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第十八章:『受難と地獄』
【第十八章:受難と地獄】
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(悪魔side)
冷たく乾いた石造りの長い廊下を歩いていく…
ライラは俺の隣で警戒心を放ち、眼光は鋭く光っていた。先程まで熱を帯びていた体温は下がり、汗で湿っていた服へ城の冷気がまとわりつく。
背後には弟が一歩引いて俺たちの後に続き、更に後ろには魔物たちが従者のように数匹、小さな隊列を組んでいた。
「兄様…」
弟が小さな声で呟き、僅かに顔を背後へ傾ける。
「どうした」
トトッと歩幅を詰めて弟は俺の背中へ近づく。そして声をひそめて俺へ耳打ちしてきた。
「兄様から……この男の匂いがしますよ。部屋で何をしていたんです…」
弟の声は震えていて、眉を顰めている。
「…お前の想像通りのことだ」
ふっ、と笑いながら告げると、弟は苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
「兄様…!お父上の怒りに油を注ぐようなことはお止め下さい…」
「ライラは恋人だ。2人きりの場で触れ合うことの何が悪い、プライベートは親父にとやかく言われる範疇じゃない」
毅然とした態度で言い放った。
するとルゼブは返す言葉を失ったように下唇を噛み締めるが、静かに右手を上げ、サッと空を切るように腕を振る…
弟の振り払った空気から、霞んだ黒い霧のような魔力がフワリと舞った…
…しかし、殺気は感じなかったのでそのまま受け入れる。
「…余計なことはしなくていい」と、呟く。彼の魔力が俺とライラの肌に触れた。
「匂いだけでも消しておきますよ。その欲望までは消せませんが。お父上に兄様が王になるのを認めてもらわないと…」
「認めてもらう…?違うな、認めさせるんだ。それに俺は、親父の機嫌を取るつもりも無い」
そんな会話を続けているうちに、大きな扉が目の前に近づいてくる。まだ話しかけてこようとする弟を制止するように視線で刺し、ドアの前で足を止めた。ライラのほうを見つめる。
「…ライラ、心の準備は?」と、ライラに微笑む。
「…できてるぜ。お前に守られてばっかりなのは性に合わんが……今の俺に太刀打ちできないことは分かってる。警告通り、油断するつもりはない…」
ライラはそう言って、力強く微笑んだ。ライラの笑みを受けると、何でもできそうな、そんな不思議な力が胸に込み上げてくる。信頼されていることが嬉しい。
…しかし、ライラはすぐに視線を逸らし、落ち着かないように溜息を付いた。
「ライラ…?」
「……あぁ、だけどな、ベルブ。好きな奴の親なんだ。正直に言えば、友好的に接したいよ…」
ライラのそんな言葉を聞いて、俺は右手を自らの額に当てながら呆れた顔をした。
ライラは甘すぎる。あの男は彼のそんな気持ちさえも悪く利用しようとするだろう。しかしライラの気持ちも無下にできない。
「…ライラ、気持ちは嬉しい。でもね、そんな考えは……無い方がいい。悪魔の考え方は人間と違う。魔界の王だと思って接して欲しいよ。エクソシストにとっての、悪の親玉みたいなものだ、分かるよね?そんな風に再認識していい」
すると、ライラは困ったように笑う。
「…悪魔を祓う志は、お前のために捨ててきたんだ。今更そんな風に考えようとするのは…できないさ。お前を生んでくれた親だろう、俺は大切にしたい。そこに居る弟のこともな」
ライラがそんな風に言うから、俺は少し動揺した。ライラは、人間と悪魔という枠を超えて、俺という存在そのものを見ていてくれるのだと伝わってきた。
「悪魔の考え方とは違うかもしれんが、魔界の王である前に、お前の父さんだろ。俺はちゃんと向き合うつもりだ」
「…ふふ、ライラ。そんなの…、甘い考えだよ」
そう呟いた俺の声はどこか弱く、何故か胸が苦しくなる。自分が悪魔であることを恨んでしまう。
俺がただの人間として生まれてきて、ライラと普通に出会えてたら…、だなんて。
「ベルブ…?どうした?父さんが怖くて怖気付いたか?」
ライラは冗談交じりそう言って、肘で俺の腕を突つく。
「…違うよ。早く終わらせて、ライラと過ごしたいって考えてた」
そう呟き、ライラの手を握る。決意の色を宿した瞳で前を見据えると、家来の魔族たちがそそくさと歩み出て、目の前の重いドアをゆっくりと開け始めた。
大きな広間からは、肌に突き刺さるほどの殺気と緊張感が溢れ出す。それを察したライラが、俺の手を強く握り返した。
…しかし、ライラの足取りは確かだ。気圧される事なく、寧ろ俺を導くように1歩踏み出していく。
ライラに遅れを取らず、その広間へと脚を踏み入れた。
「…ベルブ。父へ手土産を用意してくれたようだな!」
地を這うような低い声が冷たい空気を震わせた。そして同時に、城の床や窓が軋むほど大きな雷鳴が鳴り響く。
握りしめたライラの手には汗が滲んでいた、しかしライラの息遣いは冷静だ。
モノクロの稲光のような光が瞬き、広間の先にある階段の上、その王座に腰掛けた大きな悪魔のシルエットが浮かび上がる。
怯むことはこと無く、ライラの手を引きながら、さらに前へと進んだ。
「…手土産じゃない、俺の伴侶だ」
ふっ、と笑って呟く。途端に父は腹の底から出したような大きな笑い声を上げ、その影が蠢いた。
「伴侶だと…?子供をこさえろとは言ったが…そのエクソシストがお前の子を産むのか?」
そんな問い掛けに、隣のライラがビクリと背筋を伸ばす。
「お、おい…子供って、俺には無理だぞ…」
「そんな話は止せ。必要以上に俺とライラの事情に踏み入るな。ライラがエクソシストを辞めたことは教えてやる」
「ふん、エクソシストを辞めたとな…。何もかも捨ててお前を選んだと…。しかし、伴侶だと言うのに、そんな話もしていないのか?子供を残して血縁を残さなければお前も地獄に送ると伝えたぞ」
そんな言葉に、ライラは目を見開いて俺を見る。
「なんだよ、ベルブ、そんなこと言われてたのか…?」
「…無視していい、交渉事が好きな典型的な悪魔のやり方だ」
俺は父の言葉をライラから跳ね除けるようにそう返す。しかし、ライラは見過ごすわけにはいかないと言った様子だ。
「…ベルブ、何故俺に言わなかった?どうするつもりなんだ、一緒に居るつもりならお前の父親の言うことは…」
「黙ってくれ、ライラ…。あの悪魔にお前を好き勝手にさせるな」
父の意思を尊重するような態度に苛立ちを隠せず、ライラを反射的に睨みつけてしまう。俺の言うことを聞いておけばいいんだ、ライラまで父親の言いなりになる必要はない…
「おや、もう夫婦喧嘩か…」と、皮肉たっぷりに父が笑う。
「王族の血縁にとっては重要なことなのに、それを伝えずに伴侶などと上辺だけの言葉を交わし合い、なんとも脆い絆だな…」
父親の言葉に耐えきれない程の怒りが込み上げ、ライラの手を離して悪魔の姿を露わにする。
「ベルブ…!」
呼び止めるライラの声さえも、俺の怒りを止められることはできなかった。腸が煮えくり返るように危険な激高を宿し、階段の方へと歩み出ていく。
「兄様!ダメです!」
「おい!ベルブッ!」
2人の足音が追いかけてくる。それを無視して、王座の影を睨みあげた。怒りで尻尾は激しく波打ち、翼の羽根1枚1枚がブワリと逆立つ。
「お前に俺とライラの何がわかる…!」
「…青臭いガキめ。いつまで経っても子供だな。その無知な男に教えてやれ、自分じゃ子供を産めないと嘆いているぞ」
「うるさい、その話はやめろ!」
しかし、父は俺の言葉を軽くあしらうように鼻で笑う。そしてその大きなシルエットから覗いた赤い瞳が突如としてライラのほうへ向けられた。
「なぁ、元エクソシスト。悪魔の子供を産む気はあるか?」
余計な話をするなと言ってるのに…!
ライラがその気になられては困る、父親の望み通りライラを扱われることが許せない。
「お、俺には子供なんて…」
「ライラ、アイツと口を聞くな…!」
玉座からは笑い声が再び響いた。
「…朗報だ、嘆くことはない。お前の体に魔力を流して細工をすれば…」
父の言葉にピクリと眉が吊り上がり、玉座に座る影を睨みつける。
「駄目だ、ライラの体に妙な真似をするな!」
「ふむ、お前の力でも同様のことができることはわかってるだろう、我が息子よ…」
「は…?俺、魔力でどうにかすれば、ベルブの子供を産めるのか…?」
ライラまでそんなことを言い出すから、呆れ返った溜息が漏れる。完全に父親のペースに飲み込まれてしまった。
「あぁ、できんこともないぞ…」と、父は呟き、ククク、と喉を鳴らして笑う。
ライラは父に受け入れられるための希望を見つけたかのような表情だ……
俺はライラの体をどうこうするつもりはないのに…。
……しかし、その時、再び父が口を開く。
「だが、諦めろ」
冷たい声色の台詞が突き刺す。
「元エクソシスト、お前の地獄送りは確定しているからな…」
そんな言葉と共に意地悪な笑い声が広間に響く…
ライラの表情が曇り、彼は眉を顰めていった。まるで、天国から地獄へと堕とされていくかのように、彼の表情が苦しげに歪む。その様子に胸が締め付けられ、拳を強く握りしめる。
「…お前のような下劣な悪魔がライラを弄ぶな!ライラを傷付けるな…!」
冷静を欠き、声を荒らげて叫ぶと、地面を強く蹴り上げる。王座に向かって飛び立ち、勢いよく突進した。
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