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第二十四章:『秘跡』
【第二十四章:秘跡】
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(悪魔side)
穴をじっくりと観察していたライラに駆け寄る。ライラは地面に這い蹲るようにしながら、穴を熱心に覗いていた。
低い位置に頭を下げているから、丁度いい。
「ベル…」
俺に気づいてこちらに視線をチラリと向けたライラの耳に、長いマズルを近づける。
「……悪魔だ。だが、それ以上は俺にも分からない。つまり…危険過ぎるんだ。早く帰ろう」
ライラの近くで必死に穴を覗こうとしているアダムには聞こえないように、ライラにだけコソコソと人語で伝える。
ライラはそれを聞いて、その瞳を見開いた。
「…そうか。分かった。最後に少しだけ…」と、ライラはそう言った。まだ何か、確かめたいことがあるらしい。
「……分かったよ、あと少しだけだよ」
仕方ないな…と、呆れながら。臀を岩肌につけてライラの隣に座る。何かがこちらに来ている気配もない、少しだけだと言うなら、ライラを待ってやろう…。
するとライラは何を思ったのか、少し離れたアダムに、「アダム。こちらへ」と、声をかける。
「は、はい…!」と、アダムは咄嗟に返事する。ウプッ、と気持ち悪そうに胸を上下させながら、アダムは青い顔でライラに近づいた。アダムはこの臭いのせいで随分と苦しんでいる様子だ。
ライラはアダムを呼び寄せて、何かをはじめようとしていた。アダムに指導でも付けるつもりなのかもしれない。師弟関係のようなものだと言っていたし、納得だ。
ライラがアダムと関わるのは見ていて気持ちのいいものではないが……このアダムとか言う青臭いエクソシストと、少しの間であれば交流するのも許してやろう。
「率直に、お前はどう思った?」
ライラは穴の方へ屈めていた上半身を上げて、膝を地面に着いた体勢のまま、腕を前で組む。
「…そうですね…。これは、人間の仕業などでは無い…。こんな穴……一晩で開けるなんて、人間には無理ですよ…。この穴、悪魔が関わってる」
アダムは鼻や口をハンカチで覆ったまま、ライラにそう返した。
「…そうか。なら、その根拠は?」
ライラの鋭い質問で、アダムは言葉に詰まる様子を見せる。アダムはその答えを考えるように瞳を伏せ、チラリと穴を見た。そして再び、ライラを見据える。
「…根拠…。この穴が、…根拠です。人間にできっこない…。悪魔の仕業という証拠だ」
アダムは自信を取り戻したようにそう告げるが…。
ライラは、「そりゃイマイチだ」と一言発し、アダムの証拠を冷たく跳ね除けた。そしてライラはアダムの根拠の精度を疑った。
「悪魔が居た根拠にならねぇだろ。それに人間の仕業って可能性はゼロか?この山の所有者が居ると言っていたな。年配の男性だと司祭は言ったが、その男を疑うこともできる。そもそもこの山にはその男しか入らない場所なんだろ、人目につかない。こんな穴だって、大量の爆薬を使えば穴を開けることが出来るかもしれん。この山の周りには民家もなかったぞ。穴のことは隠せる」
「で、ですが…」
アダムの反論を、ライラは遮った。
「だが……お前の読みは正しい。この穴に悪魔の痕跡があった。俺の犬がそれを察知した」
「あっ、やっぱり…!私の読みも、当たってたんですね!」
アダムはパッと表情を明るくさせるが、ライラは眉根を寄せて冷ややかにアダムを見つめ返した。
「問題はそこじゃない。お前はここで何をした?エクソシストの力を使えたか?」
ライラは厳しい口調でそう伝え、アダムを鋭い眼差しで射抜いている。
ほう、ライラは弟子に随分と手厳しい指導をするのだな…。
ライラの強い態度に、少しゾクリとする。俺には見せない姿だ、面白い…。
「…いいえ。ただ、穴を目視しただけでした…」
「お前は、悪魔の仕業かどうかの判断をここに付けに来たんだろ。それを判断するための手段をここに持ってきていないというのはどういうつもりだ?ここに何をしに来た?俺を頼りにして来たのか?」
ライラの責め立てるような強い口調を受けたアダムはついに怯えたように肩を震わせて、ライラから目を逸らしてしまった。
「エクソシストはな、準備が大事なんだよ。お前のそのバッグ。何が入ってる?」
「ライラさんにいただいた十字架に、メダル…あとは、聖書、聖水、お香も…」
「はぁ…。それでどうやって悪魔がいるかどうか判断するんだよ…。悪魔祓いに来たんじゃねぇんだぞ」
ライラは呆れたため息を漏らして、アダムをギロリと睨みつける。
「…はい……」
ションボリと肩を落として、アダムはその黒い瞳を潤ませ、ライラを見つめ返していた。
「…ラテン語を覚えて筋トレもやってんなら、次は道具を揃えろ。道具は大切だ、自分を守ってくれる。過去のエクソシストたちの文献を漁れば色んな道具があることを知ることができるんだ。お前にあった物を探せ。今日は特別だぞ、コレを使うといい」
そう言ったライラは、胸元から何かを取り出した。手のひらに収まるほど小さく薄くて、黒革の小物入れのように見える。
「…これは…?」
「いいから、広げてみろ」
ライラはそれをアダムに押し付ける。アダムは慌てて手に持っていたハンカチをポケットにしまい、それを両手で受け取った。
アダムは震える手でワタワタと留め具を外し、ケースを広げる。ここからでは何が入っているのか見えない。
「…針?」と、アダムが呟くと、ライラは頷く。
「そうだ。糸で留めてあるだろ。針には触れず、針の反対側にある糸のほうを指先で持て、落とすなよ」
「は、はい…!」
針…?エクソシストの道具か。
ライラが今朝、出発する前に、城の外で何かを取りに行っていたのは、この道具だったか。捨てていたエクソシストの道具箱から持ってきたのだろう。
「…これは…どうやって使うのです…?」と、アダムはライラに教えを乞いながら、その指で慎重に糸を摘まみ、ケースから取り出した。針先は下へと垂れて、取り出された時の揺れを保っているのか、遠心力でユラユラと小さく揺れている。
「聖句が、針に刻まれてるんだ……」と、ライラは低い声で呟く。
アダムの指先からブラリと下がるその針は次第に揺れ方を変えて、ググッと不自然な動きを見せた。
まず、アダムの左に広がった穴のあるほうへと横に振れた……。しかし、それは次第に、アダムの真正面の方向、向かいに居る、俺とライラの方へ激しく揺れ始める…。
この動きはなんだ…?
なんの道具なんだ…?
「…あ、あの……ライラさん……こ、これは……」
アダムは額に汗を滲ませ、針の動きを見つめながら。恐らくアダムはこの針を揺らしていない、独りでにこの針は揺れているのだ。アダムは目を見開らいて戸惑っている。
「……針が、穴の方へ、横に揺れているのが分かるか?」
ライラはそう言って、何故か、ゴクッと息を飲む。
どうした?
なぜそんなに、ライラは緊張してる…?
ライラに違和感を感じつつ。もう一度針を見つめた。ライラの指摘どおり、針は穴へ向かうように揺れる。だがそれ以上に、俺たちのほうへと激しく反応しているように見える。
「その針を、もっとこっちへ…向けてみろ…」と、ライラは呟き、突然その腰を上げた。アダムは戸惑いの色を浮かべて、ライラを見上げる。
「は、はい……こう、ですか?」
アダムはライラの指示に従って、針を持っていた手を、俺たちの方へ近づけるようにゆっくりと前に出していく…。
…針は、異様なほどに激しく揺れ始めた。それに驚くアダムの呼吸も乱れていく。そしてついにアダムがその腕を俺たちの前へ伸ばしきろうとした瞬間、針先はさらに急激な動きを見せた。
「あっ…!」と、アダムの小さな悲鳴と共に、針がグンッ!と伸び切り、寧ろ針先に引っ張られたかのように、アダムは姿勢を僅かに前へと崩す。
「…」
針の尖った先が木漏れ日を反射し……
それは、俺の方を真っ直ぐに向いていた。
ライラ…?
これは、どういう…?
この道具を理解し得ていない俺とアダムが、その視線をバッチリとかち合わせていた。互いに犬と人間の姿ながら、動揺と驚きを浮かべているのが分かる。見つめ合う俺とアダムは、ライラの言葉を待つ以外になかった。
「…針先は、" 悪魔の残穢 " に反応する。これほどまでに強い反応を示すということは、最早、残穢どころじゃないな。この意味が分かるか、アダム……」
そんなライラの声が上から聞こえる。俺とアダムは目線をぶつけ合ったまま、固まった。ライラの言葉だけが脳内で反芻されている、俺の思考は停止していた。恐らく、アダムも同じだ。
アダムは、ハッと息を飲み、その目をさらに見開いて……俺を見つめるアダムの瞳が、怯えきった恐怖の色を滲ませ始める。
「……こ、この犬……ただの、犬じゃ……無い……?」
震えるアダムの唇が、俺を見つめながらそう呟く。
「……そうだ。それはそうやって使う道具だ」と、ライラが呟いた。
ライラ…?
「ベル、もう姿を隠さなくていい。いつもの姿になってくれ」
…は?
何を言っている…?
「ちょ、ちょっと……ライラさん…?」
アダムは衝撃のあまり、最早、引き攣った笑みを浮かべている。
「…言っただろ。隠す気はない…。アダム、俺はな、悪魔とデキてんだ」
ライラが決然と言い放った言葉の破壊力は凄まじく、アダムはあんぐりと口を開けて尻もちを付いた。
何やらこの場の騒ぎを聞きつけた司祭が、慌てて走り寄って来る気配がする。
「ど、どうされましたかな…?何か問題、…が……」
司祭を見ても、ライラは動じない。フッ、と鼻を鳴らして笑う。司祭はアダムの持っている針が糸を引きちぎりそうな程に引っ張られて、真っ直ぐに俺へ向いている光景を一瞥すると、途端に青ざめた。
「そ…それは……!ライラ殿…?その犬は…」
司祭はその道具の使われ方を知っているらしい。一目見ただけで、俺の正体を察した様子だ。
「あぁ、コイツは俺の大切な悪魔だ…」
ライラは司祭に対してもそんな風に言い放つ。
あぁ、ライラ…。
まさか、こんな真似をするなんて。
ライラは俺のものだと見せつけてやりたいだなんて言ったけど、アレは俺が冷静じゃなかったときに発した言葉なのに。
しかしこうして、押さえつけていた本当の欲求を叶えてもらえることは……凄く良い…。
心が満たされる…
もう、隠さなくていいのか…。
それなら、ライラの言った通りにしてやろう。
教皇庁の犬どもに、この姿を見せてやろう。魔界の王子の姿をな…
ズズスッと黒い影を纏い、変身していた姿を解いた。ライラとの繋がりをこの司祭たちに見せつけられる愉悦で、この顔に恍惚とした笑みを浮かべる。
ライラの体を抱き寄せその肩に頭を乗せながら、司祭たちに冷ややかな視線を向けた。
「あ……あ……悪魔…ッ…!!!?」と、情けない声を上げた司祭も、その腰を抜かして背後へすっ転ぶ。
あぁ…その顔。怯えきった表情…。最高に愉快だな。
「俺はコイツを愛してる。だからエクソシストも辞めた。もう俺は、お前たちとは住む世界が違う」
ライラがそう言い放つと…
「ひいいぃ…」と、司祭が素っ頓狂な声を上げて白目を向いた。
あぁ、卒倒したのか…?
ライラの言ってたとおりだ、司祭はあまりの衝撃に正気を保てなくなったらしい。
しかし、アダムは、青ざめた表情をしながらも、なんとも真剣な目つきでライラをしっかりと見ていた。
「ライラさん……悪魔のために、エクソシストを…辞めたなんて…っ…。俺の…憧れだったんですよ…!」
「…なんと言われようが、俺の決めたことだ。その道具も、お前にやるよ。これからの調査で使え…」
ライラは僅かに声色を落として、静かにそう告げた。
しかしアダムは納得できていないらしい、力が抜けて尻もちを付いていた体を必死に起こし、震える膝でライラの足元へ這い蹲る。
「…ライラさんっ!!」と、必死に訴えるようなアダムは、ライラの足を掴もうとした。その腕を踏み潰す思考が過ぎったが、好きにさせてやることにした。
アダムはライラの足首をグッと強く掴む。
「…お前は、良いエクソシストになってほしい。この事件も、きっと解決できるはず。俺たちは、この調査に協力した、約束通り、悪魔かどうかの判断を付けた。これは悪魔の仕業だ、間違い無い。その針も反応したし、俺の隣にいるコイツもココに悪魔を感じたと認めたんだ。俺たちはここまでだ。これ以上は、関わらない。教皇庁が俺を巻き込もうとするのは、金輪際終わりだ…!」
ライラはアダムを見下ろし、そう告げた。
「待ってください…!ライラさん…!嘘だ…ライラさんが、悪魔の手に…堕ちるなんてっ…。駄目だ、ライラさんは悪魔に屈しない、最強のエクソシストなんだ…!その悪魔、俺が祓う…!」
そう言って、アダムは俺をギロリと睨み上げてくる。俺は無表情でアダムを見下ろした。
俺は冷静だった。アダムとライラの最後に、口出しをする必要は無いだろう…
「…傍 から見れば悪魔に屈したように見えるかもしれないな。だが、そうじゃない。俺はこの悪魔を選んだんだ…」
ライラは静かにそう伝える。アダムは眉間に深い皺を刻み、痛みを浮かべるように表情を歪めた。
「ライラさんが自ら…?そんなはずが無い……!悪魔に騙されてるっ…」
アダムはそう言って、ワナワナと怒りを滲ませて俺を再び睨んでくる。そして震える手は肩にかけていたバッグを引き寄せ、その中から何かを取り出そうとしていた。
「…アダム。コイツを祓うというなら、まず俺と殴り合いの喧嘩をすることになるぜ…?」
ライラはそう言った。アダムがエクソシストの道具を手にしようとしたその途端、ライラは好戦的に豹変し、両手を合わせて左手の指をボキボキと鳴らしてみせる。
「ぅ……」
アダムは、鍛え上げたライラに到底勝てないことを察したのか、おずおずと手を引っ込めた。
「…懸命な判断だ」と、アダムに一声かけると、ライラは俺の方を見つめた。
「帰ろう、もう協力は終わった」
「あぁ、そうだね…」
ライラのほうに優しく微笑み、目を細める。愛おしさが溢れてきて、その腰を抱き寄せた。アダムはその様子を悔しそうにただ見つめていた。
「…そうだ。この穴……普通じゃないよ」と、アダムにも聞こえるような音量で続ける。
「普通じゃない?…そうか」と、ライラは、チラリとアダムに視線を配りながら返す。
「うん。悪魔の魔力が無い…。だから、すっごく体の大きい悪魔が物理的に掘ったのかも……なんてね」
「…へぇ。この穴を手で掘ったのか?モグラみてぇなだな」
「…そう、察しがいいね。モグラみたいな悪魔かも。巨体なら目立つもの。地面のなかで身を隠してるのかもね…。どんな奴かは想像も付かないな、俺にもね……」
ライラと会話をしつつ、それはアダムに情報を与えるためだった。ライラもその意図を理解しているようだった。
「…この穴はこれ以上見ても無駄だな、アダム。下まで降りれる方法があれば別だが。トラックの事故現場でその針を使え、悪魔が関わってるかどうかを見極めろ。関係性をあるかどうか調べるんだ。どうしても正体を掴めないなら、次にこの悪魔が現れる瞬間を絶対に逃がすな。先程も伝えたが、エクソシストは準備が大切だ。俺なら必死こいて準備するぜ…」
ライラはそう言うと、自分の膝に付いていた土埃や枯葉を左手でパッパッと払った。
体を再び起こしたライラに、「じゃあ、帰ろっか…」と、耳元で囁くと、ライラは頷く。彼の腰をもう一度しっかりと腕で抱き、アダムへ背を向けるようにライラを引き寄せる。
ライラは後ろ髪を引かれるようにアダムのほうへ半身を捻り、「……アダム、俺が想像してたより、この穴は危険だと分かった。……気をつけろ」と、アダムに向かって忠告するように告げる。そしてライラは直ぐに俺に身を寄せてきた。
俺とライラは、アダムと司祭を残してこの穴を後にした。
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