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(ライラside)
深い眠りから薄らと目を開けると、ぼやけた視界の中で見慣れた寝室の景色が瞳に映る…
「…ライラ、起きた…?」
直ぐにあの悪魔の声がした。
寝ぼけた眼で辺りを見渡すと、眩しい夕陽がこの部屋へ差し込んでいて…
ベッドに座ったベルブは俺へ優しく微笑み、手に持っていた本を閉じてベッドサイドのテーブルに置く。
「…あぁ……おはよう…。俺……どのくらい寝てた…?」
肌寒さに気づいてシーツを手繰り寄せながら上半身を起こした。するとベルブは直ぐに足元に広がっていた毛布を引き寄せ、俺の肩にかけてくれる。
「…3時間くらいかな……」
「っ…そんなに寝ちまってたか……。魔界に行くための作戦会議を…」
「うん、でも、身体は大丈夫?」
ベルブはそう言って、優しく俺を抱きしめる。そして、つい数時間前のベルブとの情事が頭に過ぎって、この顔が赤くなるのを感じていた。
「…あぁ、大丈夫……」
恥ずかしさのせいで、俺は小さな声量でボソッと返す。激しく求め合った後、ベルブに抱き締められて、そのまま寝てしまったんだった…
「…そう。良かった」
微笑むベルブの真っ赤な瞳が優しくこちらを見ている。
あぁ…そんなに愛情深い眼差しで見つめられると……
もっと好きになっちまいそうだ…
胸の奥から、妖しく甘美で、それでいて温かく柔らかな幸福感がじんわりと溢れ出す。
「…そう、聞くの忘れてたんだけど。この家ってさ、いつまで滞在できるの?」
ベルブは俺を再び抱きしめ、俺の肩に顔を乗せながらそう尋ねてくる。
「…あ〜、2週間以内には出ていかないといけねぇって教皇庁の職員が言ってた」
「そう。ここは教皇庁がライラに提供してた物件だったよね。どこに引っ越すつもり?」
「…探さねぇといけねぇな…。魔界に行く前に引越しも終えて、色々と済ませとかねぇと……」
「…そうだね。でも、魔界に行くなら急いだ方がいいと俺は思っててさ…。まぁ、リビングでコーヒーでも飲みながら話そうか、ライラ」
ベルブはそう言って、ゆっくりと身体を離すと俺を見つめる。
何度見ても飽きない顔だ…
美しくて、ずっと見つめていたくなる……
「…ねぇ、照れちゃうよ。俺のこと、見すぎ…」
ベルブは俺の視線に気づいて妖しく微笑み、俺の頬をそっと撫でる。
やばい、一瞬のうちに見とれてたのが…バレちまって……
心臓の音がドキドキとうるさい――
――しかし、嫌じゃない…。
ベルブに熱っぽく見つめ返された。
でも、こっちのほうがもっと照れてしまい、恥ずかしくなる。
「…別にいいだろ、…その……見ちまうんだよ……」
赤くなった頬を誤魔化すように顔を背けて目を逸らし、ベッドの傍に置いてあったタバコに手を伸ばす。しかし…
「…あ、やべ。あと1本しかねぇ。買って帰るの忘れてた…」と、その中身を見て反射的に呟く。
「…煙草?」
「あぁ。話し合いの前に、ちょっと買ってきていいか?すぐ戻る」
ちょっと申し訳ねぇが…
ヤニ切れだと話し合いにも集中できんしな…。
あっ、そうだ、ついでに明日の朝飯のために切れてた卵も買い足そう、牛乳もだ。
…ところで、腰の違和感は未だに続いていた。腰の辺りをさすりながら立ち上がる。結局盛り上がっちまって激しくしてほしいと求めた俺の自業自得だ。
思い出すとまた恥ずかしくなっちまうから、煙草を速攻で買って戻ってくることに集中する。
俺は、寝室の椅子にかかっていた服をさっさと纏い始めた。
「…待って、ライラ。外に行くなら俺が行く。」
「…お前が?いや、悪いよ、自分で行ける。卵と牛乳も買い足さなきゃ…。なぁ、明日の朝飯に、あのオムレツ作ってやるよ、食べるか?」
ベルブと明日も、これからも、過ごすことができる。そんな気持ちが俺の胸を踊らせる。
「前に作ってくれたオムレツ?食べたい」と、ベルブは直ぐに返事を返した。しかし、途端に神妙そうな表情を浮かべる。
「…でも、買い物なら俺が行くから。今日、俺がライラのことを監視してたの、分かってたでしょ?」
そう言えば、アダムとのやり取りを見られてだからコイツは嫉妬してたんだった…
だが買い物に出かけるのとなんの関係が…?
「…俺がまた、誰かと接触するとでも?」
呆れたように呟く。
「監視してたのは、そういう心配からじゃない。…ライラ、忘れないで。ライラは狙われてる、いつ悪魔が現れるか分からない。だから、この家には入れないよう、俺が結界も張ってる」
ベルブは真面目な顔つきでそう告げた。
そうか、俺を監視していたのは、その為だったというのか。コイツは高位の悪魔から狙われることへの心配をしてくれていたのだ。
しかも、家に結界まで…
しかし、ベルブがここまでするということは、それほど危険だからと言うことだろう。
やれやれ…
妻や教皇庁から解放され、エクソシストからも足を洗ったというのに。魔界から追われる立場とは…
「…なら、お前の厚意に甘えた方が良さそうだな」
そう言って微笑みながらリビングに向かい、コートに入っていたポケットから財布を取り出す。
「分かってくれて嬉しいよ。悪魔はココには簡単に入れない。外に出ると危険だ」
「じゃあ、頼むよ。煙草の銘柄は…」
「銘柄、知ってるよ。でも、あまり見ない煙草、外国のだよね?」
「あぁ、そうだ。隣の地区の……郵便局の近く、この店に売ってる。カートンで買っといてくれ。ちゃんと俺の財布から出せよ…?」
そう告げながら、テーブルのメモに店名を書き記し、財布と共に渡す。
「…俺ならタダで、店員さんのご厚意に甘えて、何カートンでも手に入れられるけど…」
そう言ってベルブは冗談交じりに、ふふ、と微笑んだ。
なんだよ…
確かにお前のその見た目とちょっとした魔術のようなものを使えばそりゃそうだろう…
クソ…
綺麗な顔だ…
「…馬鹿なことはやめろ…。人間を妙な魔術で騙すのは禁止だ」
咳払いをしながら、自分の威厳を保つように厳しい表情を作る。
「ふふ、わかってるよ。卵と牛乳もね。じゃ、行ってくるね」
ベルブはニッコリと微笑み、俺の頬にチュッ、とキスをして身を翻す…
その不意打ちのキスのせいで、この心臓は一気に高鳴った。
「〜っ…!」
キスされた頬を手で押さえながら、優雅に立ち去っていくベルブの後ろ姿から目を離せない。
ベルブは艶を帯びた白い髪を美しく靡かせながら、俺の財布を片手に遠ざかっていく。
「…はぁ……アイツと居ると心臓が持たねぇな…」
そう呟きながら、羽織っていたワイシャツのボタンを一つ一つ、スッキリと留めていく。椅子にかけてあったベルトを手に取り、それを腰に通したら留め具を絞めた。
コーヒー、入れておくか…とリビングの先にあるキッチンへ向かう。
そして、ベルブが家を出てから、15分ほど経った時だった。
俺がちょうど洗濯をしようとしていたその時――――――
――――あまりに大きな爆発音が外から響いて、俺は思わず身をかがめた。
「な、なんだ…!?」
慌ててリビングの窓から音のした方を見つめる。
「火事……!」
道路を挟んで数件先、斜め向かいの一軒家が、真っ赤な炎の渦に巻き込まれている。あそこには若い夫婦が住んでいたはず…
直ぐに窓ガラスを開け、その光景を凝視する。爆発音と炎に気づいた周囲の人達がその家の周りに集まって行くのが見える。
「おい!危ないぞ!下がれっ!」
その人だかりへ叫びながら忠告し、俺は急いでコートを手に取る。
"俺が人命を守らなければ"という感覚は息をするように湧いていた。
玄関口の背の低い棚の上に置いてある木箱を勢いよく開け、その中に入っていた愛用のロザリオを取り出す。
それはベルブに影響が及ばないよう、奴の目に触れない場所にしまっていた物だ。
首にロザリオを素早く引っ掛ける…
まるで俺に長年染み付いた癖のようだった。命を救うために十字架を纏わなければという反射的な衝動だ。
勢いよくドアを開け、火事の起きた家の方へ駆けていく。
「おい!離れろと言ってるだろ!危ない!」と、もう一度群衆に告げ、人混みをかき分ける。
「中に人が残ってるんだよ!ほら、あそこ!」
そんな声がして、ハッと2階の窓を見上げる。
「助けてくれ…!熱い…熱いっ!」と、叫ぶ男が、二階の窓から身を乗り出して下へ手を伸ばしていた。
あの男、確かにこの家の居住者、夫の方だ… 妻は…?
「旦那が火をつけたのっ…!旦那が…急にガソリンを巻いて、マッチで火を…っ!慌てて逃げてきたのっ!」
煤けた頬の若い女性が涙混じりの震える声を上げて叫ぶ。あれは妻の方だ…。
旦那が…?急に放火を…?なぜ…?
いや、とにかく、今は家に取り残された彼を助けなければ…!
「おい、消防は?呼んだのか!?」
周囲に尋ねると、背後の中年の男が声をあげる。
「呼んださ、でも他でも火災があって、消防も警察も直ぐに来れないって…!」
「なに…」
爆発的な火災だ…
直ちに消化しなければ…
燃え方から見て、発火は1階から…
2階も直ぐに逃げ場が無くなる…
「助けてくれぇっ!もうっ、火が…!」
そんな声が再び聞こえ、窓ガラスで命乞いをする男を見上げた。額に汗を滲ませて叫ぶ。
「おい!お前!そこから飛び降りろっ!」
「と、飛び降りる…!?そんな…っ…無理だ無理無理っ!高い所が駄目なんだよ、飛び降りなんて無理だっ…! 助けてくれっ、火を消してれぇ…!」
「チッ…!飛び降りても怪我で済む!焼け死にたいのかっ!?」
「無理だって…!そんなのできねぇってぇ!」
クソッ…
なんて情けない奴なんだ…。
グッと奥歯を噛み締め、額に汗を滲ませる。時間が無い…どうにかして助けなければ…
男が姿を見せている窓の下を見ると、そこは駐車場のガレージの小さな屋根があり、建物から足場になりそうな出っ張りが続いている。
火の手は幸いにも反対側…しかし火の手はもう近づいている…
――――考えるよりも、脚が先に動いていた。
ガレージに停めてあった車の上にヒョイと飛び降り、車庫の屋根の出っ張りに両手を掛ける。車体の背中を蹴り上げて飛びながら、腕の筋肉を使って屋根の上へとよじ登った。
炎の熱風が吹き荒れて、汗が一気に体から吹き出す。
足元を踏み外さないように壁に沿って歩き、窓の下へと移動した。
「おい!腕を掴め!ここに足場があるから下ろしてやる!」
ゴウゴウと吹き荒れる炎に掻き消されないように声を張り上げ、左腕を伸ばした。
丁度顔よりも少し上の位置で、男は上半身を出している。
「わ、分かった…!怖いけど…っ」
男は汗だくになりながら、恐怖に引き攣る表情で息を飲み、俺に右手を伸ばしてくる。
俺はその手を、しっかりと握り締めた。俺の手を握り返すはその手の力は強く…
しかし、なぜだ、この妙な違和感は…?
その瞬間――
「捕まえたぞ、エクソシスト…。いや、元エクソシストか…?」
目の前の男の表情は、口が裂けるような笑みを浮かべ、そんな言葉を発していた。
「……はっ?」
思考が一瞬止まる…
コイツは、何を言ってる…?
見つめ返したその目は人間のものではなかった。
燃えたぎる炎のような瞳に色を変えていく。
彼は、意地悪く唇を歪めてニヤニヤと笑っていた。
「さぁ、来てもらうぞ……"地獄" へ、な…」
そんな声と共に、男の背後、窓から無数の黒い影が飛び出し――…
それは振り下ろされる鞭のようにしなりながら、俺の身体へと巻き付いてくる。
まずい…!
コイツ、悪魔憑きか…!?
しかも、下級じゃねぇ…
絶対的に、強い…
息が詰まるような威圧感を受けながら、黒い影が俺の身体を強く締め付ける。そして首元からはロザリオが断ち切られ、弾き飛ぶ。
「ぐぅっ…!」
苦しい…
息ができん…
何故か、体の力が抜けて…抵抗できない…
「大丈夫かしら…」
「早く引っ張りおろせ!」
「火の手が来てるぞ…!おい!」
そんな群衆の言葉が遠くに聞こえる。
その一方で、俺の体はあっという間に二階の窓の方へ、まるで吸い込まれるように引き摺り込まれてしまった。
「っ…!」
ドンッ!と強く床に叩きつけられたが、俺は直ぐに体勢を立て直そうと体を起こした。しかし今度は黒い影が俺の体をグルグルと巻き付き、瞬く間に地面から足が浮く…
クソ…!
体が締め付けられてっ…
苦悶の表情を浮かべながらも、俺は直ぐに状況を判断しようとする。熱風の吹き荒れる中、俺はしっかりと前を見据えた。
その途端、俺は目を見開く。先程まで助けを求め、悪魔が乗り移っていた様子だった男は既に床に倒れている。
さらに俺の目の前にあるベッドの上には、白い長髪を後ろに1つで結び、長い脚を組みながら不敵に笑う男の姿があった。
彼は大きな黒い翼を広げ、二股に別れた黒い尻尾をユラユラと揺らしながら、不敵に俺を見て微笑んでいる…
悪魔だ…!俺を狙っている高位の悪魔だ、間違いない…!
そして俺に最も衝撃を与えたのは、その悪魔の顔が、あまりにもあの悪魔に似ていた…
よく見ると、右目の下にホクロがあるところや、尻尾の形状も奴のものとは異なるが…
息を飲むほど美しい整った顔の作りや、真っ赤なルビーのように美しい瞳は、まさにベルブそっくりだ…
「ふっ。なんて単純な男だ。正義感から身を滅ぼすタイプ。なんの面白みも無い…」
宙吊りになった俺を見て、悪魔はポツリと呟いて笑う。その声はどこかベルブに似ている…低くてよく響く声だ…
一方で、体にまとわりつく黒い影で再び息ができなくなってきて、俺は声を発することができない…
駄目だ、酸欠になりそうだ…
祈りを…
神に祈りを…
守護天使の祝詞を唱えようと、息のできない口を開ける。
しかし、その時…
俺は自分の間違いに気づく。
違う、俺が助けを求めるべきものは、もう神では無くなったのだ…
「ベル……ブ…っ…!」
遠退く意識の中、必死に奴の名前を呼んだ。
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