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(悪魔side)
ライラの穏やかな寝顔を見つめながら、その頬を優しく撫でる。そして時折、彼がフガフガと可愛くないイビキを漏らすと、思わず顔が緩んだ。
「無防備だな…。俺にこんな寝顔を向けるなんて……」
愛おしさが募って、その身体を優しく抱き寄せた。筋肉質のその身体は温かくて、心地いい。
「ん……ぅ……」
鼻に籠ったような吐息を漏らして、腕の中で彼の睫毛が震えた。瞬く蝶の羽のように睫毛は小刻みに跳ねて、ゆっくりと開けられた瞼からその瞳が俺を見つける。
「…おはよう、ライラ」
そっと声をかけると、ライラは途端にボッと顔を赤くした。恥ずかしそうに眉を顰めて顔を伏せる。それでも甘えるかのようにその額を俺の胸板に擦り付けてきた。
「………おはよ」
俺の胸に顔を埋めるように隠したまま、ライラが小さく呟く。どこか拗ねたような口調なのに、甘ったるく枯れた声色だった。
その頭を包むように腕を回して、朝日に照らされる短い銀髪を指で梳く。すると突然、「……昨日、ゴメン……」と、顔を伏せたままでライラが呟くから、俺は首を傾げた。
「ごめん…?何のこと…?」
ライラの身体をそっと離しながら、その顔を覗き込むように背を丸める。ライラの瞳は泳ぐように動き、顔を真っ赤にさせたまま下唇を噛んでいた。
「…俺、途中で……意識飛んだ……。約束……守れてねぇ……」
そんな風にボソッと呟くから、俺は思わず笑ってしまう。夜通しなんて約束、真に受けてくれていたのか…?こうやって変に律儀な所も彼の魅力だ。
昨日のライラの乱れ様を思い出し、ニヤニヤと笑みが零れる。
「…謝らないで?気にしてないよ。俺の方こそ無理させてごめんね…」
耳元で柔らかに囁く。
「っ……別にいい。その、久しぶりで……凄く、良かった……」
ライラは再び俺に縋るように抱き着きながら、その顔を隠を胸に押し当てる。見えている耳や首まで真っ赤だ。その姿に何とも言えずゾクゾクと欲望が甘く燻り始めて、彼の赤い耳元に唇を寄せる。
「…可愛いね。また欲しくなるよ…」
クスッと笑いながら囁くと、ライラはビクッと腕の中で震えた。
「…馬鹿野郎ッ……あんなにシたのにっ…。朝から盛るな…!…悪魔め…」
そう言って赤く染まりきった顔で睨むように俺を見たライラが愛おしくて、衝動的にギュッと強く抱きしめる。
ライラは抵抗なくすっぽりと腕の中に収まっていた。しかし、暫くするとモゾモゾと彼は顔を上げる。
「…そろそろ起きねぇと……。今日はやらなきゃならねぇことが沢山ある…」
唸るように呟き、ライラは身体を起こそうとする。まだ腰や脚に違和感を感じるのか、その左手で背中を擦りながら上半身を起こしていった。
「…やること?」
筋肉の隆起するその背中を見つめながら、俺も身体を起こした。過去の悪魔との闘いで小さな古傷や痣の残る背中に、俺のキス痕や歯型が点々と残されているのが見える。
「…あぁ。役所にも行くし、教皇庁にも…。辞表を叩き付けてくるんだよ…」
ライラはそう言って、ベッドサイドに置いてあった煙草の箱とライターに手を伸ばす。ライラの言葉の意味が分かると、俺はライラの腕を直ぐさま優しく握って引き寄せた。
「ライラ…」
「…ん?」
煙草を咥えたライラが振り返る。ライターを構えていたその左腕を捕まえて顔を寄せ、彼の煙草の先にフッ…と吐息を吹きかけた。
煙草の切り口に火種が付いて、ライラは驚いたように眉を上げながらも息を吸い、空気を通す。チリチリと紙と葉が焼ける音と共にそこから濁った煙が上がると、ライラは片方の口の端を上げながら微笑んだ。
「ふっ…悪くねぇ……。ライター要らねぇな
…」
紫煙を燻らせながらライラは呟き、背を丸めながら煙草を指で挟む。
「…ライラ、一人で行ける?」と、漂う煙を避けもせず、ライラの体に身を寄せて尋ねた。
「…行けるよ、ガキじゃねぇんだぞ……」
ライラは僅かに顔を赤らめて拗ねたように返した。
「…そう。教皇庁は許してくれるかな……」
ポツリと彼に投げかけた。ライラは煙草を持つ左手を右手へと変え、その左腕が俺の背中へ回される。
「…許すも何も、離婚した証明書を見せつければ、俺をクビにしねぇわけにはいかねぇんだ。だが……」
「…うん?」
「……正直言うと…、他のエクソシストたちが心配だ。今まで俺が請け負ってた悪魔祓いを奴らが受け止めることになるんだからな……」
ライラはそう言って、溜息を付く。
「……そうだな。…でもね、ライラ……」
「…なんだ?」
「…安心して、強い悪魔が憑いているケースは減るだろう。なぜなら、多少厄介だった高位の悪魔達は、ずっとライラだけを狙ってた。逆に言えば、ライラがエクソシストを辞めても……ライラは狙われるかもしれない」
そう告げると、ライラは驚いたように目を見開く。しかし、すぐに不敵に微笑んだ。
「…あぁ…。そうか、そうだろうな。俺を狙ってるような感じには気付いてた。ベルブと一緒に行った廃教会の悪魔だってそうだったろ…」
「確かに、アイツもそうだった…」
俺は呟きながら、心の中で親父からの差し金だったその悪魔を思い出す。
ふと、考えるように目を逸らした。
ライラがエクソシストを辞めれば、親父の差し金として現れる悪魔以外からはライラを遠ざけることができる。しかし親父のライラへの報復は止まらないはずだ…
俺が護る気で居るが、ライラが1人の時に急に現れたらどうする…?
いや、すぐに駆けつければいい…
迅速に対処することは前提として…何体も同時にあのレベルの悪魔達を送り込んできたら…?
数匹じゃない、レギオンのような大群を向けられたら…多勢に無勢だろう…
「…ライラ、聞いてくれ。全て話すよ。ライラが高位の悪魔に狙われている理由を…」
ライラを見つめながらそう伝えると、ライラは真面目な顔付きになる。そして手に持っていた煙草の火種を灰皿に擦り付けた。
全ての黒幕は親父であること、その原因はライラが悪魔祓いとして悪魔たちを数多に地獄へ葬ってきたからであること。
そこまで伝えながら、ライラの反応を伺う。
「…おいおい、俺は…お前の親父に……?サタンに目を付けられてたってことか…?」
ライラの瞳は揺れてギョッとした表情を露わにする。俺は申し訳なさそうにその手を握りながら、重い口を開く。
「…そう。そして、親父から、最初にライラを地獄へ送れと命ぜられたのは……"俺"なんだよ」
その真実を告げると、ライラはさらに衝撃を受けたように瞳を見開いた。一抹の不安が過ぎる――…
しかし、ライラはそれを打ち消すように直ぐに鼻を鳴らしながら微笑んだ。
「……ふっ。それなのに、この俺を好きになっちまったって訳か……?」
ライラに図星を言い当てられると、俺は困ったように笑みを漏らす。
「……そうだね。ライラ無しじゃ…狂ってしまうくらいに…」
その瞳を熱心に見つめながら、握っていた手にギュッと力を込める。
「…ふっ。どうしようもねぇ王子だな……。親父 も呆れてるだろうよ…」
ボソッとライラが呟くから、俺は複雑な心境を隠せずに目を逸らす。
「……分かってるさ。親父は俺に対しても怒ってる。父親の跡を継げという願いも跳ね除けて、ライラのことも命令に背き、父親の手下たちを逆に地獄に送り返してるからね……」
「はぁ…とんでもねぇことになってんな…」
ライラはそう呟き、その手を自らのに当てて考え込むように唸る。
「……昨日の話だけれど、俺の契約を不履行にさせるため、俺の親父に談判するって話。こんな状態で親父 が聞き入れると思うかな?」
そう尋ねるが、どう考えても……当然無理だろう…。
答えは分かっているのに、ライラに胸の内の葛藤を打ち明けるように吐露した。
「ハッ…。そりゃ無理だろうな…!」
ライラは吹っ切れたかのように笑い、再び煙草の箱に左手を伸ばした。しかし、「…だが」と、ライラは言葉を続ける。
「……それは、サタンが悪魔の中で1番偉いからだろ?」
ライラはそう言って、目を細めながら悪く笑う。
「そうだけど…」
「つまり、お前が親父の命令に逆らう形になるのもそのせいだ……悪魔の世界が縦社会であるならば、1番偉いヤツの言いつけを守らなきゃいけねぇからな」
「…ライラ、それは…」
「……分かるだろ?ベルブ…。テメェが1番偉くなりゃ、全てがひっくり返るんだよ」
ライラはそう言って、俺の肩をズズッ、と指で押す。
まさか…
本気で父親の跡を継げと……?
「…いや、だから、俺は魔界の王になる気は無いんだよ…?」
「魔界に縛り付けられて俺と離れることになるのも嫌だっつってたな。そんなこと分かってるよ。だが、お前がサタン になりゃ、どうとでもできるんじゃねぇのか?…俺は、魔界がどんな場所かも知らんが、お前が魔界に行くって言うなら付いていくつもりだぞ……」
ライラは揺るがないような眼差しでそう言うと、その左手が俺の頬を撫でた。
「お前となら地獄でもいい。魔界で暮らすなんて朝メシ前だ。コッチはお前のためなら――……何もかも捨てるって腹括ってんだよ…」
ライラはそう言って、僅かに顔を赤く染める。しかしその瞳は熱心にまっすぐと俺の目を見つめ返していた。
その揺るぎない眼差しに、胸の奥が熱く疼く。
ライラが据えた覚悟は、俺にとっても彼のために何を犠牲にしてもいいと思えるものだと確信する。
そうだな…
責任を負うことやあの魔界の悪魔 どもを統べるのは面倒だとばかり思っていた。
なにせ、権力や肩書きには一切興味は無い…
しかしライラのためになるならば……
俺はライラの方へ顔を寄せて、その額に自分の額を当てた。
ライラの両手を握りしめながら、神でも魔王でも無く、ライラという1人の男に誓うように呟く。
「……俺だって、何を犠牲にしてもいい。ライラを護るよ。そのために王になることが必要ならば……それも悪くない選択肢かもしれないね」
そう呟くと、ライラは恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、小さく微笑む。
「…エクソシストを辞めた後、俺が悪魔の王に連れられて魔界に行ったなんて知れたら……教皇や枢機卿たちは卒倒するぜ……」
ライラは困ったように笑った。
「驚き慌てふためく様を見てみたいものだ…」
クスッと笑いながら悪戯にそんな言葉を返すと、ライラは肩を竦めて笑みを漏らす。そんな油断しているライラの耳元へ、スッと唇を近づけた。
「魔界の王のところへ……君を伴侶として迎えなければならないかもね…」
耳元でそう囁くと、彼の熱気がこちらへ伝わるほど、ライラの体温がみるみるうちに上がるのが分かる。
握りしめていた手元から視線を上げれば、ライラの顔は真っ赤に熟れていた。
「……っ、は…伴侶…だと…」
「だってそういうことでしょ…?俺が王になっても……ライラを手放すことなんてしないよ」
「……わ、分かってるよ…!…俺だって、お前の傍から離れねぇ…」
ライラは照れて赤く染め上げた頬を俺に見せながら、握っていた手にさらに力を込めてくれた。
「……なら、ライラの身の回りの整理ができたら……魔界へ決着を付けに行こうか」
「お、おう……ちゃんと準備して、しっかりお前の親父を説き伏せねぇとな……」
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