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2 (悪魔side) 右腕には瞬時に現れた漆黒の剣を握り締めていた。翼が空を切り、一度の瞬きも許さぬ間で、眼前に父の姿が飛び込んでくる。 振りかざした剣がその首根へと揺るぎなく振り下ろされていく… ライラを地獄に連れて行くと言うならば……躊躇い無く、この手で……! 奪われる前に奪う、それが悪魔のやり方だ… ……しかし俺の右腕は大きく振りかぶったまま、動けなくなっていた。血走った瞳で父親を凝視している、唇は震えていた… 「ベルブ止めろ!!!」 ライラの悲痛な叫びで、俺の体は蝋で固められたかのように動けなくなる。 なぜだ… ライラの苦しげな声が胸を貫いていた… 「…どうした」 父がポツリと呟いた。 玉座の階段の下からは、影のように隠れて見えなかった父の顔が、この近さでハッキリと見える。深い皺が刻まれた眉間を寄せ、真っ赤な瞳は俺の心の内を見透かすようだった。 「……気が変わった」 小さな声で呟き、右手に握られていた剣が霧のように消えていく。 「…実にで悪くないと思うがな」 父は険しい顔でそう呟き、悠然と王座に腰掛けたまま俺を見つめ続ける。 「…お前とは違う……」 そんな一言を返す。父の眉がピクリと動いた。 俺がこの悪魔を手にかけることを、ライラは望んでいない。そんなやり方をすれば、ライラはこんな俺に失望するだろう。 違う、もっと違う方法だ。 震える膝で、ゆっくりと体を傾ける。 こんな悪魔に(こうべ)を垂れるのは……なんとも屈辱的で苦痛だ。ライラと弟の前だと言うのに、格好も付かないな…。 しかし俺は、躊躇いながらもその片膝を地面に付いた。足の上に片腕を乗せ、顔を伏せる。地面を睨み付け、視界に父の脚が見える。 ――百数十年の中で、初めてだった。 父に敬意を示した。 支配的で我が子でさえ駒のように扱う父が嫌いだ。弱みを見せれば主導権を握られる… だが、ライラでさえ、俺の父と向き合うと言ったのだ。俺もコイツと話し合うしかないだろう…… 「ベルブ……」 安堵したようなライラの声がする。父は脚を組み、視界の外で深く椅子に腰掛ける動作が伺えた。 「…頭を下げているのか?」 父の質問に、考えるように唇を噛む。 ライラのため…? そうだ、ライラのためならなんでもする。 だが今は… 「……俺とライラの2だ」 頭を深く垂れ続けたまま、呟く。 「…もういい。顔を上げろ」 父の声が頭上から返ってくるが、俺は奴の足元を見つめ続けた。父の声には明らかに、苛立ちが滲んでいる。 しかし、ここで引く訳にはいかない。 「お願いがある…」 「願いだと?俺の命令に背き続け、必要な時にだけ願いを聞けと?」 「…違う、これは互いのメリットになる。お前の望みを叶える、だから願いを聞いてくれ」 そうだ、父は俺が王になることをずっと望んでいた。交渉が好きなこの悪魔に合わせればいい。 交換条件だ… 「俺の望み…?」 「…そうだ、王になる。俺が継ぐ」 確固たる意思を持って、そう宣言した。 すると、父は深く唸るような溜息を漏らす。 「…その代わりにあの男を地獄へ連れて行くなとでも言うのか?」 「そうだ…ライラには手を出すな。それに、俺が直近で奪った魂も解放することを許して欲しい」 「…ほう。さらに加えて、お前とあの人間を伴侶と認めるのか?お前は俺が人間界に送り込んだ悪魔を殺し、同胞を手にかけた罪もあるんだぞ…」 「…分かってる、だが、形式的にも俺が王を継ぐことは規律を保つことにも繋がる」 「そうだ、王族の長男が王位を継ぐことが習わしだ。しかし、……お前を王と認めることはできん。その条件はあまりにも不公平だ」 父はそう言って、突然俺の髪をグシャリと掴む。強引に引っ張り挙げられて、父を見上げて睨みつける。 「…お前に王を継ぐ資格はもう無い」 父は冷たく吐き捨てた。呼吸が荒くなり、燻っていた殺気が燃え上がるように再燃する…… 血が滲むほど拳を握りしめた。 やはり、王位をしかないのか…? だが、例えば弟が王になれば、すぐに弟が俺に無理矢理王位を移すという異例を行う可能性もある… …だが、間に合わん。 ライラが先に地獄へ連れていかれる。 駄目だ、絶対に… 殺すか…? 今すぐに…… この状況、分が悪い、分かってる… そもそも、魔力の差が違う… 隙を狙うように父の姿を凝視した―― ――しかし、この俺の視線はすぐにピタリと止まる。 そうだ、冷静になれ… ライラが言ってた。ちゃんと、向き合うんだ。 殺そうとするなんて、この悪魔からなんだろう…? 「…どうしても、ライラだけは救う…!王の資格が無いならそれでいい…!ライラだけは……どうか…」 頭を握る父の腕を掴み、必死に説得しようとする。いや、最早懇願に近かった。 ライラを失うなんて、考えられない、地獄に行くことよりも辛い。だからと言って、この父を殺すのも間違っているのだ。 「……馬鹿息子め。"悪魔が人間と共に未来を考える"ことなどできない……。よくもこの俺になどを連れてきたものだ…」 父の表情は暗く沈んでいた。 その訳を、分かっていた。父の苦悩はよく分かっている… だが…… 「俺はとは違う…」 そう呟いた。 父の言葉は、人間という存在を拒絶しているかのように聞こえる。しかし、父は、人間を否定し、憎んでいるのではないーー ーー。 ……俺の母は、人間だ。 随分と前だ、俺たち双子を産んで直ぐに、病で事切れた。 その残酷な現実は、よく知っている。 母の顔も覚えていない。 父から直接、母の話を聞かされたことはない。俺は、魔族たちの噂でそれを知った。 父はゆっくりと瞬きすると、刺すような冷たい視線で俺を見下ろした。 「ならば……その違いとやらを見せてみろ」 「…見せるだと?何をすればいい…?」 「契約を交わせ。あの男と」 「契約だと…?」 固唾を飲み、瞳が震える。 「そうだ。悪魔の契約だ。あの男の魂をお前に縛りつけろ。あの人間の死後、奴の魂はお前が喰らうのだ」 「…ライラの魂を俺が回収しろと…?」 魂を縛り付けるということは、その死後、彼の魂は俺に吸収され、どこにも行けなくなる。 神に天国へ導かれ、永遠の命を天界で過ごす救いを信じていたような、聖職者だった彼を俺に縛り付けるなんて… 「それはあまりにも残酷だ……」 …俺は、ライラの何もかも奪ってしまいたいと思っていた。その肉体も魂も、全て俺のものにしたいと。 だが、その願望が現実味を帯びたこの瞬間、息ができなくなるほど、胸が締め付けられるように震えた。 ライラのような人間は救われるべきだ… だが、神はライラを裁くのか…? 悪魔と交わりを持った彼は、俺のせいで裁かれてしまうのだろうか… いいや、それ以上に、彼はどんな大罪も相殺できるほどに、数多くのとやらを救ってきたのだから。 ライラのような魂は、天国へ導かれる価値がある。 「…どうした。できないのか…?」 ライラは、俺に魂まで奪われるなんて望んでないはずだ…… あぁ、俺は…ライラを愛している。 悪魔の本能的な衝動――支配し、所有してしまいたい――という、その本能を…ライラへの愛情が、既に凌駕していた。 「そんなこと、できるわけが無いだろう…」 震える子で呟く。父が見つめ返す俺の瞳には、明らかに恐怖を映し出しているはずだ。 しかし、父が条件を譲ることもなかった。父の鋭い眼差しは揺らぐこと無く… どうしてだろうか。なぜか、そこに、父の不器用で、歪みきってしまったような、息子への"愛"が秘められているかのようだった。 「…やれ。さもなくば、あの男を処す、今すぐ、ここでな…」 「待ってくれ…!分かった……ライラと少し、話がしたい…」 「…話し合いなど要らんだろう。速やかに契約を結ぶのだ…!人間の伴侶を連れてくるなら、それくらいの覚悟を持て。でなければ王位など貴様に継承できん!」 父の力強い言葉と共に、再び空気が震えるほどの強い雷鳴が鳴り響く。 「…駄目だ、ライラの意思を尊重する。この気持ちが……分からないとは言わせない」 俺は確固たる意思を示すように、父に告げた。父の赤い瞳は僅かに揺れて、その唇に薄らと強ばる。 「5分だ。それ以上は待たんぞ…」 父はそう言うと、俺の髪を掴んでいた手を振り払う。 「っ…!」 地面に手を付きながら、強靭な力で叩きつけられそうになった体を咄嗟に支える。 「…ベルブ…!」 心配そうなライラの声が俺に届く。ライラのほうを振り返った。 「…ライラ、少し二人で……話し合おう…」 力なく呟き、震える脚で立ち上がる。フラつきながら階段を降りてライラの方へ向かうと、俺を迎えに来るようにライラが駆け寄った。 「…ベルブ……話し合いなんて要らないぞ…」 「…駄目だ、話し合う。父に押し付けられた、こんな、一方的な契約なんて…」 ライラの胸元に手を当て、その白いシャツを握り締めた。 ……ライラは契約するつもりだ。 この男は、自分の差し出せるものを、全て犠牲にしようとしている。 ライラの気持ちが、俺の胸の奥を抉るように刺す。 苦しい… ライラの全てを奪うことが、今になって、こんなに辛いなんて…… 例えライラが納得していても、俺が納得できなかった。 俯いたまま、小さく肩を震わせる。 「…分かった、話し合おう」 ライラの柔らかな声色が響く。ライラを見つめ返すと、彼は優しく笑っていた。

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