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(ライラside)
「もう契約まで結んだのか…?」
ベルブの父の声が広間に響く。驚きを隠しきれない声色だった。
「そうだ、交渉成立だ。王位を俺へ」
ベルブは決然とした出で立ちで、堂々と父に宣言した。
その途端、王座の上に留まっていた影が、ズズズッと蠢いて消える。
消えた…!?
驚愕して視線をあちらこちらに向けているうちに、鼓膜にまとわりつくような、あの聞き慣れた音がした。ブブブ、と、無数の虫の翅が擦り合う細かな振動音が幾重にも重なって聞こえる。
ベルブが瞬時に現れる時と、同じ音だ…
そう思った瞬間に、目の前に霞がかった黒い霧がブワリと広がる。
「なっ……」
驚く俺の前方、ちょうど俺とベルブの目の前に、一瞬にしてその姿が現れた。
ベルブの父の姿が、眼前にある。
王座に座っていた時から大きな影だと思っていたが、目の前に来ると、俺が見上げてしまう程だ、身長は2m近くあるだろうか。黒字に金の細かな装飾が施された上質なローブを纏っている。
この悪魔が、ベルブの父さんか…。
「ほう、よく見せてみろ…」
ベルブの父はそう言って、ベルブの右手を手に取る。一方で俺は、その容貌を観察するように見つめてしまう。
ベルブの父は、人間で言うと50代半ばくらいに見えるだろうか。髪は白髪混じりの金髪で、所々無造作に緩やかな円を描き、癖のある毛質が伺える。
その顔立ちに派手さは一切ない。しかしその整い方はあまりに完成されていて、存在感を放っている。華やかさを誇示するような彫りではなく、繊細な刃で何度も調整されたような端正さを持っていた。深く刻まれた皺でさえも、老いではなく造形の一部として調和している。そして肌はきめ細かく、曇りの無い大理石のようだった。
この悪魔が重ねてきたであろう長い年月は、かつての美貌を奪うのではなく、彼に深さと重みを与えている。深く刻まれた皺には老いではなく、王としての威厳が宿っていた。
ベルブと同じ色をした赤い瞳は、己の感情を削ぎ落としたような翳りがある。ただ結果だけを鋭く見据えるようであり、どこか儚げに光る宝石のようにも見えた。
その瞳が、ベルブの右手の甲に刻まれた契約印を、冷静に見つめる。
「…確かに。死後の魂を奪う契約だな」
ベルブの父はそう呟いた。その悪魔の口元には薄く刻まれた皺があり、笑えば穏やかにも見えそうだが、実際にその表情が崩れることは滅多にないのだろう。笑みを浮かべるのは、常に誰かを試す為だけなのかもしれない。
印象的なのは、悪魔の状態の時のベルブのような黒い角が頭に2本生えているが、その片方が欠け、途中でひび割れるように折れていることだった。
ベルブを見ていて、悪魔の体に与えられた傷はすぐ治るというイメージを持っていたが、角の怪我は治らないのだろうか?
それとも、敢えてそのままなのか…
真意は分からないが…
俺はただ、歳月が深みを与えたかのような、その端正で威厳のある横顔をじっくりと見つめていた。
しかし突然、ベルブに似た、鮮血のように赤い色をしたその瞳が、ふと、俺のことを捕える。ギクリとして、背筋が伸びた。心の内までも見透かすかのようで、そこには凍てつくような冷酷さがある。
「…魔界の王の伴侶は楽ではないぞ。家来たちの扱いも、情けは無用。下に就く魔族たちは悪魔の狡猾さを持ち合わせている。伴侶と言えど、王の威厳を損なってしまわないよう、努めなければならない」
父は厳しい口調でそう言って、俺を値踏みするかのように、その冷たい視線が足下から全身を一瞥する。
その言葉を聞いて、ついに俺は、魔界の王になる悪魔と結ばれたのだと、はっきりと自覚する。
教皇庁の奴らが聞いたら……マジで卒倒するだろうな…。
最強のエクソシストだと言われた俺が、サタンに認められ、悪魔の王子と結ばれたなんて…
あの聖職者たちにとっては、信じ難い結末だろう。
「…分かりました」
ベルブの父の鋭い視線に刺され息を飲み、そう答えるのがやっとだった。額に汗が滲む。元エクソシストだからだろうか、この悪魔が、強大な力を持つ大きな闇だというような、畏怖の念が込み上げてくる。
父の穿つような鋭い眼差しは変わらない。まともな返事を返せなかったであろう俺に対して、この父が次に何を言うのだろうか、と、緊張で固唾を飲む。
「ふん。地獄に送るのは帳消しだ」
彼は一言そう呟き、俺から視線を外した。ホッと胸を撫で下ろすような気持ちになる。
やっぱり、この魔王は、ベルブの父だ。ベルブは他の悪魔とは違う…。どこか人間臭さもあり、温かさや信念のようなものがある。この父に育てられ、今のベルブがあるのだ。
この父だって、それは偉大な悪魔なのだろうが、その狡猾さはあれど、筋を通す悪魔だと認識した。
契約を結んだことで、俺をベルブの伴侶だと受け入れてくれている。
「ベルブ、お前が最近地獄に送った魂を戻すという話だが。その者たちの魂を地獄が受け入れない、という不履行にさせるのだな?少々面倒な手続きになる、少し時間を貰うぞ。そして王位継承の儀だが、これについても、こちらとしても色々と準備が必要だ。すぐに戴冠はできん」
「分かった。どれくらい待てばいい?」
「そうだな…魔界の時間で1ヶ月ほどか。お前も王になる心持ちを整えておけ」
ベルブと父がそんな言葉を交わす。
「もう下がっていい」と、ベルブの父が告げ、ベルブはサッと身を翻す。俺はベルブの父に挨拶をするように上半身を傾け、すぐにベルブの後を追った。
しかし、広間を出ようとした瞬間。
「そうだ、ベルブ」
不意に父がベルブを引き留め、俺たちは振り返る。
「なんだ?」
ベルブが眉間に皺を寄せながら尋ねると、父はいかにも魔王らしい、威圧的な笑みを浮かべる。
「孫の件も忘れずにな…」
ベルブの父からそんな言葉が飛び出すと、俺の顔は反射的に真っ赤になる。先程のやり取りを思い出す、ベルブが魔力でどうにかすれば……俺が…子供を産めるとかどうとか……?
俺、女になっちまうのか…?
いや、そんなの…ありえねぇだろ…
男のまま妊娠…?
それこそ、どんな仕組みだよ…!
魔界の王族、恐ろしい…
でも…ベルブの子供なら……。
そんなことを想像して、心臓がうるさくなる。茹で蛸のように赤く染め上げた顔を隠すように俯く。
「その話は止めろと言っただろ…!確約はできん…。ライラと……ちゃんと話してからじゃないと…」
そう言ったベルブが僅かに頬を薄紅色に染めて、俺をチラリと盗むように見てくる。
「〜っ…」
なんだよ、その目は…
やめてくれ、もっと恥ずかしくなる…
何故か、体が熱くなっちまう……
お前がその気なら……俺だって……
「しかし、確約がないと戴冠の儀は行えんぞ!これは王族の決まりだ。お前の血を引いていればいいんだ……。その条件さえ満たせるなら、他に妾を作っても構わん。まぁ、戴冠の儀までにハッキリさせておくといい」
「馬鹿なことを言うな…!行こう、ライラ…」
ベルブに腕を引っ張られて、広間から飛び出すように廊下へ踏み出す。
は…?
妾…だと?
相手が俺以外でもいいから、とにかく子供を作れと、そういう話か…?
そんなの…嫌に決まってる…。
不安が募り、ベルブに握られていた手をギュッと握り返してしまう。
その時、一緒にその場を離れたベルブの弟が、興奮を隠しきれなかったように口を開く。
「兄様…!ついに、兄様が王になるのですね…!」
ベルブの弟、ルゼブは二股に別れた尻尾をウネウネと左右に振りながら、ベルブに声をかける。
「…そうだな。戴冠が近づいたらまた魔界へ戻るよ」
「兄様!?もしかして人間界へ行くおつもりで?」
「そうだ。継承の儀までは行き来させてくれ。ライラには魔界にゆっくり慣れてもらいたい」
「そんな…。明日は宴を用意しようと思っていたのですよ…」
ベルブ達の話を聞きながら、俺の中には拭えない不安が残る、子供の件はどうするつもりなんだろうか。
一方で、ベルブの、戴冠まで人間界と魔界を行き来したいという話には、安堵を感じる。
奴は俺を気遣ってくれている。確かに、この城に突然連れてこられて、このまま暮らすのは、あまりに急激すぎる変化だ。どんな突拍子も無い展開が待ち受けていても受け入れる覚悟はあったが、そうやって気を遣ってくれることは有難い。
しかし、弟のルゼブは寂しげで悲しそうな表情だった。それを見て、俺は思わず、「せっかく用意してくれるなら、宴に参加したらいいじゃねぇか」と、ベルブに声をかける。
すると、ベルブは不満そうに眉を顰めた。だが、弟のほうをチラリと見ると、仕方ない、と言った様子で渋々頷く。
「…分かった。だが、明日の宴に参加したら、人間界へ一度戻る。魔界での1ヶ月より、人間界のほうが時間の体感が遅くなる。魔界での1ヶ月は、人間界なら2ヶ月を超える期間に換算されるはず。王位に着く前に、少しゆっくりしたいんだ、ライラと」
ベルブは弟にそう告げた。
そうなのか、人間界と魔界では時間の進み方に差異があるんだな…。その王位継承の儀式とやらをベルブが受ければ、自ずと俺も暫く魔界から動けなくなるだろう。
少し前まで離れ離れで過ごしていて、やっと再会できて、俺は何もかも捨てて身軽になった。そして2人で新しい日々を始めようとしていたところで、この急展開だ。気づけば、ベルブとあんな契約まで結び、ベルブは魔王になる予定が出来て、俺はその伴侶に……
さらには子供の問題もあるし、話し合わなければならないことがある。
魔界で過ごすよりも、時間がゆっくり流れる人間界で過ごす方が、体感時間を長くできるのは有難い。ベルブとの時間を大切にしたい。
「承知しました、兄様!それでは兄様の王位継承が確実となった祝いの宴として、素晴らしいものにしますよ!」
「…ライラ。参加してくれるよね?」
ベルブに尋ねられ、俺は微笑みながら小さく頷いた。
「…僕はまだ、兄様の伴侶にふさわしいと認めてませんからね!」
弟は棘のある言葉を俺へ投げかけて、クルリと背を向けて逃げるように去ってしまう。ベルブはムッと唇を引き締め、弟の背中を複雑そうに睨む。
「ライラ、ごめん。弟、ずっとあんな感じで…」
ベルブが申し訳なさそうに言うから、俺は困ったように笑った。
「分かってるよ。少しずつでいい、ここに、受け入れてもらえたら…」
そう言ってベルブに微笑む。
「ライラなら直ぐに慣れるよ。適応力、あるから」
ふっ、とベルブが笑い、ようやくベルブの表情が柔らかく緩むのを見ていたら、俺の緊張も自然と解けていく。「そうだな」と、呟くように言葉を返した。
それにしても……
ベルブは、父の言っていた子供の話を、
どうするつもりなんだろう…
またそんな疑念が頭に浮かび、ぼうっとしながらも、自室へ向かう足取りのベルブの隣を歩く。
その時突然、ベルブが俺の腰に腕を回す。急に距離が近くなって、俺の頬が熱くなる。唇を耳元に近づけられて、ビクッと肩が小さく震えた。
「…ライラ」
ベルブの低い声が、耳元で囁く。
今度は、広間に行く寸前までのことが急に思い出されて、鼓動が早鐘を打ち始める。
「…さっきの続き、するよね…?」
ベルブに見透かされたように囁かれて、真っ赤になっているであろう顔を伏せる。
「……馬鹿野郎。よく、そんなに直ぐに切り替えられるもんだな…」
「そう…。なら、甘い雰囲気作りは任せてよ」
「…っ、そういう意味じゃない…」
悪戯に笑うベルブの美しい微笑みを盗む様に見つめてしまいながら、その腕に強引に引き寄せられる。
ちゃんと、話し合わないと…
不安になる…
他の奴に子供を産ませるなんて、言わないよな…?
そんな事になるくらいなら…俺が……
部屋に戻ったら、ベルブの作る甘い雰囲気とやらに流される前に、話し合おう!と決意を固めるのだった。
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