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「ベルブ…っ!」
あの悪魔の名前を叫びながら、体をがばっと勢いよく起こした。
「ライラ神父!大丈夫ですか…?落ち着いてください…!」
ハッと横を見れば、コイツは……
あぁ、そうだ、以前悪魔祓いに同行したアダムとか言う神父だったか…?
アダムはその額に汗を滲ませながら、心配そうに俺を顔を覗き込み、その腕で俺の背中を支えてくる。
「…こ、ここは…」
辺りを見回した。白い空間だけが何の穢れもなく部屋の隅にまで広がっている。俺はベッドの上に寝かされていたらしい。
「こちらは教皇庁の医務室ですよ…。ライラ神父は今朝のミサで意識を失って…。こちらへ運ばれてきたのです。とても魘されていました。大丈夫ですか?」
アダムはそう言って、何かを祈るように首から下げていたロザリオを右手に握りしめていた。
「あぁ…そうか。そうだった…。気を失ったんだったか…」
さっきのは…夢だったのか…。やっとベルブに会えたと思ったのに…。
それにしても恐ろしい夢だった。しかし同時に、ベルブとの再会というものは夢の中であったとしても、胸を焦がすように昂り、烈しく、同時に甘美なものだった。
まだ耳の奥に、ベルブのあの懐かしい、低くて柔らかな声が絡みついて残っているかのようだった。俺の名前を呼んでいたあの声を思い出すと、恍惚と意識が遠のきそうだった。
「それにしても驚きました…。倒れたのがライラ神父だと気づき、慌てて駆け寄ったんです。きっと疲労が原因でしょう。最近は以前よりも一層、休まず働いておられたと聞いています。」
アダムのそんな言葉で再び、現実に引き戻される。耳を傾けながら、自分の腕に繋がれている点滴の袋と白い天井をぼんやりと見つめた。
「…そうだな。動いていないと落ち着かなくて…。」
「…ですが、最近は前よりも、とても危険な悪魔が憑いているような依頼は減ったと聞いております。どうかご無理なさらず、休息の日も設けてください…。」
アダムはそう言って悲しそうに眉を顰めた。彫りの深い顔立ちの輪郭にさらに暗い影が刻まれる。
休息か…。そんなもの要らない…。悪魔祓いをして、悪魔に会い続ければ…いつかアイツに繋がるかもしれない…。
「…ライラ神父?大丈夫ですか…?」
アダムの言葉で我に返り、心配させまいと繕うように微笑んだ。
「大丈夫だ。それより、この点滴はいつ終わるんだ…。煙草吸いたいな…。」
ボソリと呟くと、アダムは冗談じゃない、と言ったように口を尖らせる。
「駄目です。せっかくですから倒れたことをきっかけに禁煙もしてみられては…?体に毒ですよ、ライラ神父。」
「うるさいな…。君に指図されたくない。」
目を逸らしながら答えると、アダムはクスッと吹き出して笑った。
「…ふふ、そうですか」
「…なんだよ、笑うな。」
「いえ、いつものライラ神父に戻った気がして。すこし安心しました…。」
そう言って安堵の表情を浮かべ、アダムは柔らかく笑う。
しかし後輩にこんな姿を見られてしまうとは。情けなく小っ恥ずかしい…。俺は目を逸らして顔を僅かに背けながら呟いた。
「ラテン語は?覚えたのか?」
アダムの表情をチラリと伺う。するとアダムは少し驚いたように目を開いたあと、ふわりと微笑んだ。
「えぇ。習得中です。何も見ずに暗唱できるレベルではありませんが、読めるようになりました。」
アダムは照れくさそうに呟いて、目線を手元のロザリオに移した。びっしりと生え揃った黒い睫毛が蝶の羽のように瞬いた後、俺を真っ直ぐにその瞳が見つめ返した。
「…ライラ神父のようになりたい。困っている人を救えるように…。と言っても、私に回ってくる案件は、悪魔が憑いていた試しがありません。精神疾患の方たちばかりです。でも、悪魔と戦いたいというわけではありません。悪魔が消えたと伝えることで、彼らに平穏を与えられるならそれでいいと思っていますから。」
アダムはそこまで言うと、俺の手を握る。
「私から、ライラ神父に祝福を。」
そう言って、アダムは静かに目を閉じながら俺の手の甲を唇に近づけた。
「…ありがとう。…しかし、油断は禁物だ。お前もいつか、あの時のように、本物の悪魔に出会う。」
「えぇ。覚悟はしています。ラテン語で祈れるようになっておきます。」
アダムの澄んだブラウンの眼差しが清らかに俺を見つめ返す。アダムの穏やかな微笑みにつられるようにして、俺も自然と口元が緩む。
照れ臭くなりながら鼻を擦り、ふっ、と小さく笑った。
「いつか、また、ライラ神父と戦えるように…精進します。どうかお身体を大切に、自分を大切に。」
アダムはそう言うと、まるで祈るように俺の左手を握りしめ、俯きながら彼の額へと近づけた。アダムの手は人肌の温度をしていて、じんわりと俺の肌を温める。ベルブの冷たい手とは違った感触だった。
「あ、あぁ…」
歯切れの悪い返事を返しつつも、少しは自分の体を労わろうと思えた。倒れてしまえば悪魔祓いにも行けなくなる。あの悪魔に会える機会を逃すかもしれない。
そう思った時、自分を嘲るように笑いながら肩を竦めた。
俺は、また、ベルブのことか。何もかも、何をしていても、頭の中はベルブのことばかりだ。
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