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(ライラside)
俺は慌ててベルブを追いかけた。一方でベルブは、俺の追跡を嫌がるかのようか素振りだ…まるで、俺を遠ざけるかのように。
奴の長い足が大きな歩幅を刻み、ズンズンと魔族たちの合間をすり抜ける。逃すものかと駆け出してついて行くが、その時…。
あぁ、あの音だ…。ベルブが姿を消して、どこかに飛んで消えてしまう時の音。あと少しで掴めそうだったベルブの背中が黒く霞んだ。
「ベルブ!待てよ…!」
悲痛な響きをもって叫ぶ俺の声は、ベルブを追って出てきたこの廊下に虚しく消えていく。
ベルブ…また、俺のせいで…
まさか、あの時みたいに、おかしくなったりしないよな…?俺から離れたり…
そんなことが脳裏によぎり、ゾクリと背筋が凍りつく。
冷や汗を流しながら、ベルブを探して話さなければと考えを巡らす…。
そうだ…!悪魔たちならベルブを探せるだろうか…。目の前を横切った小さなゴブリンのような、緑の肌をした男に声をかける。背は低いがその分、ずっしりと重い筋肉が身体中に詰まっているような逞しい体つきだ。
「おい。君」と、切羽詰まった声で話しかけると、「ひ、ひぃ…ライラ様…?」と、その悪魔は酷く怯えたように俺を仰ぎ見上げる。強ばっていた表現を緩めて、口を開く。
「あぁ…その、驚かせてすまん。ベルブがどこにいるか、探せるか?魔力みたいなもんで、こう、どこにいるか察知するような…」と、尋ねると、ゴブリンのような魔物は青ざめた顔をして首を横に振る。
「ベルブ様を探すなどオイラにはできやせん…!」
そんな返答が返ってきて、さらに詰め寄る。
「どうしてだ?悪魔同士なら探せるんじゃないのか?ベルブは俺を狙ってた悪魔を見つけたりすることができてたぞ…。怖いか?そういう訳があるなら、俺が許可するよ、俺のせいにしていいから探してほしい」
しかしその悪魔は、ブンブンと首を振る。
「ひぇ…!オイラみたいな下級の悪魔にはベルブ様を探すなんてぇこった、いくら魔力を使っても無理ですぜ…」
「そうなのか…。分かった、手を止めてすまない。ありがとう」
クソ…
下級の悪魔じゃ無理だって…?
だがここに居る召使いたちは…全員恐らく下級だろう…?
あっ、そうだ…!
マーレなら…!
俺はハッと思いついて、ドタドタとリビングへ戻る。マーレはいかにも下級って感じじゃないよな…。彼女なら協力も仰ぎやすい…。
「ご、ごめん…ちょっと退いてくれ…」
屈強な魔族たちが丁度本棚を軽々と持ち上げて、ベルブが残した印に乗せていくその動作を遮った。
「なぁ、これって、話しかけたら向こうに聞こえるのか?」
本棚を抱えた1匹の魔物…まるで蛇のような鱗の肌を持った大男を見上げながら尋ねると、ソイツは吊り上がった目をさらに細めて微笑んだ。大きな本棚を抱えているのに涼しい顔をしている。
「えぇ、ライラ様。この印が繋がった先、ベルブ様の城に居る者たちに聞こえますよ」
「そうか…。なら少し、向こうに居るマーレと話したい。荷物を置くのを少し待ってくれないか」
「かしこまりました」
魔物はそう返すと、本棚を抱えたまま数歩下がる。俺は赤く光る印に向かってしゃがみ、大声を張り上げた。
「マーレ!いるか!?」
フローリングに書かれた印に呼びかける……それはなんとも妙な光景に思えたが、耳をすませば印の方から何やら騒がしく魔族たちが動くような音が確かに聞こえている。
『…えぇ、ライラ様。こちらにおります』と、数秒の経過後に返ってきたマーレの返事が、俺の耳にしっかりと届いた。
「よかった…。すまねぇが、ちょっと問題が…。ベルブの機嫌を損ねちまった、俺のせいなんだ…。ベルブは俺を避けてどっかに行っちまったんだよ。探せないだろうか…?」
額に汗を滲ませながら取り乱した声で尋ねると、マーレの声が返ってくる。
『困った坊っちゃまだこと…。坊っちゃまの魔力を探してみましょう…ただ、咄嗟に結界を張っていたりすれば、私にさえ見つけられませんが』
良かった、マーレはベルブの場所を探ることができるらしい。しかし…結界か…。確かにそこまでされていたら、マーレでも難しいのだろう。
『…まぁ、でも……ご安心くださいませ。そのような冷静さは、今の坊っちゃまには恐らく無いでしょうね…。さて、どの場所から探しましょう…。きっと遠くではないと思いますよ。恐らく、ライラ様のお近くだと。探ってみますので、少しお待ちを…』
マーレの声は俺と打って変わって酷く落ち着いている。その柔らかな声色が俺の焦燥感を緩和させてくれるが……奥歯を噛み締めるように表情を歪めながら、マーレの返事を待つ。
『ライラ様…』
「マーレ、どうだった!?」
『見つけましたよ。思ったとおり、傍を離れたくはなかったご様子で。坊っちゃまはライラ様のご自宅の…" 寝室 "に居られるようです。いじけてらっしゃいますね…ふふ…』
そんな言葉に俺は衝撃を受けて目を見開き、印を睨みつける。
「……な!…寝室かよ…!?2階じゃねぇか…!」
俺は安堵と呆れた声を漏らし、ほっと胸を撫で下ろした。
『ライラ様、よろしくお願いいたしますね。坊っちゃまは少し……ご自分を見失い掛けているかもしれません。ですがライラ様なら坊っちゃまを上手く扱えるでしょうから、私も心配はしておりませんよ』
マーレは穏やかな声でそう言った。それを聞いて、俺の焦る気持ちや不安も軽くなっていく。
「ありがとう、マーレ。アイツと話してくる…」
そう呟いて、フローリングの印に向かってしゃがんでいたこの腰を上げた。
ーーーーーーーーー
俺は、寝室に入る。ゆっくりとドアを開けた。既に家具が運び出されてスッキリとした寝室は、外からの月明かりだけで薄暗く照らされている。
「…ベルブ」
ぼそりと呟く俺の言葉は、か細く掠れた嘆息混じりだった。
月明かりさえも遮られてしまうかのような暗い部屋の隅で、大きな翼が床に力なく広がっていた。ベルブは隅に向かってしゃがみ込み、背中を丸めている。僅かな月明かりがぼんやりと照らす白い髪は、奴の背中や翼の付け根へと向かって美しく広がっていた。
悪魔の姿になってる…。
恐らく、ベルブは人間の姿で居られない状態なのだろう。その姿があまりにも痛々しく思えて、胸が苦しくなる。
「…なぁ、ベルブ…」と、もう一度呟き、俺はベルブのほうへとゆっくりと近づく。フローリングが足元で軋む。遠くに魔族たちの作業する声が聞こえていた。
「…今は話せない」
ベルブは俺に背を向けたまま、ポツリと呟く。
「話せない…か…」
…俺と話したくないのか。
でも、どうして…。話さないとお前の気持ちを分かってやれないし、俺の悪かったという気持ちも伝えられない…。
尋ねたくなった質問を、グッと飲み込んだ。そうだ、話したくないなら無理に話さなくていいさ。ただ、こんなお前を放っておけない。
「なら…話さなくていい。そばに居たい」
俺はそう言って、ベルブの方へさらに踏み出した。奴の顔はもちろん見えない。その背後まで来ると、俺は静かに膝を曲げる。
「…」
ベルブは何も返さず、しかし深い溜息を吐いてその頭を下げてさらに俯く。
「近付くのも止めろ…」
頭を項垂れたままベルブがそう言うから、俺は小さく首を横に振る。
俺が悪かった。だけど、あの面倒な司祭をさっさと帰らせて、何もかも穏便に済ませようとしたんだ。それに何百という犠牲者だ。さらに被害が広がることを想像したら、その仕業が悪魔かどうかだけでも判断するために協力しなければと思ってしまった。
だが…相談せずに勝手に承諾したのは、確かに間違いだった。
そんな思いが喉の奥まで込み上げてきて、ベルブにさきほど謝らなくていいと言われたのに、どうしてもこの口から出てくるのは謝罪だった。
「話さなくていいから、聞いてくれ…。俺が悪かった。お前が俺のことを心配してくれていて、危険な目に合わせないようにしてくれてるのは分かってるよ。…なのに、ごめん」
恐らく、過去の俺なら……こんなに被害が出ている状況の中じゃ、その問題が解決するまでその真相を執念深く追いかけただろう。
だが、今の俺は違う…。そんな正義感さえ、お前のためなら……捨ててもいいと思ってしまう。俺にとっては、お前を失うことの方が怖いから。
それでも、俺ができることは協力しなければという気持ちと、あの司祭どもから早く解放されてベルブと過ごしたいという気持ちが重なった結果の決断が、あれだった。悪魔の仕業かどうか判断するまでなら協力すると、俺は勝手に決めちまった。
「…また謝罪か。それとも俺を慰めてるつもり?哀れみか…?こんな俺は滑稽だろう…放っておいてくれ」
「ベルブ…」
「もう話しかけるな…。酷いことばかり思い付くんだ…ライラを傷付けるようなことばかりを…」
そう言ったベルブの力無く垂れた翼ごと、その肩は小さく震える。
傷付けるようなこと…?
確かに、さっきも、いつものベルブなら言わないような言葉ばかりだった。だが、何を言われようと俺は構わない。それでベルブが楽になるなら…。俺のせいだって分かってる、不満があるなら吐き出せばいい。
「…我慢しなくていい。俺にぶつけろよ…抑えようとすんな…」
そう伝えると、ベルブは「ふっ」と、小さく鼻を鳴らす。
「…何を言ってるの、ライラ…。俺を惨めにさせるつもりか…」
しかしベルブは威圧的に低い声で呟いた。しかし、その直後に…掠れた声で「苦しい…」と小さく声を漏らしたのを、俺は聞き逃さなかった。
コイツ、全部、分かってるはずだ。俺が言ってることも理解してる。だけど、頭で考えてることと、気持ちが追いついていないんだろう。だから苦しいんだ。
マーレの言ったとおりだ。きっと、ベルブは自分の感情と、その血の本能的なもの……マーレは主に傲慢と嫉妬と言っていたが……それに飲み込まれかけているんだろう。言わば大罪だ…ルシファーが身を滅ぼす結果となった罪源…。
そのトリガーを、俺がまた弾いてしまった訳だ。
突然ベルブは首を捻って振り向き、横顔を向けた。その白い髪がブワリと宙へ広がる。滾るように真っ赤に染まった瞳を、ギロリと俺へ鋭く向けた。
「…ライラ」
低く地を這うような声が俺を呼ぶ。ベルブの周りで薄く黒い靄 のような流出が砂嵐のように舞い始めて、その身体を取り巻くように漂う。空気が歪むように重くなって肌に纏わり付き、高圧的なオーラと緊張感が走る。
このベルブの姿をもし、魔界の魔物たちが目の当たりにしたのなら……彼らは恐れ慄いて一目散に逃げ出しただろう。
…だが、不思議と怖いなど感じることはなかった。そこにいるのは、愛する悪魔の姿に変わりなかった。
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