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(悪魔side)
暖炉の火に薪をくべていると、ライラが奥の部屋から俺の元へと戻ってきた。
「荷物、軽くだけど整理しておいた。とりあえず服とか、すぐ使うものだけ。引越し、手伝ってくれてありがとな」
ライラはそう言って微笑み、暖炉のそばにあった2つの椅子のうちの1つに腰掛けた。ライラの体重を受けてギッ、と大きな椅子は軋む。椅子の脚の底には緩やかな曲線を描いた板が付いていて、ライラがその重心をかける方へ、前後にゆっくりと揺れている。
「無事運べて良かったね。ライラ、寒くない?この城、冬は寒くて夏は暑いんだ」
穏やかな微笑みを向けながらそう言って、再び暖炉の方へ向き直る。くすんだ乳白色の大きな石で囲まれた四角い穴の中で、炎はまだゆっくりと燃えていた。
時折ぱちぱちと音を立てて火の粉を飛ばすその光源の中で、さきほど数個足した薪はゆっくりと着火し始めている。それに向かって、フゥッと強く息を吹きかけた。
ボゥ、と風が立つ音と共に、一気に炎の勢いが増す。幾つもの尾を逆立てて荒ぶりながら、メラメラと火が燃え上がった。
「あぁ…少し寒いな。でも、この場所は、暖かいよ…」
ライラはそう言って、随分とリラックスしている素振りでロッキングチェアに深く座り直し、その肢体をだらりと預ける。
「良かった。寒かったらもっと暖かくするよ。教えてね」
そう伝えながら、俺もライラの隣に並べていた椅子へと腰掛けた。ゆったりと背凭れに体重をかけて、ギッギッとその音を鳴らす。規則的に揺れる動きに身を任せ始める。
…俺は今、至極機嫌がいい。
ライラと甘いセックスをした後だから、とても満足している。
それは引越しを手伝わせた魔族たちが帰った後のことだ、この城へとライラと一緒に瞬間移動して…
その後すぐにライラをベッドへと連れていった。ライラから積極的に求めてもらうという口実で、キスや服を脱がせることまで全てを彼にねだって、ライラに任せてみた。
何をお願いしても、顔を真っ赤にさせながら悪態をついて、しかし俺の要求に応えようとしてくれるライラはとても愛おしかった…。
あれだけ恥ずかしがっていたくせに…体を繋げてからは、ライラは途端に素直になって。甘ったるく過度なほどに愛の言葉を交わし合い、互いを求めた。
普段は照れているのかライラの口から直接聞くことは少ない言葉たちだ、好きだとか、愛してるだとか…。彼はベッドの上では惜しみなく伝えてくれる……ただし、理性の欠片も無く、淫らな嬌声混じりになっているけど。
ライラ…可愛かったな…
ライラに残してもらったこの首筋に残るキスの痕を右手で撫でながら、ライラの方をもう一度チラリと見てみる。
「〜♪」
ライラは横顔をこちらに向けながら、暖炉に灯る炎を見つめつつ…たまに目を瞑ったり、瞼を開けたりして、何やら鼻歌を歌っている。
ライラも満足気に見えた。愛おしい…。
ロッキングチェアの肘当てで頬杖をつきながら、その横顔をじっと眺めていた。飽きないな…。
ほう、どうやらまだ体力があるらしい。
もう回復した?
なら、もう一度……いや、怒られるか…?
などと、邪な考えを巡らせていると、不意にライラが、俺と彼の間に置いてあったテーブルの上へ視線を向ける。そこにはライラが部屋のものを整理している間、暇つぶしのために俺が触っていたチェス盤が無造作に広がっている。
「…ベルブ。お前、チェス好きだよな…」
その眉を上げて、ライラは思いついたようにポソッと呟く。
「まぁ…好きというほどのものではないけど。時間を潰すのに丁度よくてね」
穏やかな時間が流れる中で、ライラとの距離を静かに詰めながら……彼との会話を続けるようにそう返す。
ライラは俺の方へとその視線を投げて微笑んだ。それは柔らかな笑みだった。
「そうか…。お前、強そうだな」
ライラはそう言って、ポーンの駒をそっと手に取る。頭をもたげ始めていた欲望は、途端に影を潜めた。ライラとの何気ない日常会話に魅力を感じ、自然とそちらを優先したくなる。
このテーブルの上に置かれたチェスセットは、何十年も前、いつぞやの悪魔にもらった年季の入った品だ。一つ一つ手彫りで大理石から削り取られたもので、ズッシリとした重さのある駒が並んでいる。
…そう言えば、ライラの自宅にもチェス盤が置いてあった。ライラもチェスをするのだろうか。
「ライラの家にもチェス盤があったね。好きなの?」
「昔は触ってたけど…最近は全くだな」
白いポーンの丸みを親指で撫でながら、ライラは呟く。
「へぇ。ライラこそ、強そうだね…?」
「いいや…大したことないよ。俺は、祖父とよくやってただけなんだ」
ライラはそう言って懐かしむように目を細める。ライラのおじいちゃん…か。ライラの身の上話を聞いたことはほとんど無かった。好奇心を擽られて、身を乗り出す。
「おじいちゃん?」
「あぁ、そうだ。ガキの頃は、祖父が俺の面倒をよく見てくれてたんだ」
「ライラの家族の話って、珍しいね…。もっと聞きたい」
そう言うと、ライラは少し驚いたように俺を見る。
「…お前。俺の記憶、見てるんじゃないのか?」
そう尋ねられて、曖昧に、少しだけ首を傾げる。
「…正確には、全部は覗いてない。そう思ったのは、俺が出会った時、ライラの弱みを見抜いたから?」
そう尋ねると、ライラは困ったように笑う。
「あぁ…そうだな。俺の名前も、俺の弱い部分も、全部言い当てただろ。だから、あぁ、コイツはマジでヤベェ悪魔が来たって思った。強い悪魔と何度かやり合ったことはあったけど、お前のほうが格上だと思ったよ。名前を当てられたのはお前が初めてで…。その後は、…廃教会の悪魔にも言い当てられたけどな。お前やあの場所にいた悪魔が、本当に強い悪魔なんだって知った」
「そうだね。俺らほどになると、廃教会の悪魔のように記憶を使って幻影を見せる悪魔も居る。ただし、俺たちにも全部は知りえないよ。人間の心の隙を突いて、魔を指すため…。欲望や弱みの部分を見抜けるってだけなんだ。それでも、まるで全て分かっているかのように振る舞える、だから、抗っても無駄だと…人間を脅すためにね」
「へぇ…。エクソシストだった頃に知りたかった知識だぜ…」
ライラは冗談混じりにそう呟き、フッと鼻を鳴らして笑う。
「ライラなら知ってると思って。意外と知られてないんだね」
「悪魔の話なんて聖書や文献を漁って得られる知識と、対峙して経験を積んで知ることができる範囲に限られてるんだぜ?悪魔については教皇庁の中でも1番詳しいだろうって胸張ってたけど、さすがにそんなに細かいところまでは知らねぇよ」
「そっか…。まぁ、種明かしは今話した通りさ。だから、ライラのこと、もっと教えて?」
テーブルに肘をつき、ライラのほうへと体を傾ける。ライラは少し恥ずかしそうに笑って、後ろ頭に左手を当てた。
「…もちろん、いいけど。なんだか小っ恥ずかしいぜ…。何を知りたいんだ?」
ライラはそう言って、手に持っていた駒をゆっくりとチェス盤へ戻す。照れくさそうに笑うライラはまるで、俺がライラに興味を持つことを喜んでくれているかのようだった。
俺は気になることから手当たり次第に、ライラに尋ねていった。ライラは何も躊躇うことはなく、彼のこれまでを全て答えてくれた。
それは概ね、俺が想像していたものに近しいものだった。
彼は、この宗教国家で聖職者だった。聖職に就くのは、そう簡単なことではない。言わば、学と金銭が要求される。なぜなら、大学で神学の道に進み、その上でさらに優秀な成績を収めなければならない。
まずはこの世界で、勉学に励む環境に身を置くことさえ、万人に許された訳でない。
教育を受けることも義務ではないし、ましてや大学へ進学している者たちは、その半数以上が財力によってその権利を得られた結果だと言っても過言ではないだろう。あるいはよっぽど頭脳明晰で、何者からかの金銭的な支援を受けることができただとか、特別な枠で入学を許されただとか…
ライラはそのどちらをも持っていた男だと言える。貧しいとは言えない家庭で、尚且つ勤勉だったらしい。融通の利かない頑固なところもあるが、努力家で根性のある男だ。
しかしながら…母と父は幼い頃に亡くしている。ちなみにこの両親の死については、俺は既に知っていた。過去に、弱みの1つして見えた記憶だったからだ。俺が知っていただなんて、ここでライラに敢えて伝える必要はないし、俺はライラのその悲しみを軽く扱うつもりもない…。
金銭を利用して進学する者たちも居る中で、ライラはこの国でも神学を学べる有数の学校に試験の結果で入学した。ただしその頭脳だけを持ち合わせていたのではない、貧しい家庭ではなかったからこそ許された道だ。入学が許されたその日からは、聖職者となることが約束されたレールが用意されている。
…ところで、神に救いを求める考えというのは、この国の人々にとってはではまるで息を吸って吐くような感覚に近い。生活に欠かせない習慣だ。
一方で、ライラが聖職を目指したのは父と母の死に起因すると言う。その中でもライラが悪魔祓いとなったのは、父の影響だと。彼の父もまた、悪魔祓いを担う、敬虔なクリスチャンだったそうだ。恐らくだがライラの父が現役で悪魔祓いに身を投じていた頃は、エクソシストという職は今よりも遥かに重んじられていた。ちょっとした病でさえ、医者よりもエクソシストを頼るという感覚が植え付けられていた頃だろう。
「…まぁ、そんなところか。他にも何か話して欲しいことがあるか?」
「ううん、十分だ。ライラのこと、ちゃんと知ることができて嬉しいよ」
そう言って微笑むと、ライラも優しく笑い返してくれた。
「…恥ずかしいけどよ…。自分のことをお前に知ってもらえるのは、悪くねぇな…」と、ライラは目を伏せて耳をほんのりと赤く染めながら呟く。そして直ぐに、ライラはどこか落ち着かないような素振りでその身を俺の方へと乗り出し、テーブルに手をつく。
「なぁ、今度は…お前の話をしてくれ。ベルブのことも知りてぇんだ」
そう言ったライラの瞳は、期待と俺への関心で明るく輝いているように見えた。そんな眼差しを向けられて興味を抱いて貰えたら…俺だってなんでも答えたくなる。
だが、大抵のことはマーレから聞いてしまったのではないだろうか?
「ライラになら、何でも話すよ。でも、俺のことはマーレから色々聞いたんじゃない?」
すると、ライラは小さく首を横に振る。
「いいや…。聞いたのは、お前の王族とルシファーの関係についてくらいだよ」と、ライラは呟く。そして、「魔界に行った時、改めて思ったんだ。お前のこと、俺は本当に何にも知らねぇなって。伴侶だとか、そんな約束もしたのにさ…」と、彼は言葉を続けた。
ライラはそこまで言うと言葉を溜めて、下唇を噛むような仕草を見せる。その表情は途端に翳り、物悲しげに見えた。
俺は思わず、揺り籠のように揺れていた椅子から立ち上がる。
「…どうした?」と、ライラは首を傾げて、驚いた顔を俺の方へ向けて見上げてきた。
俺はスタスタと数歩歩いて、ライラの腰掛けた背後に回り込む。ライラは、なんだなんだ、と戸惑った様子で発し、警戒するように俺の方を振り返ってくる。俺の方へ半身を捻って向けたライラを、椅子の背ごと、後ろから優しく腕で包んだ。
「悪魔の過去なんて、隠したい事ばかりだよ。汚点だらけだ。胸を張っていられるような生き方なんてしてないからね…。幼い頃から、本能的に身についているのは…人を貶めて、支配するといういうこと。神に背くということ。全ての悪魔が抱えている、自分たちを追放した天界への復讐心みたいなものだ…」
ライラの耳元でそう伝えると、ライラはピクっと肩を震わせながら、「そう…だよな…」と、呟く。
「あぁ、そうだよ。ライラには隠しておきたいことばかりかもね…」と、低い声で囁く。ライラの耳はみるみるうちに赤く染まった。ライラの喉仏が上下し、ゴクッと喉を鳴らすのが聞こえる。
「っ……おいおい、そんなにやましいことばかりか…?」と、ライラは尋ね返してくる。彼の呼吸は浅くなって、手持ち無沙汰にその膝の上に置かれていた手は、指先が少し震えている。俺がこうして急に近付いたからか、緊張し始めたらしい。
さらにその耳へ唇を寄せた。
「当然でしょう、サタンの息子だよ……」と、湿った吐息混じりに囁く。するとライラは、その背中をビクビクと震わせて丸めた。俺の口元からその耳を遠ざけたいかのように、腕の中で弱々しく抵抗する。
「…はぁ……ベルブ…、耳…っ…」
可愛いらしい反応だ…。
身を捩らせるライラの動きを封じ込めるように、さらに力強く包み込む。その柔らかな耳朶に自分の唇を触れさせた。
「でも、そんなことを聞きたい訳じゃないよね。ライラはどんなこと、気になってくれてるかな…?子供の頃の俺?それとも、趣味とか?好きな食べ物?あぁ、年齢…?身長も知りたい…?ライラのことをどれくらい好きなのかも、聞いてくれていいよ…」
この場には2人しかいないのに、至近距離のライラにしか聞こえないほど小さな声で、妖しくコソコソと耳打ちする。
ライラは言葉に詰まるように少し呼吸を止める。そして、彼の体を抱きしめている俺の腕へと、そっと左手を当てた。
「…ぜ、全部…っ…知りてぇ…」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせて瞳を潤ませたライラが、甘えるような目線を俺へ向けてくる。その瞳に俺の姿だけが映っていた。唇の端をゆっくりと上げ、艶っぽくライラに微笑んだ。
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