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第二十章:『起源と幕開け』

【第二十章:起源と幕開け】 (ライラside) 新聞を読み終わり、窓の傍でぼぅっと赤い月を見つめていた。 水分の無い、乾き切った生温い風が肌を撫でていく。 不気味だが…幻想的な風景だった。 まるで広い海のように、どこまでも砂漠が続いているらしい。赤い月明かりに照らされた砂丘が重なり合う。所々に転々と、砂に埋もれてしまいそうな建物か何かだろうか、黒い影がポツポツと見える。 そして時折、この魔王城の上を巡回するかのように、蝙蝠のような翼を持った大きな悪魔が数匹飛んでいく影も見えた。 魔界に来たんだな…と。 今更ながら実感が湧く。 聖職者でエクソシストの頃、ベルブと出逢って間もない頃でさえ、自分がまさか、悪魔の住まう世界に来るだなんて思いもよらなかった。 その時、コンコン、と部屋をノックされ。我に返ったようにドアの方を振り返る。 「ライラ様。そろそろお着替えを…」と、マーレの声がした。 「あぁ…分かった」と、返事を返すと、「失礼します」という声とともに、マーレが部屋のドアを開ける。 「こちらへどうぞ」 マーレに導かれ、部屋を出る。斜め向かいのドアに彼女は手をかけ、その部屋へと俺を案内した。 「ここはお着替えをしていただくお部屋です。」と、マーレは告げる。そして彼女が右手を掲げるから、俺はその指し示された方向へと視線を向けた。 黒い大理石で作られたような、重厚感のある化粧台が置かれている。その上には、あの服……少し前にマーレが仕立ててくれたあの洋服が静かに置かれている。 「…装飾が付いてる…綺麗だ…」 ポツリと呟きながらその黒い服を手に取り、そっと広げた。ボタンとして赤い宝石がいくつも並び、金のブローチも付いている。金の刺繍やそのボタン、ブローチは、黒く上質な布に映えていて、目を引く華やかさはあるが、洗練されていて無駄が無く美しい。 「えぇ。少し華やかにさせていただきました、坊っちゃまに怒られない程度に…」 マーレはクス、と笑いつつそう呟く。 「そうだな。華やかさはあるけど…凄く上品で素敵だ」と、呟くと、マーレは胸に右手を当てながら、僅かに頭を垂れる。 「お気に召していただけて何よりです」 マーレはそんな言葉を返し微笑んだ。マーレは俺に着替え終わったら声をかけるように告げて、部屋を出ていく。 俺は着ていた服を脱ぎ、隣に置かれていた肌着としての役割を果たすような布を広げる。 「…なんだこれは…下に着るのか…?」 それはヒラヒラとした黒いワンピースのようなもの…丈が長い。袖はなくて、タンクトップのようでいて、スカートのように足首まで長い。 よく分からないがそれを着てみる… そしてその上から、マーレの仕立ててくれたあのスータンのような洋服を纏った。 鏡に全身を映しながら、ボタンを留めていく。本物のスータンのようにボタンの数が多い… 慣れたようにそれを留め終わると、テーブルにはまだ布が置かれていることに気づく。これは腰に巻くバンドか…? 聖職者として、確かにスータンにこのような帯紐を巻くスタイルもある。 俺は特にエクソシストの仕事があるため、邪魔になるからつけていなかったが…。これはきっとそのようにして使う、帯紐なのだろう。その上には黒曜石のような黒々とした大きな宝石が嵌め込まれた、帯留めらしき装飾品がある…。 「ええっと……」 なるほど…分からん… これは帯紐と思ってたが…? 違うのか…? 帯紐にしては長くて…? その時、マーレの声がする。 「ライラ様。お召しになりましたか?」 「あ、あぁ…。でも、着方が分からなくて…途中までは着ることができたんだが…」 マーレに返事を返すと、「拝見しても?」と、マーレが返してくる。 「頼んだ、入ってくれ…」 困惑した表情でマーレを待ち構える。マーレは頭を下げながら入室すると、その帯紐のようなものと帯留めと思わしき装飾品を受け取る。 「お似合いですね、ライラ様。これはどのように巻きましょうね…」 「…それ、帯紐かと思って」 「えぇ、腰の辺りにも巻けますが、首からかけることも。丈は長めに残しておいたのです。まずは帯紐として試してみましょう。麗しく、このように…下に流すのはいかがです…」 マーレはまた魔術を使ってその帯紐らしい布を宙に浮かせた。 それは美しく繊細な皺を残しながら、俺の腰に巻き付き…臍の上辺りでキュッと軽く締め付ける。長すぎると思っていた丈は、その片方を足元まで流すように垂らされた。帯留めは体の真ん中ではなく、少し斜め、左の方へ寄せる形で布に添えられ、みるみるうちに美しく帯が留められた。 なんだか…凄くオシャレに見える… 「凄い…こうやって留めるのか…」 「えぇ。このお召し物はライラ様の肉体の美しさを引き立たせるシルエットでお造りしていますよ」 確かに…?スタイルがよく見えるかもしれん…。 「そして…こちらを…」 「これは…?」 「顔を覆うベールにございます」 顔を覆う…? 受け取った黒い布を広げてみる。繊細な金の刺繍が施されていた。そしてその布はシルクのような艶があり、僅かに透けている。 「顔を隠すのが決まりなのか…?」 戸惑いながら尋ねると、マーレはそれをまた魔術で浮かせながら微笑んだ。 「いいえ、坊っちゃまがそうしろと。あまり他の悪魔の目に触れさせたくないのでしょうね…」 「…っ……何を考えてるんだあの悪魔は…」 「無理もありません。今夜は城の外から、名のある悪魔たちが急遽集まることになったのです。この城の中ではまだしも…外の悪魔は危険な者もいますからね。ちなみにそのフェイスベールは、(よこしま)な魔力を跳ね返す(まじな)いもかかっていますよ。ライラ様の胸の内や感情の変化、記憶までも……他の悪魔たちから見抜かれないようにと」 「そうなのか…」 「えぇ。ライラ様がだと分かれば、悪さをする高位の悪魔が居ないとも限りませんからね…」 そんな話を聞いているうちに、俺の顔にそのベールがそっと当てられる。目元だけが見えるように、鼻や口元を覆い隠すベールだ。 「最後はこちらにございます」 「ま、まだあるのか…?」 「えぇ。アクセサリーを…」 「…そうか」 さらに戸惑いつつも、マーレが取り出した装飾品を受け入れる。金のチェーン部分が続き、中央には小ぶりだが真っ赤に輝く宝石のようなものが1つ付いている。 「これはネックレス…?」 「いいえ、ヘッドドレスのようなものですね…。頭にこうして通して…額にトップの石がくるように…」 マーレはそう言いながら、そのアクセサリーを魔術で俺の頭に通す。それは俺の額にピッタリのサイズだ。髪も魔術で触られているのか、ちょんちょん、と触られたり引っ張られるような感覚があり… 髪型を整えられ、左右に撫で着けるように流されて… 俺の眉間の少し上辺りに、ヘッドドレスとやらの赤い宝石が乗るような形になった。その宝石からは金色のチェーンが頭を一周するように続いている。 「…あぁ…こんなの慣れないな…。落としてしまったらどうしようか…」 「ふふ、大丈夫ですよ。その髪型ごと、魔力でセットしてしまいましたから…。無理に引っ張ったりしない限り、首を傾けたり下を向いたりしても取れませんよ、ご安心を…」 安心しながら、再び鏡を見る。 その姿は、まるで自分じゃないかのようだった… アクセントのような赤い宝石は情熱的で、真っ黒な洋服と透けた黒いフェイスベールは、ミステリアスな雰囲気を放っている。金で施された繊細な刺繍は上品さも引き立てていた。 素材自体は体にとてもフィットして、動きやすい。 「筋肉の凹凸を美しく強調しています。また、腰より少し高い位置で帯紐も留めていますから、元々長いお脚がより引き立ちますね…麗しゅうございますよ」 「…うぅ、そんなふうに言われると…照れるな…」 頬が赤くなるが、その様子はフェイスベールによって隠されていた。周りから見れば、あまり表情の変化が分からない… 「坊っちゃまも満足されるでしょう…。もう少し、整えますね…」 そう言いながら、マーレは最終調整にかかる様子だ。俺の服へと直接手を伸ばし…しかし小柄なマーレには届かないかも、と身をかがめる。 「ライラ様、そのまま背筋を伸ばしていてください…」 「あ…あぁ…でも…」 今度はマーレ自らが宙に浮き、俺の服をその指先で丁寧に整え始めた。 こうして服を丁寧に直されるのでさえ慣れていない俺は、目を逸らしながら背筋を伸ばして緊張してしまう… 「宴の場は…緊張しますね。魔界での宴など、初めてでしょう」 クスリとマーレが笑いながら呟く。 「そうだな…。まさかこんなことになるとは…」 つい本音を漏らしながら笑うと、マーレはさらに優しく微笑んだ。 「そうでしょうね…。これから、坊ちゃまのことや、王族のこと、この城のことも…沢山知っていかねばなりませんね…」 マーレはどこか遠い目をするようにして呟き、柔らかな笑みを浮かべ続ける。 「そうだな…。よく考えてみれば、あまり知らないな…。ベルブのことも…」 ポツリと呟いた。 本当に、そうだった。 あの悪魔がいつ産まれたのかも… 親のことも… その家系のことも… 魔界のことだって、エクソシストだったが、分からない事ばかりだ。 かろうじて悪魔のことなら、少しは分かるつもりだが…。しかしそれも敵として対峙する時の対処法くらいか… 「ライラ様は、他の人間に比べて、悪魔については深い知見があるかと…」 「…そうかもしれないが…。ベルブや君を見ていたら、悪魔も人間も、あまり変わらないような気がしてくるよ。ベルブやマーレのような悪魔ばかりでは無いことも…分かっているけど…」 すると、マーレは嗄れた細い手を俺の服から離し、地面に降り立った。そして俺を見あげて、再び微笑む。 「…そうですね。では、、ご存知で…?」 マーレはそう呟き、そっと窓の外を眺める。窓の向こうには煌々と赤い月が光っていた。 「聖書の知識だが……天界にいた最高位の大天使は、その傲慢さによって、神から寵愛を受ける人間に深く嫉妬した。そして、最初の人間であるアダムとイブを唆し楽園から追放させる、大天使は神に反逆を起こした。大天使は彼に従う天使たちを引き連れ、堕落し、自ら神に背く反逆者となった…。それらが悪魔である…」 要点を摘むように悪魔の根源について述べると、マーレは赤い月を見つめたままその目を細め、横顔で静かに微笑んだ。 「えぇ。そうですね…。その大天使の罪は。自分が見下していた人間が…神からの特別な愛を受け取ることを許せなかった」 マーレがそう呟いた時、俺は、ハッとした。 ベルブが…俺から1度離れたとき… そう、あの時、ベルブは狂ったように人を襲い…… ベルブは自分のことを"悪い悪魔"になったと言っていたが…。 あの時のきっかけ…… アイツは、俺の書斎から、妻と俺の写真を見つけたことが原因で…。ベルブはして… 「――その大天使。が……なのですよ。お分かりになりますか…?」 「ルシファー…」 「この王族の翼をご覧になったでしょう?他の悪魔とは違う。蝙蝠のような、のです、他の悪魔とは違う。彼らは、です…。彼らは天使の翼を…美しい翼を持っている。で…真っ黒に染まりきっていますが…」 「…そうか、そうだったのか…」 「大天使は…愛されることを望むあまり堕落した。自分が1番でなければ、許せない。自分が誰よりも愛されたい。そして激しく嫉妬する。……坊っちゃまも同じです、彼には…彼自身でもどうしようもできない程…煮え滾るような感情に支配されてしまうことがあるのですよ…。それを支えられるお役目を…ライラ様は持っている」 マーレはそこまで話すと、静かに俺の方を向いて微笑んだ。 「…ライラ様。何故か、貴方には坊っちゃまを安心して託せる気がするのですよ。魔界の長が暴走してしまうと……何が起こるのか…想像が付きますね…?脅しではありませんよ…。ライラ様となら坊っちゃまは、この魑魅魍魎とした魔界をも、上手に手懐けられるのではないかと思うのです」 マーレはそう言って、真っ直ぐに俺を見つめる。 ベルブの血は……かつて天界で最高位だった大天使、そして、嫉妬と傲慢さで身を滅ぼした、あの堕天使にルーツを持っている。 ルシファーは聖書によると、とても美しく、高貴な天使だったと。 時折、あの悪魔の美しさに当てられた時……息を飲むような神々しさに当てられてしまう理由がわかった気がした。 さらには、ベルブが些細なことで嫉妬して、常に俺のと愛を確かめようとするようなその言動も、全て納得が行く気がする。 マーレの言葉を胸の中で反芻していた。 この王族は、ベルブに限らずだが……恐らく、ルシファーのような素質を根源に兼ね備えている。マーレはそれが言いたいのだろう。 間違った感情に支配されると……その強大な力が、暴走する。あの時のベルブのように…。あの時の被害はまだ少なく、そして奪ってしまった魂も戻されることが確約しているから、まだ良いだろう。それ以上の事態が起こることは、魔界のためにも、人間界のためにも避けなければならない。 ベルブ… お前は、常に愛されたいのか、誰よりも一番に… その矛先が俺へ向くのであれば……なんの心配も要らない。 俺はベルブだけを愛し続けると、何度も固く心に誓っているのだから。そして同時に、多くを捧げてきた。 こんな俺がベルブに何かを与えられる……その喜びを、心から感じている。俺はあの悪魔に、差し出せるものがある限り、何もかもを与え続けたい。 ずっと、2人の未来を描いていきたいんだ。 「…任せてください。俺は……ベルブの傍から離れない。もう離れることはない。俺が居る限り…アイツに間違った道は歩ませない…」

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