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(ライラside)
ベルブの父が居た広間を後にして、2人で暗い廊下に立つ。城の内壁を、淡い蝋燭の灯りが点々と続きながら照らしていた。
ベルブは背を丸めながら壁にもたれて、重力に逆らわない翼が力無く下へと向いている。俯くベルブの横顔を、彼の美しい白い髪がベールのように広がって隠していた。
「お前と父さんの話は聞こえてた。何を話してたのかも分かってるぞ」
そう言った俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。この悪魔に魂までも捧げようとしているのに、あまりにも冷静だった。
ベルブは俯いたまま言葉を返す。
「…俺は望んでない、あんな…一方的な契約。ライラは神に救われる価値を持った魂だ、どこの、誰よりも…」
奴はいつになく張りの無い声でそう言った。
思い詰めているかのような様子だ。そんなに落ち込む必要はないのに。
「…だから何だってんだ?俺は天国に行きたいなんて言ったか?」
そう告げて、ベルブの右手を握る…
…しかし、その瞬間、俺は驚いて目を見開いた。
握ったベルブの手が、怯えを隠せないかのようにガクガクと震えている。
あぁ…お前は悪魔のくせに。こんな契約、飛びついて喜ぶような悪魔だったくせに…。
「…ライラ、俺のせいだ。俺が……お前を好きになってしまったから…」
ベルブがそんなことを呟くから、その手を強く引き寄せた。
「そんな風に言うな。お前となら地獄でも魔界でも…どこにでも行くと誓った。忘れたのか?」
「…覚えてるよ。でも、俺の手で…ライラの魂まで奪うなんて……」
そんな言葉に胸が締め付けられた。コイツは何も分かってないな…
ベルブの愛情も、悪魔のような本能や支配も、俺は何もかも受け入れたい。コイツに全てを捧げられることは、俺の本望だから。
「俺の本音だが……寧ろ、そんな契約なら、俺は喜んで受け入れたいくらいだぜ。俺をお前のものにしてくれ。俺をずっと、お前に刻んで欲しい…永遠にな」
この愛が歪んでいたとしても、誰にも理解されなくても、構わない。
ベルブと共に、堕ちていけるのなら、俺はどこまででも…
「ライラ…」
ベルブは俺の名前を呟き、赤い瞳がチラリと俺を盗むように見つめた。
そして俺を見たベルブは、どうしてか、困ったように柔らかく笑う。
「…俺たち、狂ってる…?俺は人間臭くて、ライラはどこか悪魔臭くて…。2人とも、おかしくなったかな…?」
ベルブの呟きに、フッと鼻を鳴らして笑い返した。
「…互いの良いところも悪いところも、似てきたのかもしれねぇな。それも、悪くねぇ」
…狂っていたっていい。
誰にも止められないほどに、俺はお前に溺れていたい。
「…ベルブ、俺の全てを奪ってくれ……」
俺はそう伝えながら、脳裏には、ベルブが父に頭を下げて必死に話し合おうとしていたあの姿が過ぎっていた。
ベルブを見つめる瞳が、熱を帯びていく。そうだ、この悪魔に全部奪われたいんだ…
誰も救えない程に、神の声さえも届かぬほどに、身を滅ぼすほどーー
この悪魔に愛されたい。
「……分かった。ライラの全て、俺がもらう」
そう答えたベルブの真っ赤な瞳が俺を見つめ返し、爛々と輝く危険な光を宿すと、思わず息を飲む。
どうしてこんなにも、美しくて、魅力的なのか。この悪魔に全てを捧げられるなんて、贅沢だ。
時が止まったかのようにこの悪魔に見惚れていたその瞬間、力強く抱き寄せられて、この心臓が高鳴る。
「あぁ…。ベルブ……早く…奪ってくれ…。お前に捧げたい…愛してる……」
ギュッと抱き締め返しながら、顔や耳が赤くなって熱くなる。
「…そうだね、ライラ。今から…全部を奪うよ。永遠に、ね…」
耳元で囁かれて、呼吸が浅くなる。ドアの向こうにコイツの父や弟が居るというのに、体が熱くなって、興奮を隠せない…
「契約印が残るよ…ライラの体に。どこに欲しい…?」
ベルブの低い声が鼓膜にこびり付いて、ビクッと体が震えた。
「…どこでもいい。あぁ、だけど、目立ち過ぎると……生活に不便かな…?」
この悪魔と魔界で過ごす姿を想像しつつ、人間界に戻ることもあるのかもしれないだとか…
ベルブの言っていた、2人の未来とやら……俺たちがこれから、一緒に様々な日常を送っていく姿を想像して、笑みが漏れてしまう。
「…目立たない場所…?服で隠れる所かな?」
ベルブのそんな言葉が、肩や胸、背中にその契約印が残ることを想像させた。
いつも隠れた場所か……少し寂しいかもしれない、なんて。
「いや、でも…。目立つ場所でもあって欲しい…直ぐに、確かめられるような…」
そう呟いた直後、恥ずかしさを感じて、ベルブの肩に顔を埋める。ベルブは俺の返事を聞いて、ふふ、と小さく笑った。そして体を少し離して、俺の真っ赤になった顔を覗き込むように首を傾ける。
「お前は、どこがいいと思うんだ……」
俺は小さく呟きながら尋ね、恥ずかしさに耐えきれず目を逸らした。
「そうだね…。なら……」
ベルブが言葉を溜めながら、抱きしめていたその右手を俺の背中から離す。その手がそっと俺の頬を撫でるから、ピクリと肩が震えた。
ベルブは俺の方をじっくりと見つめながら……動いていく右手が、俺の唇に触れる。
「ん……」
小さく声が漏れて、押し当てられる親指に従って、ゆっくりと口を開く。
「はぁ……っ」
開かれた唇から、湿った熱い吐息が漏れ出た。口の中へと指が押し入れられる。
抵抗なんてできずに、指の動きに従うように唇をそっと開けた。ベルブの冷たい手が、熱を持った俺の舌を柔らかく、指先で押さえてくる。
「…ココは…?どう…?」
ベルブの赤い瞳が妖しく輝き、俺を見つめ返す。
「ぁ、っ……」
口を開かれたまま、舌を捕まえられて喋れなくなって、小さな悲鳴のような喘ぎが甘く喉から漏れる。
潤んだ瞳でベルブを見つめて、唇の端から唾液が溢れそうになりながら、奴に舌を差し出すように前に出した。
「……じゃあ、決まりだね。俺も、契約印を残したい。ライラとの契約は、特別なものだから。いいよね…?」
そっと舌を解放されて、俺は恍惚を浮かべたまま、小さく頷く。
「…もう、ここで契約してしまおう。ライラのその顔、他の悪魔に見せたくないから…」
ベルブはそう言って、美しく妖艶に微笑んだ。
もう、契約するのか…
悪魔との、契約…
それで、俺はベルブに、全てを捧げることになる。
聖職も、エクソシストであることも、妻のことも、俺は捨てた。プライドも人生も何もかも捧げた。そしてついに、この魂までも…この悪魔に……
俺は息を飲み、ベルブを見つめ返していた。
ベルブは妖艶に微笑みながら、その右手を2人の体の間に差し出した。大きな手のひらを上に向け、その細く長く綺麗な指が広げられている。
奴の右手から魔力が放たれ始めたのか、手のひらからは黒い影の様な渦が巻いて、冷たい風が撒き上がった。ベルブの白い長髪がふわりと広がって揺れる。
そして、どこからとも無く、悪魔の契約書が忽然と現れた。烏の黒い羽根が付いたペンが添えられていて、ベルブはそれを手に取る。
「…ライラ、サインを」
ペンを渡され、左手でしっかりと握った。恐怖は無かった。そこにあるのは、ベルブへの愛と、この悪魔に全てを捧げられるということへの高揚感と興奮だ。
宙に浮いた紙へ、緊張で震えたペン先をそっと走らせ始める…
そして、自分の名前がしっかりと書き記された…。
するとベルブが用紙をそっと掴み、その契約を確認するように視線を紙へと伏せる。続けて不敵な微笑みで口角を上げて、俺をチラッと見つめ返した。
「…契約を、成立させるね、ライラ…」
そんな言葉を聞いて、俺は頷いた。
ーー次の瞬間。ベルブの瞳が赤く燃え盛る業火のように輝きを増す。同時に契約書が赤く光り、あまりに眩しくて目を細めた。
額に汗が滲む、呼吸が浅く速くなる…
ベルブがその右手を差し出してくるから、この手でそれを取った。赤い光に包まれたその途端…
…左胸の奥、心臓の位置が分かるほど、ギュッと締め付けられる感覚がした。苦しくて、眉を顰めて息を吐く。
「ぁ"……ッ…、ベルブ…」
ベルブから目を離せない。その整った顔立ちは赤く照らされ、髪はブワッと八方へ広がっている。奴の瞳は瞳孔が開き、その唇は薄らと開いて呼吸が乱れている。
「ライラ、口を開けて……俺に見せてて…」
そんな言葉を聞いて、俺は言われるがままに口を開ける。羞恥心で顔を赤くしながら、縦に大きく開き…これから契約印が刻まれる場所を見せるように、舌を前へと少し突き出した。ハァハァと荒い呼吸を繰り返し、溢れた唾液が垂れて顎を伝う。
「ンッ……」
舌が熱い…
焦げ付くほど熱くて、鈍い痛みがジンジンと疼く。
ハッと視線を落とし、握っていたベルブの、右手の甲をチラリと見る。その白い肌に、赤い紋が浮かび上がっていくのが見えた。
…今、互いの体に契約印が刻まれている。
もう一度ベルブの顔を見上げると、ベルブは恍惚とした笑みを浮かべいる。奴は、俺のその場所に、模様が残っていく様子をうっとりと眺めている。
すぐに舌の鈍い痛みは引いて、赤い光が薄らと、次第に消えていった。
「…契約成立。ライラの魂も、俺がもらった」
ベルブはそう呟き、重ねていた右手を上げ、手の甲に刻まれた契約印を改めて俺に見せた。
「はぁ……はぁ…」
緊張感が解けて、濡れた唇を腕で拭う。
もう、戻れない…
…だが、それがいい。
ベルブに微笑んだ。
そして俺はベルブの手をもう一度取って、手の甲を見つめた。契約印はシンプルで、円と三角を幾つか重ねたような模様だ。指でそっとその形を撫でる。
「あぁ…綺麗だな……。俺も、同じものが…?」
そう尋ねながら、思わず自分の口を片手で覆う。
「うん、ライラの体にも。すごく綺麗に残ってる。あとで一緒に確認しよう」
ベルブはそう言って、俺の額にキスをした。俺の心臓の、締め付けられるような痛みも既に引いていた。その心臓が、ベルブからのキスでドキリと跳ねる。
唇を離されると、真っ赤になって熱くなった顔を背けた。
「ライラ、時間だ。親父に見せよう。これで、2人の
ことを認めさせることができる」
ベルブはそう言った。奴は自信を取り戻したように微笑み、その翼は優雅に広げられ、目を見張るほどの美しさだった。
「…あぁ、行こう……」
まだ熱の引かない頬を隠すように俯く。ベルブの手が優しく俺の手を握り、力強く引っぱってくれていた。俺は奴の背中を見つめながら、その後を追うように歩き始めた。
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