身の程を知れ。高位の悪魔と認められる程の脳は無いようだな。」 「ふふふ。聖職者の体…さぞかし甘美であろうな…。手込めのようにして懐柔するつもりか…?」 「…口を慎め。どうも死に急ぎたいらしい。」 「悪いことは言わん。古い悪魔の、この我の年の功という奴じゃ。あの神父は止めておけ…。縛られた鎖が余りにも多すぎる…。あの神父はお前をぞ…」 その言葉に眉を顰める。 その手の挑発に乗ると思ったか、メドゥーサめ。甘いな。 「黙れ…地獄に堕とす…」 「気に食わんか?地獄、地獄と…。おぉ、怖い…。その口癖、血は争えんようだのう。」 俺が…? あの男と同じだと…? あのような父親と…? 次の瞬間には、メドゥーサの舌を引き摺り出していた。生温い体液が、右手にベタベタと広がる。 「さぁ、これでもう、地獄へ追放だ…」 そして再び、怒りに任せて出てきた言葉に、ハッとする。 あぁ…本当だ… この口癖は…アイツそっくりだ。 嫌っていたモノに自分が近付くような感覚が、ザワザワと胸に不快感を残す。 その時、ウネウネと無数の蛇が這い回る頭から、数多の触手が伸びてくるかのように、蛇は絡み合いながら素早く俺の右腕を噛む。 致命傷を与えてもこの抵抗力… 「動けんだろう…。この毒はすぐに回る…。石にしてやる、美しい悪魔の姿を残して芸術となるがいい。そして、ここへ来たあの神父に見せつけよう…。彫刻のように展示したお主の姿をな…」 「っ…」 メドゥーサの頭の蛇がズルズルと動き、俺は視線を外せなくなる。真っ赤な瞳が俺を捉えた途端、肢体の先から感覚が消えていく。 「くっ…!」 じわじわと体が石化していくが――… 「ふっ。こんな悪魔と、刺し違えるわけが無い…」 首まで石化して体を動かせないのを感じながら、相手の魔力を押し返す。メドゥーサの目を睨み返した。 石化していた肌の灰色が、先程までとは逆方向へ、指先の方へと引いていく。そのまま右手に絡みついていたメドゥーサが石へと変化し、右腕にズッシリとした重さを感じる。 石になった首を地面に投げ捨てると、それは割れて砕け、まるで灰になるように粉々に消えていった。

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