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2 (ライラside) 穏やかな空気に包まれたその教会内には、数名の訪問者達が静かにベンチに腰掛けている。 エクソシストを辞めたと告げた途端、アダムは、その濃いブラウン色の大きな瞳が零れ落ちてしまいそうな程にまん丸と見開いた。その表情を見て、俺は困ったように笑い、彼を教会の外へと連れ出す。 「彼らの邪魔をしてしまうかもしれない、外で少し話そう」 古びた小さな教会の中で静かに祈りを捧げている他の者たちにチラリと視線を流しながら声をかける。 そして、俺とアダムは教会の建物の裏へ向かう。石造りの教会の背中には網目状に蔦が絡まって広がり、それは若緑ではなく、まるで長い時を経た老緑色だった。 裏庭には木々が生い茂り、穏やかな午後の木漏れ日が暖かく降り注ぐ。 「ライラ神父…。エクソシストをお辞めになったとは、どういうことですか…」 アダムはその彫りの深い顔に困惑の影を濃く刻み、後ろに流されたオールバックの黒髪から後れ毛が跳ねて乱れている。 「恥ずかしい話だが、離婚したため、聖職者を辞職することになったんだ」 「離婚…」 アダムはその言葉を呟き、動揺で揺れる瞳が足元へと俯く。 「…そうだ。妻と離婚した。そしてエクソシストを続けることも辞めた。」 「そんな……。教皇庁はなんと…?」 「…彼らは俺に、非公認のままエクソシストを続けろと交渉してきた」 後ろ頭を掻きながら呆れたように呟く。するとアダムは眉根を顰めた。 「そんな…教皇庁がそのような手段を…」 「あぁ。…お前はまだ新人だ。あの内部のことを詳しく知らないだろう。しかし…」 言葉を溜めるように一息つき、アダムの方へ1歩踏み出した。声を潜めながらこの若いエクソシストに告げる。 「…奴らにその身を振り回されるな。人命を救うことは大切だが、俺のように酷使される目には遭うな…。お前は優秀なエクソシストになれるだろう。だが、自分を大事にすることは、忘れるな…」 アダムの瞳を見つめながら、柔らかな声色でそう伝えた。すると、アダムはその言葉一つ一つを大切に受け止めるように胸に手を当て、その瞳を赤くして潤ませた。 「…ライラ神父……。いや、もう、神父ではありませんね…。ライラさん…」 「あぁ」 「…ライラさん、私は貴方のような強いエクソシストになります。いつか、腕利きのエクソシストだと、貴方の耳にも噂が入るほどに。ライラさんから頂いた言葉は忘れません。」 アダムはそう言って、辛そうに眉を顰めながらも微笑む。 「…楽しみにしてる、お前の活躍を耳にするその日を。アダム、お前は大丈夫だ。その体は神の加護を受けてる。そして、自分が大切にしたいもの、信じるべきものは何かを忘れてはいけない」 そう告げると、アダムはその目元を手の甲で荒っぽく拭い、微笑む。 「はい……貴方はいつまでも俺の憧れです…」 アダムはそう言って、俺の決断を受け止めた。その様子を見て、俺は手に持っていた革の鞄を片手で下から支えつつ、左手で留め具を外す。 そこには見慣れた俺の道具が並んでいた。 「…この十字架と、メダルをお前に譲る。俺が何度も救われてきた品だ。あとは…」 そう言って、コートの深いポケットから古びた手帳を取り出す。 「…これは俺の手記だ。初めて俺が悪魔と退治したときのことや、悪魔の種類によっての然るべき対処、また、悪魔といかにして対面すべきかなどを、綴ってきた物。この3つをお前に受け取って欲しい」 そう言って、黒革の褪せた手帳と、その上に銀の十字架、加護を与えられたメダルを重ね、アダムの方へ差し出した。 「ライラさん…!…こ、こんなもの……私が受け取ってよろしいのですか…!?」 「あぁ。ラテン語での暗唱も完璧にしとけ。悪魔に呑み込まれるなよ…」 フッ、と鼻を鳴らしながら自嘲気味にそう告げた。 まぁ、ここに、悪魔の王子から何もかもを奪い取られた元エクソシストが居るが… 勿論、それをこのエクソシストに明かすつもりは無い。 「ありがとうございます…!大切にします…」 アダムはそう言って、俺の手からその一式を震える手で受け取る。大切そうに自らの胸にそれを押し当て、アダムは微笑んだ。 「じゃあ、行くよ。元気で」 左手を上げながら別れを告げ、背を向けようとする。 「ライラ神父…」 「ん?」 体を半分背けかけていたが、呼び止められて振り返る。 「貴方のこれからの全てに、ご加護を…」 そう言って、アダムは右手を差し伸べる。 「…あぁ、たっぷり与えてくれよ」 クスッと肩を竦めながら笑うと、その手に自分の手を重ねた。アダムは目を閉じ、澄み渡るような清い表情で、俺の手の甲に唇を触れさせる… …今の俺にとってはあまりに眩しい姿に感じられた。 人肌の温もりが柔らかく、冬の気温で冷えていた手の甲に広がっていく。 「…ありがとな」 俺の手を離しながらゆっくりと瞳を開けたアダムに、優しく感謝を伝えた。 「…いつでもこちらにお越しください。私も、私たちの主も、歓迎します」 アダムはそう言って、微笑む。俺はその姿に踵を返しながら、教会近くに停めていた車へ向かった。 車の前にたどり着くと、僅かに軽くなった鞄を持ちながら教会を振り返る。 こうして俺は身軽になったのだ。 残していくエクソシストたちを思うと心配する気持ちはまだ少し拭えないが… アダムはきっと、いいエクソシストになってくれるだろう。 胸につっかえていた物がスッキリと溶けたような穏やかな気持ちで、運転席に乗り込む。 車のキーを車体に差し込んで捻り、エンジンを掛けた時だった。 空気を細かく切り刻むような、まるで無数の虫達がその羽を擦り合わせるような振動音が、耳の奥にこびり付くように響く。 その途端、俺は既に車内をグルリと見渡していた。一瞬で黒い霧のような影が助手席に広がり… そこにはあの悪魔が長い脚を組みながら座っていた。 「ライラ、用事は終わった…?」 ベルブは体をこちらへ捻りながら、シートに肩肘をついてそう尋ねる。色っぽく首を傾げ、長く白い髪が1本1本繊細に黒いワイシャツへと流れ落ちて広がっている。 その瞳は午後の明るい日差しを受けて、まるで弾けるような鮮血の赤色をキラキラと反射させていた。整った唇はキュッと引き結ばれながら、意味深で妖しい微笑みを乗せている。 クソ… なんて綺麗なんだ… 耽美な微笑に当てられて、目を逸らせない… 途端にボッと顔が赤くなった。 「…あ、あぁ…。終わったよ…。突然出てくるとビビるだろ…」 赤くなった顔を隠せないまま、なんとか目を逸らして胸ポケットを掻き回し、その中にあった煙草を握る。 「…へぇ。突然俺が来たらビックリしちゃうような、やましいことをしてた…?」 ベルブはそう言って、今度は先程とは反対側へと首を傾げる。俺の瞳を覗き込むその瞳は鋭くて、やましいことなどないのに気圧されてしまいそうだ。 「何言ってんだ、やましいことなんてしてねぇよ。ほら、これは離婚が成立した受理書、そして聖職とエクソシストを辞めたって証明書も貰ってきた」 煙草を探していた手を止めて、すぐに鞄の中身からファイルを取り出してそう告げた。 「うん…確かに」 ベルブはそれを受け取って、活字の並ぶ書面をまじまじと眺めている。 「…満足か?」 煙草に火をつけながら尋ねると、ベルブは書類に向けていた視線をこちらに向けて、ふふ、と微笑んだ。 「あぁ、凄くね……」 ベルブは低い声でそう言って、なんとも妖艶に微笑んだ。その表情は恍惚とした悦びさえも感じられるもので、美しく、危険で、俺にとっては喉が乾いていくような妖しさを孕んでいるものだった。 「…ありがとう。これで、ライラは俺だけのものだね……」 ベルブは目を細めてそう言うと、煙草を持っていた俺の腕を掴む。 「…な、なんだよ…」 狭い密室の車内の温度が一気に上がったように感じられた。ただ手を触れられただけなのに、恥ずかしくて、照れてしまって、顔を伏せる。 煙草を指に挟んだ左手を離してくれないから、思わず腕に力を込めた。 「なんか言えよ…。つーか、危ねぇって…」 火のついた煙草を落としたらどうするんだと、その腕を引っ込めようとする。鍛え抜いていた利き手に逞しく筋肉が張る感覚を覚えながら左腕を引こうとするが、ベルブの右手に捕まえられてビクとも動かない。 ベルブは涼しい顔をしながら俺の左手へと、まだ空いている片方の手のひらを近づけた。 「お、おい…っ!」 煙草の先の火種に奴の手が触れそうになる。判断のつかない一瞬のうちに、ベルブの指先はその灰と火種を摘んで握り潰していた。 「何やってんだよ…!」 肉の焼けるような匂いがして、俺は慌てた顔でベルブの顔を見る。 「…熱いね」 「そりゃそうだろ、馬鹿野郎…!火傷はすぐ治るのか?大丈夫か?」 焦った俺を他所に、ベルブはじっとりとした這うような眼差しを俺の手元に向けて、その視線がゆっくりと俺の瞳へと戻される。 「…あの男とは、どういう関係?」 ベルブは低い声で呟き、俺をジイッと見ていた。 は? あの男…? どの男だ? 「あの男?誰のこと…」 「…すぐそこの教会の神父。ライラとどういう関係なの?」 「あぁ、アダムのことか?アイツは俺が唯一、見込みのあるエクソシストだと思っていて……」 しかしその言葉は、ベルブの刺すような言葉に遮られる。 「その体に触れさせないで?ライラは何もかも真っさらになって、俺を選んでくれたんだよね…?」 ベルブの目つきは異様な程に危険な輝きを灯し、俺だけを滾るような赤い眼が捉えていた…… な、なんだ… ベルブ、雰囲気が… 「…お前まさか」 「…そうだよ、嫉妬した。神父からの祝福?そんなもの、俺からしたら、何かを誓うようにキスしているように見える。そんな加護を受けなくたって、俺が護るって言ってるよね、ライラ…」 「っ…阿呆か!さっきのは神聖な行為だっつって前にも言ったろ…。それにアダムとはなんでもない…!ただの後輩みたいなものだ」 「…………そう」 短く淡白な返事を返したベルブは眉を顰め、グッと強く拳を握りしめる。己の感情を押し殺すように目を逸らした。 「…おい、拗ねるなよ……」 やれやれ、と、ベルブの頭を撫でてみる。 「……拗ねてないよ。そうだな……。ライラのことが好き過ぎるだけだ」 「っ…!」 頭を撫でていた手が止まり、顔が一気に熱くなる。 ベルブの"好き"と言う言葉に反応して、何故か昨日の、ベルブの腕の中で与えられた快楽が瞬く間に喚び起こされるかのようだった。 ベルブは撫でられていた頭を俺の方へとズッと寄せて、この耳に唇を近づける。 「…ライラ、帰ったら……すぐにライラが欲しい」 そんな言葉を囁かれて、自分の心臓の音がドッドッと激しく鼓膜に響きだす。呼吸が乱れて、ライラの黒いワイシャツを握り締めた。 「…わ、分かったよ……。でも、お手柔らかに頼むぞ……まだ腰に違和感が…」 「分かったよ……じゃあ、優しくする」 ベルブは低く甘ったるい声でそう囁いた。

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